萩は毛利輝元が開府して以来、萩藩三十六万石の城下街として栄えてきた。萩城のある中心部は日本有数の規模を誇る三角州である。日本海に面し、三方が山に囲まれたこの街は川上村から流れる阿武川の下流が川島で枝分かれし、橋本川、松本川となって日本海にそそぐ。松下診療所はこの中心部から松本川を挟んだ対岸に面している。長州藩というのは正式な呼称ではない。毛利氏は萩藩を宗家として長府・清末・徳山・岩国の四つの支藩に分かれている。それらを総称して長州藩と呼ぶのだ。
 天保六年、坂田銀時は十歳となり薬の調合や診察の一端を松陰や門下の者に指導されるようになっていた。それに伴い銀時の内面は少しずつ変化していた。子供らしさが影をひそめ、父親の臓腑を覗いた経験からか、肝が据わり、いくらか、ふてぶてしくなっていた。持ち前の要領の良さが顕著になってきたが、どこか倦怠感を感じさせる雰囲気を醸し出し始めたのである。
 松下診療所には見習医員が銀時を含め三人いた。医師は吉田松陽含め六人が宿直し、三人が通いである。医師達の滞留は長くない。銀時が門を叩いた頃にいた医者は松陽以外にほぼ残っていなかった。新しい技術や最先端の医学を学ぶため、各地の優れた医師のもとに遊学し、師事を受ける事が探究心の強い医師達の通説であるし、松陽の方針でもある。これには万治三年に萩藩で定められた基本法も影響しているといえよう。「当家制法条々」の第十四条である。要約すると、家業発展のため他流で学ぶことを格別許可している、という旨が書かれてある。また、他国者による諸芸稽古も届けでて許可を受けての契約は認めている。学芸の向上のためには他藩への修行については寛大であり、その結果、自国の学術水準を高めていた。松陽は各国を遊学し歩いた自己の経験から、人脈が多岐に及んでいる。取次人となって門人に遊学斡旋をし、門徒から送られてくる書簡から新しい医術を我物としていた。萩城三の丸追廻し筋に建立している長州藩の藩校である明倫館で学ぶよりも松下診療所の松陽に師事した方が漢学や医学は優れていると謂われていた。
 銀時が小机に向って松陽の著した察証弁治を写していると、板戸を開き入ってきたのは藩医和田昌景の長男であり銀時と同じ見習医員である桂小太郎だった。薬と鉄の臭気を帯びた鼠色の半纏を脱ぐと「いやあ、見事だった」と溜め息が漏れるように云った。「さすが、先生だ。見事な縫合であったぞ。あれだけ短時間に的確に縫えれば患者の苦痛も少ない。実に鮮やかな手捌きであった」
「腹か」
 と訊くと桂は神妙に頷き「腹だ。傷口からは大腸がはみでておった」と、まるで目の前に大腸があるかのように手を動かし、「先生は医学だけではなく、学徳もあられる。漢学も精通しておられるし、異国の書物も精読しておる。あらゆる宗派について深い知識もあられる。俺達は倖だ」
 実際、松陽の学徳と医術を慕い各地から門人にしてくれと懇願してくる者は多い。日がな一日多忙を極めている松陽は、集ってきたものに自分の著した書物を貸したり、空いた時間に講義を開いたりもしていた。そんな松陽に見習医員である坂田銀時、桂小太郎、高杉晋介は将来性があると見込まれ寵児されている。銀時は自分のどこが松陽に見込まれたのか皆目分からなかった。
 銀時には微かな罪悪感もある。桂小太郎や高杉晋助が松陽を語るときの熱を帯びた賞賛を素直に感受できないでいた。確かに、尊敬する恩師である。視野が広く、常に識を広め、医学や儒学の精究に余念がない。医術に関しても確かな腕を持っているが、決して誇示しない控え目で謙虚な姿勢は稀にみる人物といえよう。しかし、どこかで銀時は奇妙な違和感を感じる事があった。言葉で適切に言い表すには銀時はまだ幼すぎるが、ふとした時に心中が閊える。松陽は人を感化する。思想には矛盾がなく、松陽の門人となったものは、松陽を親のように慕い、崇める者までも出てくる。熱に浮かされ眼をぎらつかせて松陽に教えを請い、議論を交わすその熱気に銀時は火傷するような漠然とした畏怖が胸に過ることがある。もしかしたら、と銀時は思案する。桂や高杉のように藩士の血をひかないせいかもわからない。自分の内の微かな不安に銀時はそう理由をつけていた。
 銀時はこの時も桂の昂揚に漠然とした不安が胸を過った。
「銀時、おはよ。桂も」
 その声に銀時は筆を置き、庭に眼をやった。老樹の松の木の前で土方トシが木綿の着物に前掛けをし、入所患者達の洗い物が入った桶を抱えていた。
「おはよ、おばさんの具合は?」
「また今朝方に熱を出した。だから、今日から、お手伝い」
 銀時のいる四畳半の縁側に寄って洗い桶を縁に置くと、物干し竿に洗いざらしの袖を通してゆく。銀時はなんとはなしにトシを目で追った。長閑な日差しは、きびきびと働くトシに降り注ぎ、銀時は明るい気持ちになっていることに気がついた。トシに会うのは二週間ぶりである。
