「梅」
 柊が呼ぶと梅は身体を竦ませた。ぱらぱらと落ちる音がして何やら小さな後姿が焦っている。首を傾いで覗いてみると四つほどの飴が床に転げていた。急いで懐に隠そうと思った飴が小さな手の平から零れてしまって、その後姿が面白いくらい項垂れた。柊は俯いてる梅の飴を拾ってやり正面にまわって、ほい、と差し出す。
「そんな顔しないでも取らないし叱らないよ」
「柊姐さん」
 柊は微笑むと梅の手を取って手の平に飴を握らせた。梅の肌は雪のような見た目で、そのせいか、とても冷たかった。
「あの…………」
 梅は恥ずかしそうに目線を泳がせてから、俯く。俯くと睫の影が頬に落ちる。
 梅の頭を撫でながら柊は「早く隠しな、遣手に見つかったら取り上げられちまうよ」と忠告する。梅は急いで飴を懐に隠した。その慌てくさった様子が柊の胸をくすぐった。これまで柊は梅との接点が無かった。梅の静かな美貌は、鋭く近寄りがたくもあったせいで、柊は梅に対してあまり良い印象を持たなかった。
 直接梅と言葉を交わすのはこれが初めてだった。禿である梅を直接世話をしているのはお職をはっている柏木だ。柏木は気位が高く、いつもすました顔をしているので柊はこの女郎に嫌気を抱いていた。美貌で、見世でちやほやされる事も柏木の劣等感を刺激し、嫌悪を増殖させていた。その柏木の妹女郎である梅も自然と憎む対象になっていたのだ。遠目から見かける梅は齢五つながらも鼻筋が通り口元も品がよく髪は黒々としており肌は色白い。まだ小作りだが造作が整いすぎていた。静かな瞳は少し釣り上がり気味だったが、それが妙に色気があった。
 そんな先入観を払拭した目の前にした梅に柊は、不思議な感慨を抱いた。確かに綺麗な姑だ。この年齢でここまで垢抜ける女は珍しいだろう。それに、大人びている。所作が堂には入るとでも言うべきだろうか。しかし柊はこの姑に一種のそこはかとない侘しさを感じた。具体的にそれが何かは分からない。
「梅、今日お前は私の宴会で扇舞を舞ってもらうよ、後で女将から呼び出されるから前もって言っておこうと思って」
「扇舞…・・・?」
「そう。あいにく振袖新造は全員出払らっちゃってね。例外だが、仕方なく禿を出すことになったのさ。女将が言ってたが、あんた以外はみんな使いモンにならないらしいし」
「できるだろうか。柊姐さんの足手纏いにならないだろうか」
 可愛い事を言う。
「大丈夫だよ。いざとなりゃ、わたしがおぎなってやるからね」
 軽く頭に乗せ、二度艶やかな髪の毛に触れてやると、梅は小さく頷き「未だ習いの段階でとてもではないが人様に見せられる舞を舞う事は出来きそうにないけれど、精一杯やらせてもらいます」と言った。しかし、梅は途方に暮れた顔をしている。柊はとうとうこの梅が可愛くて仕方が無い。
 特別笑顔を見せるわけでもないのに、奇妙な愛嬌が梅にはあった。
 梅は去年の秋頃に女衒に連れてこられたばかりで奉公期間の日数が浅い。本来禿は姉女郎、つまり花魁の傍で、ただ従順に身の回りの世話、食事の給仕、煙管の吸い付け、お茶の持ち運び、廓内の走り使い、道中の供勤めをし、琴、三味線、茶の湯を習うのみとされている。千事屋でも異例に漏れず客席に侍る事はあっても、ただ座ってじっとしていることが勤めだった。そして、梅はそれすらも未経験なのである。遊女やその部屋の新造達に一人前の遊女になるため稽古をつけられたり行事作法を習うことが梅の日頃の常である。それにこの梅は、密かに引込禿候補でもあった。つまり、他の禿より厳しくも手塩にかけて教育されているのである。
 梅は物覚えがよく器量である。掴むところを不思議と的確に心得ていて、同じ事を二度注意される事は無いと、郭内での評判も滅法良く、柊も梅に賛辞を呈する声を幾度となく耳にしてきた。それと同じくらい、やっかみの声も耳にしている。しかし、柊は知っている。大抵陰口を叩く女は自分の身の程を弁えず、他者を貶し優位に立った気になるのだ。そういう性根の悪さは、目利きのあるお大尽などの上客は不思議と察知するらしく、野暮な客しかつかない。結局、自分の身の丈に合う男にしか相手にされないのである。それが上級の遊女と下級の遊女との差だ。
 梅は濡れ場に立ち会った事はない。声だけは走り使いの時にウッカリ聞いたことがあるかもしれないが、その目で見た事は一度もない筈である。姉女郎に話を聞く事はあるかもしれないが、実際に陰部をどう男に弄られるのかは未知の領域だろう。恥部を視淫もされていなければ慣らされてもいない。まっさらな処女なのである。
 この梅もいつか知らない男に胸を吸われ、愛撫を受け入れ、足の間を舐められてお開帳する。女陰を魔羅で突かれ、切ない喘ぎ声をあげる。涼しいこの顔を快感で歪ませるように演じる―――――――――――。その表情を想像すると柊はなぜか身体が火照り、足の間が湿ってくるようだった。
 知らず、梅の唇を親指でなぞっている。
 透き通った梅の眼差しは何もかもを感受した向こう側にいる気がして、気難しい柊はこの梅に不思議と惹かれていた。