間に存在する歪み







 浅草の北に再建された遊郭で相対死があった。
 近頃では遊女とその客の情死は珍しく、総悟が着いた時には人だかりが山のようにできていた。二体の死骸は法定により、遊郭の大門から放り出され、門の外二キロほど離れた距離の美津ノ輪墓場に裸体で晒されていた。人ごみを掻い潜り仏の前まで来る。遊女はお初と呼ばれる年増で、小格子を張っていたらしい。夕方の光を浴びて、生気を失ったその貌は目元に隈が目立ち、血色が悪く、吹き出物がいたる所に浮いていた。身体のほうも皮膚はたるみ、長年の不摂生が肌に顕著に現れている。男のほうは四十歳に満たない風貌だが、白髪が目立ち、小太りで見るからに不潔そうだ。味噌屋のどうしようもない一人息子だったらしい。妙な具合に哀愁が漂う死体だった。
 お互いが相手の首を斬って死んだとの報告だった。素人で、しかも短刀で斬ったともなると相当痛みに苦しんだだろう。好いた相手の喉を掻っ切るにはそれ相応の覚悟がいる。何重にも切り口があり、もがき苦しんださまがありありと想像できた。
 簡単に検視を済ませると、無言で来た道を戻り始める。事件性が無ければ真選組の出番は無い。その後の処理は管轄外だ。
 ポケットに手を突っ込みたかったが、死体を触った手では憚られた。人ごみを抜けると、そこで不意に、見知った顔を見かける。野次馬の群集から少し離れた位置で仏の方向に掴みどころの無い視線を向けている。そこからではいくら眼を凝らしても足の先さえ見えないだろう。知人の瞳は何時ものように生気を感じられない腑抜けた面でぼんやりしている。
 周囲は広い田地である。東の方角に六分程度歩けば、おはぐろどぶに囲まれて事件の発端場である矩形の遊郭があり、さらに東進すれば正方寺の脇に屋台の天麩羅屋がある。江戸前らしく衣が厚く野菜がみみっちいのが特徴で、土方十四郎と巡回の帰りに寄ったらぼんやりと傍観している坂田銀時と偶然鉢合わせたりした。然して距離は無いので、この辺りに何か用事があるのかもしれない。猿和歌町や江戸四座には江戸歌舞伎が見られる劇場がある。もしかしたら、旦那は歌舞伎好きで通っているのかもしれないな、と総悟は考えた。まさか小塚岡刑場にはいくらなんでも用は無いだろう。こちらに用があるのは真選組のほうだ。もしくは、遊郭遊を道楽しているのかもしれないが、年中金欠だと豪語しているのでこちらは可能性が少ないだろう。遊郭は値が張る。
「旦那、仏さんの知り合いですかィ?」
 坂田銀時越しに仏を熱心に写生に勤しんでいる者がいる。死んだ女の裸体を熱心に描いているのは町絵師風情かもしれない。画帖に筆を走らせていた。
 ゆっくりと総悟に向いた銀時は何の動揺も見せずに「ああ、総一郎君か」と気の無い声で言う。「違うよ。知らない」
「野次馬ですかい、だったらもう少し先行かねェと見えねェですぜ」
「違うよ、そんな趣味悪いもんじゃありません」
「ここで突っ立ってるのもいい趣味してるとは思えませんがね」
 銀時は眉を顰めたが、口調はそのまま変わらなかった。
「俺は自分で命絶った奴なんか興味ねぇよ。知人の墓参りに来たんだ」
 美津ノ輪墓場は田地に追いやられた形で粗末な無人長屋との狭間にある。墓石なんていう上等なものは無く、置き場の困った石に名を刻み放り投げられているような粗末さだ。町の者は捨場と呼んでいるらしい。どういった知人が埋められているのか気になったが、そんな事を聞くのは野暮で、だからといって、自分が放った言葉で居心地が悪くなる事はない。
 相手が多くのどうしようもない過去を自分の内に秘めて、消化できる人だと知っているからだ。
 総悟は人の善し悪しをその人物の内なる面白さで見極めるところがあった。感覚の物差しでそれを計る。そして更に面白いことに、面白いと思う人物はそれ以降何度も摩訶不思議な縁が働き、度々往生で鉢合わせすることがあるのである。
「沖田君は検分?」
「そうでさァ。めんどくさいったらねェや」
「仕事しろや、税金泥棒。そういえば、オタクの副長さんは………」
 西に沈みかけていた太陽の光が雲によって遮られる。一瞬にして薄暗くなった景色の中で総悟は指先が冷たくなっていることに気が付いた。銀時の表情は変わらない。