 としの母親は病弱だ。胸が悪く、一度熱を出すと長患いになる。そのため、治療や薬の代金のかわりに松下診療所で下働きをしに来ることがよくあった。トシの母に銀時は松陽の往診に付き添った時、顔を合わせている。痩せて青白い顔をした弱々しい女性だった。だが、微笑はトシとそっくりで穏やかであった。松陽の触診を書きつけながらも、部屋の隅に控えて静かに座っているトシに意識が向かっていた。真っ直ぐな眼をして診察の様子を眺めるトシの哀れさが、親を亡くした自分と重なるのだった。
「トシ殿が見えると、銀時の顔が明るくなる」
 揶揄したのは桂である。銀時が軽く睨むと、ではごゆっくりと自室に退散した。
「最近、道場にも来ないな」
「うん、なかなか時間が取れなくて。これ終わったら少し相手してくれる?」
 ちゃっかり竹刀を持参しているトシに苦笑すると、
「じゃあ、手伝う」
 銀時は裸足で中庭に降りて、トシと並んだ。銀時を仰ぎ見る無心の眩しいような微笑に胸の詰まる思いがした。トシは色白で整った顔立ちである。銀時はトシを思うとき、寒風に晒されながらも明かりを灯すような梅の花を思う。控え目で気品があり、落ち込んだ時に見かけると元気を呉れる花だ。
 鉢巻をして、気合いの掛け声をあげる銀時とトシの竹刀がぶつかる音が響くと、高杉や桂も竹刀片手に飛び出してくる。診察の区切りのついた松陽も面白そうに顔を出し、医師達も中庭を見渡せる縁側に続々と出てきた。銀時もトシも正眼に構えている。女だてらに甘く見ると痛い目をみることは過ぎるほど知っていた。防具をしていないので、技を相手の肌擦れ擦れで止めなければならない。これには高い技術を要する。トシには剣術の才がある。塾頭もトシが男であれば優れた剣客になれただろうと惜しがっていた。男だらけの道場で揉まれたせいもあるだろうが、トシには物怖じしない豪胆な資質があった。
 決して油断はできないが、銀時の腕はここ数年で格段と上がった。トシの動きが視えている。並はずれた洞察力と運動神経がこのところ抜きんでて、塾生を唸らせていた。向かってきたトシをいなすと竹刀を返し、首元に突きつける。僅か足らずに勝負がついたが、トシの竹刀の先皮も銀時の腹から僅かの距離で止まっていた。
「鮮やかですね」
 と松陽が感嘆すると、触発された高杉が銀時に勝負を申し込んだ。
 学問や医術を学ぶ環境が整っており、切磋琢磨する悪友がいる。恩師は尊敬ができる人物で、度重なる農民一揆や少しの不安的要素はあっても銀時は平穏な毎日を送っていた。高杉や桂と戯れ、トシが楽しそうに笑い、穏やかな眼で見守る松陽がある。その光景を懐かしがることになろうとはこの時、少しも思いはしなかった。銀時はまだ明るい日差しの中にいた。

 翌年の天保七年三月、高杉晋作が松陽の勧めで長崎に遊学することになった。続いて四月、桂小太郎が高杉同様、松陽の勧めで大坂に遊学することになる。意気揚々と旅立っていく二人の門出を見送った時、銀時は何故か二人とは違う道に自分が進むような気がした。桂を高杉同様に萩往還の坂堂峠まで松陽と見送った。萩往還は通称を御成道といい、日本海側の萩と瀬戸内海側の三田尻湾港を結ぶ庶民にとって重要な往路陰陽連絡道である。坂堂峠を越えれば山口藩はもうすぐだ。
「銀時」
 松陽の声は柔和く、言葉遣いは丁寧慇懃である。快晴の空を木々の間から見上げる。峠の風は冷たかった。
「はい」
「君はもう少し私のもとで学んで欲しいのです」
 起伏の激しい山間道である。もう少し進めば石州赤瓦屋根の美しい家並みの集落に入る。集落を過ぎれば、旅立ちや帰郷に思いを馳せた人々が歩き染めた、敷き詰められた石畳道だ。それまでは熊や蝮の出る道であるから自然、早足となる。
「私は藩士の生まれです。私を形成する基本は、幼少時に学習した四書五経や文政十年の詔、神国令です。私の語る思想の根元には、神国思想や尊王思想が根強くあるのです。長崎の鳴滝塾で施福多先生の門弟となり、多くの西洋書や、先生の医術の最新的技術、講義を受け、西洋の先進文明に触れてからもこの思想は変わりません。かえって列強諸国に対する危機感が増強しました。しかし、これは私の経験や、経験に基づく観念の集約です。思想は時代によっても変化するでしょうし、もちろん個々人によっても、地域的、民族的な違いもあるでしょう。一つとして同じ考えはないのです。正義は人によって異なるのです。銀時、君は君の道を進みなさい。疑問を持つことや他人と異なる考えを抱くことを恐れてはいけませんよ。何があっても揺るがない自分の中の確固たるものをこれから君は培っていくのです。しかし………おそらくですが、徳川の時代はこの先、そう長くはないでしょう。時は絶えず変化します。そうなった時に、自分の信念を貫けるよう、強くなりなさい」
「やだな、先生。なんか、遺言みたいだ」
 振り返り微笑んだ松陽は銀時の君の毛を掻き混ぜるように撫でた。もうガキじゃねぇのにと不貞腐れたふりをしながらも、銀時は森閑とした山道が果たしてどこに続くのか一寸、分からなくなった。