水気の抜けた葉がからからと音を立ててアスファルトを滑っていく。やがて道端に落ち付いて、そのままどこにも行けない。
 十月の初旬。肌寒さは加速して、夏の猛暑は跡形もない。
 空気は澄み渡り、夏と冬を繋ぐ季節はゆっくりと足踏みをするようにして過ぎていく。
 坂田銀時が待ち合わせ場所に着くと、相手はもう既にそこにいた。後ろ姿がいつもより頼りなく見えるのは錯覚だろうか。
 腕時計で時刻を確認した。提示された時刻より四十分も早く銀時は到着しているのに、相手はそれよりももっと早く着いている。その事実が、銀時を惑わせた。ポケットに手を突っ込み、五分ほどその場にいたが、迷いがある。相手が振り向かないことを幸いに、適当な待機場所を探すため辺りをぐるりと見回すと、ガラス張りの窓にカフェの店舗を設けているデパートを見つけた。もう一度腕時計に目線を移してから、足早にカフェに向かった。
 交差点を渡って直ぐの建物だから然したる距離はない。待ち合わせ時間になるまで猶予がある。
 表の時計塔が見やすい位置に腰を落ろすと、ウエイターが注文を取りにやってきた。薄手のコートを脱ぎながらココアを頼む。かしこまりました、と低声の女性ウエイターはなかなかに可愛い顔立ちをしていた。踵を返し姿勢良く歩いていく後ろ姿を見送ってから、窓の外に視線をやって頬杖をつく。丁度時計塔の正面―――――――――――土方十四郎が正面に見える席だった。
 店内はほっとするほど温かい。外の寒との対比で身体が弛緩している。携帯を取り出して昨晩の受信メールをディスプレイに映す。何度見返しても、本文に変わりはない。
 午前中は晴れ間を覗かせていた空は、少しずつ怪しい雲行きになってきている。天気予報は一日中晴れだといっていたが、雨が来るかもな、と思いながら携帯を手持ち無沙汰に弄っていた。
 どうも気もそぞろだ。気後れとも憂鬱とも違うが、漠然とした靄が胸に去来し続けている。原因は待ち合わせの相手である。
 土方十四郎に告白されたのが一年前。幼馴染でずっと腐れ縁の存在だった。喧嘩は日常茶飯事だが、喧嘩ばかりではなく、何かが切っ掛けでウマが合う時には二人の実家が近所という事もあり遊んだりもした。啀み合う事は常だったが、お互いに成人してからは連れ立って飲みに行ったり、ほぼ同時に一人暮らしを始めたので、どちらかの部屋で過ごすことも多くなった。もつれ合うような、そんなちぐはぐな関係だった。
 あの日、土方の部屋で映画を観ていた。何を鑑賞ていたのかは思い出せないがアクション物だった気がする。そこそこ熱中していたら、急に肩に凭れかかってきた。寝たのか、と顔を覗きこめば目は開いていて「何?」と尋ねると、土方はテレビを見たまま「好きなんだ」と言ったのだ。「この映画?」と訊いたら「違う。てめぇだ」と不思議な温度の声だった。「ああ、俺もお前のこと嫌いじゃないし」とかそんなようなニュアンスの言葉を返したら、左右に首を振り「どっちかっていうと、愛してるに近い好きなんだよ」と、平然と言う。動揺した。土方はテレビを観ていたが、その時の口調や表情は冗談を言う時のそれではなかった。何年も一緒にいたから、土方の言葉の意図が紐を解くように、するりと解ってしまった。動揺はしたが、それを表に上手く表現できないままの銀時が「俺もお前も男なんだけど」と確認する様に訊くと「そうなんだよな、それが問題なんだ」と無感動に、然したる問題とも思ってない調子で言ってから、銀時の手を握ってきた。「それでも、好きみてェだ」
 返事はいらないと、今まで通りの関係でいいと言われて、頷いた。
 感情の起伏がお互いに乏しかったから、今まで通りの関係が続いた。あの告白は無かった事にはならなかったが、それで何が変わるわけでも無かった。相変わらず土方は土方で銀時は銀時のままだった。たまに思い出す様に土方に「やっぱ好きだな」と言われたが「バカじゃねぇの」と笑えば甘い雰囲気なんてどこにも見当たらなかった。
 土方を恋愛対象として視た事はなかった。客観的に土方を判断する事は出来たが、距離が近すぎてどう考えても身内であり、それ以上だった。たまに、よくよく銀時は胸の内に自問した。土方と接吻をする事も性交をする事もできると思う。土方に煽られれば勃起もするだろう。だが、それと同時に土方に好きな人ができれば心底応援できるだろうし、もしも土方が結婚したら最大限に祝福できるだろうとも思う。いろんな種類の感情が入り混じり、銀時は答えが出せずにいる。だから、そのままの距離であればそのままでいいし、土方が変化を求めてくれば、それに対して関係の転換もできなくはない。
