悲願



 門関通りを真っ直ぐ歩いて菊谷橋に差し掛かる。後ろも前も寺ばかりで、雪野対馬は困ってしまった。
 唯一の頼みの地図はさっきから一向に役に立たない。不親切にも程がある。建物の絵は書かれているのだが、寺の名称が記されていないのでどれがどれだかさっぱりだし、いくら目を凝らして読み取ろうとしても、現在の位置が掴めない。しばらくにらめっこを続けていたが、肩の力を抜いて出鱈目だ、と手から離し風に遊ばせた。
 江戸の町は徳川家康公が敵の侵略を防ぐために道を渦巻き状にしたというが、あれは本当かもしれぬ。まるで迷路のように入り組んでいる。これは最早道を聞く以外他にあるまいと、橋の中央で煙管をふかしている男に声をかけた。
「あの、すいません。真選組の屯所はど………」
 己の中の精一杯で人の良さそうな声色を使って訊いたのだが、振り返った男の顔を見て言葉が止まった。まさしくその形相は何の比喩でも無く鬼の顔だったのだ。右半分に鋭い傷跡が不格好に残っていて、眉毛は墨を垂らしたかのように太く歪だ。眼は血走っているし、鼻は見事な鷲鼻である。髪の毛は剃ったのか一切生えていなく、恐ろしいぐらいの長身だ。横幅もかなりある。何より醸し出す不穏な気配に、ここではマズイとたじろいだ。
 男はその雰囲気を一切裏切らないで、雪野の胸元を捩り上げた。
「テメェ、誰に口利いてると思ってんだ」
 地の底から出された声に、音を立てて唾を呑む。死ぬか生きるか分からない真選組に入隊する前に不運に見舞われた。
「あ、あのすいません。すいません」
 弱り切って謝る事しか出来ない。助けを求めようと左右を見回しても通行人は見て見ぬ振りをして通り過ぎるだけだ。誰も関わりたくないのだろう。雪野だって傍観者なら同じようにしていた筈だ。男が懐から手を出した。それを見てギョッとする。小指が無い。しかも、小指以外の掌が小刀を握っていた。
 男は雪野の顔を舐めまわすように眺めて、ほぉっと気味の悪い笑みを浮かべた。
「おめェ、良い面してんな。本当に男か」
 小刀で股間を下から叩かれる。樋の部分なので斬られる心配はなかったが、そこをどうにかされるのは勘弁願いたい。
「この顔なら犯してから、いたぶって殺すのも悪かねェなァ」
 下卑た笑みを浮かべる男を涙目が捉えて、戦きながらもどこかで覚悟した。その時だった。雪野の胸倉を掴んでいた男の手首にも一つの手が現れ、あっという間に男を突き飛ばしてしまった。その反動で雪野もバランスを崩し腰を地面に打つ。愕いて眼を遣ると、絡んできた入道雲のような男は尻もちをつきながら激怒した表情をしたが、サッと一瞬で顔色が変わったかと思うと、一目散に逃げ出した。
「大丈夫か」
 声を掛けられて恐縮した。倒れる前に一瞬見えたが、どうやらこの声を掛けてくれた人が助けてくれたみたいだ。膝を地に付け頭を下げる。
「この度はどうもありがとうございました。江戸に出てきたばかりで何も分かりませぬゆえ、こんな事態になってしまい」
 喋り終える前にひたひたと足音が遠ざかっていくので、慌てて顔を上げた。
「あ、あの!」
 男はぶっさき羽織りを肩に掛け、高下駄を履いている。しっとりと深みの濃紺の着物がスラリと綺麗な後姿に似合っていた。雪野の声に半身だけ振り返る。もっと年かさが上だと思っていたが、存外あどけない。若く整った顔立ちをしていた。
「真選組の屯所に行きたいのですが、御存じないでしょうか」
 二度瞬きをしたのち「この先の突き当たりを右に行けば着く」とだけ、言う。
「本当に、ありがとうございます! このお礼は」
「いいから」
 男はもう歩き出していた。手をひらひらと振って、進んでいく。悠然とした後ろ姿を見送りながら、役者のような男だ。江戸にはかような色男がいるのか、と感動し、我こそもと決意を新たにした。
 
 言われた通り着き当たりを曲がると、真選組屯所がすぐに目に飛び込んできて肩を落とした。こんなに近くだったとは、全く先程はえらい目に合った。屯所の眼と鼻の先で危うく犯され殺されるところだったとは、何とも情けない。
 門の前に二人の恰幅の良い門衛が槍を持って構えていた。威風堂々と、を意識して胸を張って歩いていく。門衛の前まで来ると、兵隊のように回れ右をして「頼もう」と大声を出した。出してからしまったと思った。これでは道場破りみたいではないか。