「土方さんは、まだ寝たままですぜ」
 自分で言って、その言葉の意味する不自然さに眩暈がした。刀の柄に腕を触れると少し落ち着く。
「そう。馬鹿みたいにひどい怪我だったもんな」
「無茶な人ですから」
「たまに頭良いのか悪いのか分かんなくなるよ、アイツ。考えなしに突っ込むときあるだろ」
 総悟は一瞬眼を見張った。銀時の言葉が脳内を彷徨う。なぜか、銀時が一瞬、とても遠い他人に思えたのだ。総悟の中で造られた銀時という人物がパラパラと瘡蓋のように剥がれていく。無性にその事実に可笑しさが込み上げてきた。
「まぁ、命に別状は無いですし、あと二三日したら目ェ覚ますんじゃないですかィ」
 くつくつと込み上げてくる。口元に出さないよう、足の裏と尻の穴に力を込めた。隣にいるはずも無いのに強く気配を感じて、優越を感じた。
 その時、何の前触れも無く耳の奥に言葉が浮かんだ。掠れた低い音で、いつ聞いたのかは思い出せない。
「いいか、総悟。人との関係性なんてその時その時で簡単に変化するんだ。永遠なんて、ないってこった。だけどな、どうしようもなく寄り合っちゃうもんも中にはあんだよ。そん時、必要な奴がふっと前に現れて、去っていく。だがな、何の因果か寄り合った奴は何かの歯車が狂うまで離れねーんだ」
 土方は酒を嗜んでいた気がする。愛刀の鯉口をはばき分切って、また戻す。チャキっと小気味のいい音が鼓膜に響いてなかなか離れなかった。
「自分以外の奴の気持ちが分からないなんて、当たり前なんだよ。どんなに偉ぶってる奴でも経験つんだ奴でも奥のほうは分かりゃしないんだ。どんな事でも言えるけどよ、全容が分からなかったり、確かなことがわからないんだったら、無理に判断しねェほうがずっといいんだ。早合点して無理に結論つけようとすると大概間違うんだよ。自分の観点で相手を見なきゃどうしようもねェけど、唯一いえるのは、たいした奴だなって思っても、実際は思った半分もそいつはたいした奴じゃネェンだ」
 総悟は今になって租借する。
「旦那ァ」
 今日当たりもしかすると眼を覚ますかもしれない。もう二日も寝込んでいる。書類は溜まる一方で、総悟もこんな状態ではサボれない。
 銀時は気の無い返事をした。
「もしかしたら、旦那と土方さんは思ったより似てねェのかも知れねェな」
 あからさまに銀時は嫌そうな顔をする。その表情を見て、銀時は幾多の感情を重ねて重ねてめんどくさがって自分を保っている面もあるのかもしれないな、と思った。誰にでも深いところに闇がある。そこは自分本人だって気付かない程の複雑な線がいくつも張り巡らされていて、自分でも手に終えないときがある。
 何かと突っかかっているが、銀時はおそらく土方を気に入っている。見回り組との騒動の後、釈放されてから一度、土方の入院している病院に見舞いに行ったらしい。
 銀時がいろんなものを失ってきたのだというのは何となく気付いてる。壊したり、孤独を感じたり、どうにもならないことに喘いで、その都度なんとか起き上がっているのはこれだけの付き合いの中で感じ取っている。
 ―――――――――――白夜叉
 土方と言葉を交わさないで意思の疎通ができるのは、あの事件で自分だけではないのだと思った。けど、もしかしたら本当は自分だけだったのかもしれない。
「当たり前じゃん。あんな奴と一緒にしないでくれない」
 雲は太陽を隠してどこかへやってしまったみたいだ。もう、帰らなくてはいけない。人の群れも四方に分散している。
 それはいつの間にか喉の奥から出てきた言葉だった。
「少なくとも、土方さんのことは旦那よりも俺のが詳しいみてェ」
 銀時は総悟の小声に今度は怪訝な表情を作る。一人納得してクツクツと総悟は笑う。
「旦那、俺はきっと分かってるから、土方さんの首を一発で仕留められやすね」
 銀時は黙したまま首をかしげる。
 総悟は先ほどの男女の骸の首筋を思い浮かべ、その哀れさに小さく溜息をつく。
 分かってないんだ。何にも。何も繋がってなかったんだな、あの二人は。そう思うと、その死骸も色褪せる。
 銀時に「じゃあまた」と小さく首を傾げて、薄く暗い田地に囲まれた細道を歩き出す。
 総悟の皮膚を掠る生暖かい春風が、ゆっくりと舞い上がる。