 銀時としてはこのままの関係でいたかった。
 関係に明確な位置づけを望んではいない。土方が生きていればいい。元気で過ごしてくれればそれでいい。深い所で繋がっている、そう感じる事ができればいい。
 なぜ、自分がそのような思考になるのかが解らなかった。だが、それは土方と初めて会った時から、もしかしたらもっと前から、約束されている事のような気がした。土方とはいつの世でも何度生まれ変わっても巡り合ってしまうのかもしれない、そんな夢物語のような事も考えた事がある。
 歪んでいる自覚はあった。どこか土方に押し付けていると、そういう負い目も少なからず感じていた。
 それが、つい一週間前に思い知らされたのだ。
 狂逸した感情を持っていたのは銀時だけで、土方はもっと別の角度から銀時を思っていた事を知らされた。土方は、銀時の感情以上のもの全てが欲しくなった。
「やっぱり、無理だ」と土方は言った。「忘れて欲しいとか、このままで、とか言ったけど、ずっと妙な気持ちだった」場所は前回同様、土方の部屋だった。そして、映画を観ていた。ジャンルはコメディーだった。「俺は銀時が好きで、それでいいと思ったんだどな。なんかそれだけじゃこう、なんて言うか、歯痒い」土方は自分で自分の気持ちを確認する為に喋っているようだった。「キスしてェなァ、とか、セックスしてェなァ、とかもたまに思うんだが、それは別に無くてもいい。お前、時間さえあれば俺とずっと居るし、それに満足してる自分もいる。だけど、どうにも、もどかしい」
 銀時はビデオ用のリモコンを持って画面を停止させる。土方の気持ちを考えてみたが、他人の気持ちを考える事ほど無責任はものはないな、と考えて、では自分はどうしたいかを考えてみた。
「あのな、俺、思うんだ。俺がキスしろって言ったらお前はきっとしてくれる。セックスもしてくれるだろう。でも、それとはちょっと違う………」
 お互いに何も映っていない黒い画面を見続ける。黒い画面に反射したお互いの顔を視ていた。
 土方は唇を噛んで黙り込んだ。言葉を探しながら自分の気持ちの行きつく先を辿っている。その時にはもう銀時は気がついていた。銀時に足りないものは土方に対する欲だ。だから穏やか過ぎる感情しか示せない。
 暫く黙ったままでいた土方が嘆息した。「伝えればそれでいいと、思ってたんだけどな」それから首を傾けて銀時を見た。眼が合う。土方の眼差しは真っ直ぐだった。「だから、今週の土曜日、待ち合わせして、そんでラブホ行ってセックスもキスもしようぜ。もし、お前がこのままの関係を望むんなら、待ち合わせ場所に来るな。そうしねェと、俺は、どこにも続かねぇ気がする」
「お前は、どうしても変化を求めんのか」
「同じとこに居続けるのは悪くねェし心地良い。でも、俺は多分、銀時ともっと違ったもの見てみてェ」
 ゆっくりと瞬きをして、銀時は少し笑った。
「俺、得意じゃねぇのよ」
「何が」
「大事なもんが如何に大事か分かるのって失った時だっていうだろ。アレ、俺、信じてねぇ。大事なもんは失わなくたって大事だって分かってる」
「ああ」
「俺にとってお前は大事だし、無くしたくねぇモンなんだ。それは、確かだ」
 土方が目線で続きを促した。ビデオデッキの起動音が息継ぎをするかのように止まる。
「お前のどんな汚ぇもんみても、俺はお前が好きなんだと思う。だからこそ、お前を一人占めにしてぇとかあんまり考えた事ねぇんだ。お前とセックスしたりキスしたりは、しようと思えばできる。でも、そうしちゃいけねぇ気もする。お前と世間一般に言う恋人になるのも、なんか違う気がする」
「でも、俺はお前と先に進みたい」
「だけど………」
「だから、いいじゃねぇか。銀時、お前、ずっと考えてくれてたんだろ。もしかしたら、一度やってみれば、何か手応えが掴めるかもしれねェじゃねぇか。俺は、このままでいるのは辛いし、もう嫌だ」
「もし、なんも変わんなかったらどうする」
 そん時はそん時だ、と土方が笑った。テメェは存外、正直な奴だから、半端な気持ちだったら現れねぇだろう。それでも、俺ァ、構わねェよ。
 不敵に北叟笑んだ土方は揺るがなかった。だから「メールする」と帰っていった土方に銀時は何も声をかけられなかった。

 そして土壇場の直前の今ですら悩んでいる最中だ。