 門衛は訝し気である。
「わ、わたくしは、日苗藩を脱藩してきました。雪野対馬と申すものです。お国のお役に立てたらと思い、志願して参りました。どうぞ、雪野対馬雪野対馬をよろしくお願いします」
 緊張したせいで頓珍漢な挨拶をしてしまった。門衛の右側の頬が痙攣している。左側はジロジロと雪野を値踏みするように見てから「本日は局長が留守である。また日を改めたし」と一蹴した。
「そ、そんなぁ」情けない声が出た。「もう、金が一銭も無いのです。どうか、入隊させてはいただけませんか」
 食い下がってみるのだが、目の前の壁は厚い。
「日を改めよ」けんもほろろである。
「そ、そこをなんとか」
 とうとう懇願しはじめたら「なんでィ」と後ろで声がする。振り返ると、隊服を着用した同い年くらいの青年が立っていた。亜麻色の髪の毛がやけに印象深く、その髪色をしていても浮かない整った可愛い顔立ちをしている。
「沖田さん」と門衛の一人が口にして、雪野は眉を寄せた。沖田というのは知っている。真選組一番隊長、沖田総悟の事ではないだろうか、剣の腕は超一流と聞く。噂では何十人もの相手を一人でのしてしまう程の最強の剣客だとか。
 いやいやまさか。と首を振る。こんな線の細い甘い顔をした男が真選組随一の一番隊長の訳が無い。沖田と呼ばれた青年はポケットに両手を突っ込んで無表情を崩さない。足元から頭の先までを観察されて居心地が悪くなった。
「コイツ、なに?」
「はっ! 入隊希望だとかで」
「ふうん。入れてやればいいじゃん」
 沖田の一言に門衛は素直に従い端に寄る。
「あの、いいんですか?」
 聞くと、沖田と呼ばれた青年は「いいんじゃないの」と平坦な声で屯所に入って行った。雪野も慌てて後を追う。
 屯所内は広かった。建物がいくつもある。庭も整備されていて、思ってたより雑多な感じはなかった。男所帯と聞いたから覚悟はしていたが、案外女中でも雇って綺麗にしているのかもしれない。
 掛け声が聴こえる。左に建っている建物からだ。おそらく道場だろう。沖田が迷わずそっちに歩いていくので雪野も従うしかなかった。
 道場は流石に男臭かった。だが、活気にあふれている。総勢六十名くらいはいるのだろうか、各々稽古に励んでいた。雪野は物珍しくてきょろきょろ見回す。変わった稽古が多い。六人対一人、だとか、集団である一点を突いたりしている。突きの稽古が多いのも目立った。
 沖田が傍らに居た男に声を掛けた。
「土方さんは?」
「副長なら着替えて顔を出すって言ってたよ」そう言ってから雪野の顔を見て沖田に目で問いかける。
「ああ、コイツ、入隊希望者」
「へぇ、幾つだ」
「今年で十六になります」答えると、若いな、と呟かれた。沖田は涼しい顔をしている。
「名は?」
「雪野対馬と申します」
「えらい整った面してんなぁ、俺は八番隊の藤堂っていうんだ、よろしくな」
 藤堂は笑うと八重歯が目立つ。だが、男気のある表情で、隊長の風格が漂っていた。対して沖田はやはり優男風だ。名字が一番隊隊長沖田総悟と同じなのだろうと思い立って一人納得した。
 道場の扉が開く音が聴こえた。途端に、空気が変わる。黒縮緬を一面にあしらえた着流しを粋に着こなした男が入ってきた。
「あれが副長の土方」と、耳元で沖田の声がする。眼を見張った。思わず「あ!」と叫んでいた。伏していた土方の瞳が雪野を捉えるとバツが悪そうに舌打ちをする。
「あの、先程はありがとうございました! 危ない所を助けていただきまして、まさか真選組の副長であるとは思いもよらず」
「助けたんじゃねェ、邪魔だっただけだから」
 捨てるように言い放つ。隣で沖田がニヤニヤしていた。
「土方さんは優しいなァ」
「うるせェ」
 藤堂が口を挟む「土方さん、この雪野、入隊希望らしいんですよ」
「幾つだ」ぶっきら棒に先程藤堂に聞かれた質問を土方も聞いてきた。すかさず「今年で数えて十六になります」と答える。
「若ェな。隊規通り、入隊試験受けて受かればうちで働いてもらうが、俺は気乗りしねェなァ」
 渋い顔をする土方に「俺、こう見えても剣術の覚えがあるんです」と陳ずる。
「さっきあっさりやられてたじゃねェか。それに若い奴ァ、殺したくねェンだ」と、零したが「おい、総悟相手してやれ」と顎でしゃくった。ふと見ると、隣に居た沖田が竹刀を振っている。驚くと沖田がニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。
「俺が一番隊長だよ、悪かったねィ」心を読まれたようで、ゾッとした。

 こちらが完全防備なのに対して、沖田は隊服にたすきをかけただけだ。先程まで稽古していた隊士たちが全員見物にまわっている。真選組に取り囲まれた気分になり、雪野は落ち着かなかった。
 土方は道場の壁に寄りかかり腕を組んで傍観している。遠目で見る限りはとても優しそうだった。とても鬼の副長と恐れられている人とは思えない。土方が見ている、そう思うと何やら顔が上気する様だった。沖田と対峙しているのもあるのだろうが、それでも心臓が激しい。いい所を見せたいと、竹刀を持つ手に力を込める。
「はじめッ!」
 沖田と向き合って、一歩踏み出そうとした時だった。冷や汗が湧き出る。身体が、動かないのだ。恐ろしい程の殺気が絡みついている。半身を開いて左に竹刀をだらんとたらすように構えているのだが、全く隙が無い。見物の隊士も一言も声を発しない。タダモノじゃない、と戦慄した。呼吸が荒くなっている。気付けば身体中が汗で濡れている。
 沖田が、動く。
 突きが来て、慌てて避ける。無様な避け方だった。電光石火のような激しさだ。それなのに物音一つしなかった。それから二、三突きがきて、必死に避けた。反撃の余地が無い。沖田の顔色が変わった。
 次の瞬間、激しい面を受けていた。
 竹刀で防具も付けているのに頭がくらくらした。
「それまで!」
 床に崩れ落ちそうになるのを必死で耐える。沖田が土方に「どうします」と聞いた。土方は「分かってんだろ」と静かに背中を壁から離して「雪野は俺の小姓にする。風呂に入って着替えたら副長室に来い」それだけ言って道場からふらりと出ていった。沖田は土方のいた方を暫く複雑な表情で見ていたが「まぁ、頑張ってな」と言い残すと同じように道場を後にする。
 雪野は小姓、土方の小姓、とそればかりが頭にあって、舞いあがっていた。が、へなへなと身体は力が抜けていた。

 雪野が入隊してから四ヶ月が過ぎた。
 実働勤務は土方の世話係以外無い。屯所から殆ど出ない日々が続いていたが、雪野は満足だった。土方の傍に入れると云う事が幸福だった。惚れてしまったのだ。土方十四郎という男に。鬼や冷酷と陰口を叩かれてはいるが、傍に居る時間が長いのでうちにそうではない事が分かってくる。隊士の一人一人を気に掛けているし、一度信頼を置いた者の事は決して裏切らない。いつでも隊の事を考えていて、自らを犠牲にする事も珍しくない。そして、孤独だ。隊士から恐れられる存在でなければいけないと徹底しているから、良くは思われない。全ての非難を引っ被っているから、結果的に孤立している。確かに残酷に処分を言い渡す事はあるが、それは全て理に適っていて、ずっと先のことまで考え、いかに犠牲が少ないかを慮った結果なのだ。
 不器用な優しさが歯痒く思う時もあったが、それを知っている数少ない人物の中に自分が入っていると思うと嬉しかった。
 唯一つ不満な点がある。
 亥の刻の頃になると、副長室に沖田がやってくる。そうすると、お役御免になるのだ。「雪野、もういい、あがれ」そう言われてしまえば、平隊士が雑魚寝する部屋に戻らなくてはならない。擦れ違う時の沖田は仄かに石鹸の香りが漂っていてそれだけで心がざらつく。この二人のお互いを見る瞳の色の優しさに気付いて歯噛みする。
 近藤勲、土方十四郎、沖田総悟は武州の道場、試衛館時代からの付き合いらしい。この三人が一緒に居る時は、他の隊士と居るときとはまるで纏う空気が違う。心底安心した雰囲気が行き来する。それがとても雪野を苛立たせた。土方が自分を見る目はどうしたってどこか冷やかな印象を受ける。沖田を見るあの目じゃない、と雪野は気付いている。
 邪魔だ、と思った。硬い布団で寝がえりを打つ。
 そういえば、と気付いたことがあった。真選組には山崎退という監察がいるらしい。まだ一度も見たことが無い。山崎は土方専属の部下だと云う話も聞いた。どんな人物なのだろうか。あれこれ考えているうちに眠くなって何時の間にか眼を閉じていた。
 障子が開く。雪野の掌に、何かが触れる。だが、雪野は目を開けない。ゆっくりと眠りに落ちていく。