 感情には種類がありすぎる。一つの物事を思考しても、それには幾重も枝分かれがあって、忽ち分けが解らなくなる。それにそもそも、恋人同士になったからって何かが変わるのだろうか。関係に名前がつくだけじゃないのだろうか。
 土方と話していた時は漠然とだが手応えがあったものが、今は宙ぶらりんに浮いている。どこに進むか何を望むか、土方を好きだと思うのは、土方に幸せになって欲しいと云う気持ちと何が違うのだろうか。
 確かに生温いところにいる自覚はある。このままじゃどこにも行けない。だが、変化はどこかに続いているものなのだろうか。
 分からない。
 ウエイトレスがコーヒーのお代わりはいかがですか、と聞いてきた。二杯目以降は無料サービスらしい。「じゃあ、もう一杯」と答える。然して欲しくはなかったが、もらえるもんはもらっておく主義である。時計を見れば、定刻まであと十分だ。
 外は完全に曇天に変わった。傘は持って来ていないが、ここはデパートの内だからどこかの階に傘ぐらい売っているだろう。土方は、と注視するが、手ぶらだった。
 ラブホテルに行ってセックスをしてキスをする。土方とならできる。だが、できるのと、したいのと、欲しいのは違う。
「土方が、欲しい」
 口に出してみたが、やはりよく分からない。
 わからないものはわからないままでいい、いつかどこかで訊いた科白だ。わかんないものはわかんないままで、じゃあずっとわからないままなのか、いつかわかったりもするものなのか。
 バカじゃねェの、と自嘲する。ただ、怖いだけだろう。本当はもう決まってるンじゃねぇか。レシートを手に席を立とうと思ったその時、銀時の動作を止めるように、ぽつっ、と一滴、窓を雨が叩いた。
 あ、と空をみると、次から次に雫が落ちてくる。たちまち地面を叩き、小豆をひっくり返したような雨音が聴こえてきた。時計を見る。約束の時間、一分前。時計塔に視線を向けると、土方がそのまま立っていた。
 何故かはわからないが、銀時は座ったままでいた。土方は傘を持っていない。
 銀時はそのまま動けずに、窓の外のたった一人だけを凝視している。
 土方が腕時計を確認したのが見えた。辺りをきょろきょろ見回している。約束の時間に時計塔の針が動く。土方が、濡れていく。
 同じように待ち合わせをしていたのだろう人垣が急な雨に慌ててそこを離れていく。傘の花も幾つか咲いた。土方は動かない。ただ、辺りを見回している。
 銀時も動けない。
 土方は再び時計を確認して、辺りを見回し、また確認する。雨に濡れている事なんか頓着していないみたいだった。携帯を取り出して、何か操作をして、時計塔を仰いで、また腕時計を確認して、時計塔の針を確認する。しばらく同じ動作を繰り返して、人の気の消えた時計塔に寄りかかる。銀時の位置から、土方は鮮明に見えていた。深呼吸をしている。前髪からはぽたぽた水が垂れて、洋服は色が変わっている。寒さに両腕を抱えていて、その動作で初めて、そうだ、外は寒いんだ。と、銀時は思い出していた。だが、まだ、席を立てない。
 遠目からでもわかる。不安そうな眸を瞬かせている。構わねェよ、と気丈に笑った土方はどこにも居なかった。時計等に寄りかかり、緩慢に左右を見回している。
 十分が過ぎた。
 土方は時計塔から背中を離して、また辺りを見回した。突風が吹き、土方が目を閉じた。そのまま、ぐっと耐えるようにして、俯く。暫らくそのままでいて、やがては力を抜いて空を睨み、諦らめの混じった寂しい微笑を浮かべた。
 その瞬間、銀時の中で何かが弾けた。レシートを掴んで、千円札と一緒にレジに置き「お客様、お釣り」と慌てる定員の声を背中にして走った。
 デパートを飛び出して、赤信号にもかかわらず横断歩道を横切って、土方へ向かう。鼓動を刻む心臓が煩い。
 銀時に気がついた土方が目を瞠った。直ぐ目の前まで来て、土方を斜眼む。寒さは感じなかった。濡れる不快も感じなかった。心臓だけが異様に速かった。
「お前、傘は……」
 自分の事をまるで棚に上げて言う土方の手首を掴む。土方は息を呑み、途方にくれた子供みたいな顔をした。幼馴染みのこんな表情を見たのは随分と久しぶりだった。
 銀時は、初めて土方を欲しいと思った。
「傘なんか、どうでもいい」
 そのまま、身体の向きを変え、足早に歩く。土方の手首の熱が、握っているそこだけが温かい。
「おい、銀時!」
 なぜか、泣きたくなった。雨に濡れて、気付かれないだろうか。と、それでも歯を喰いしばる。
 雨脚はどんどん強くなる。雨の音が激しくなるつれて、なぜだか、土方が欲しくて、たまらない。