本何賦枕



 土方十四郎は深谷藩旗本の江戸留守居役坂田家が長男、坂田銀時を佳く知っている。
 坂田銀時は奔放とした享楽主義の男だが、愚鈍ではない。普段は全くと言っていいほど見せないが、恐ろしいぐらいの慧眼で剣術も滅法強く、思いもよらず博学でもあり器用な男であるから、あらゆる面倒事から憚り巧みに生きている。己の居場所が窮屈で仕方ないが、他者との軋轢が死ぬほど煩わしい故に尊大な態度を取らない。その結果、世間の評判は頗る善く坂田家の嫡男こそ剛毅木訥仁に近し、人物なり。などと称されている。そんな尊称を耳にすると十四郎は腹を抱えて地面を滅多打ちにしたくなる。まさに、抱腹絶倒だ。
 十四郎は坂田家の下男の身である。にも関わらず土方という名字があるのは元は武家の息子だからだ。陸奥白河藩士土方隼人の長男として生を受けたが、十四郎の生後まもなくして隼人が原因不明の逐電をし、母親は産後の肥立ちが悪く死去。十四郎は親類縁者の計らいで小間物屋の使用人になった。だが、数年と経たずに追い出され前途が全く見通しのきかなくなったところを坂田銀時に拾われた。今でも銀時は事ある毎に十四郎に言う。「俺はあんなに呆れた事はねェよ」と。十四郎は商売にはてんで向かなかった。性質が捻くれ過ぎていて、お愛想やおべっかが使えない。商売人としては致命的で、お客に商品の質について問われれば、「三軒先の左側にある小間物屋さんに行きな、あそこはいいのを揃えていやがる。うちのは三日と使えばポキリと折れる。ほいっと、みなよこの箱を、櫛の返品の山だ」そのくせ、無類の子供好きで、往来を歩いている童子を見かければ店の商品持ち出して遊ばせてしまう。始終こんな調子で商売あがったり。叱り付けてもヘソを曲げる。挙句の果てが、買物に来た見目の悪い年増の女に「私に似合う白粉はどれがいいかい?」と訊かれ「白粉よりも、お面があります」と応えて大激怒され、奥から飛び出してきた店の主人が客に平謝りに謝って、十四郎に怒鳴りつけてきた。「今日という今日はもう我慢なんねぇ、お前、もう出て行け!」追い出されて途方に暮れていると、低い笑い声がする。恨みがましく振り向くと、侍風情がニヤニヤと笑っている。一部始終を眺めていたらしい。それが、坂田銀時だった。
「馬鹿だなぁ、お前、馬鹿だなぁ」
 十四郎は流石に少し不機嫌な顔をした。悪気は一切無かったのだ。だからこそ、救いようがなかった。立ち去ろうと踵を返しすと「おい」と呼びとめられる。眉間にしわを寄せて顔だけ振り返ると、銀時は懐手で言った。
「どうだ、その不器用さでは生きていくのがさぞかし大変だろう。面白いものを見物させてもらったことだし、ちょうど下男が一人足りぬ。俺の屋敷に来ねぇか」
 まるで歌舞伎浄瑠璃のような出来話である。十四郎は一瞬目を瞠ったが「ま、いっか」と風のように流れに身を任せる事にした。持ち合わせも無いし、腹も減っている。働くところも寝床もたった今しがたなくなってしまった。そこが嫌なら抜け出せばいい。遠慮や恐れ多いという謙虚さは生憎従来持ち合わせが無い。十四郎にとってはお武家も町人もただの人だとしか感じなかった。人間の優劣を全くもって意識しない無邪気さがあった。
「見物料は高く付いたぜ」
 踏ん反り返って偉そうにすると、銀時が噴き出した。その時ほど顔を崩して笑った銀時を、十四郎もそれから見かけてない。
 時は経ってその頃よりはだいぶ分別がつくようにはなっているものの、銀時に対する態度は現在も気安い。それは、銀時がそう望むからでもあった。銀時は下男や世話人などいらないのではないか、と思うくらい己の事は己で片付ける男だ。少しの用事に人を使う手間を考えると、自分で何もかもこなしたほうが気が楽らしい。十四郎を傍に従えてはいるが、下男らしく仕えた事は今までに二、三度あるかないかではないか、と首を捻るくらい何もしていない。元々あまり期待をされていないせいかもしれない。
 銀時は基本的に人前では静かな面持ちで折り目正しく正座し黙していることが多いが、十四郎と二人きりの時は行儀悪く、喧嘩や道楽が思いのほか好きで、暇を見ては十四郎を連れ出し町人に化けて江戸の町を遊歩している。喧嘩があれば加わるし、身分を隠し昵懇な町人とちょっとした商売を企て一儲けしたりしていた。どうやら本来の性質が上品では無いらしい。旗本の長男としては黙々と勤めをこなす寡黙な男だが、町人に化けては好き勝手をして遊んでいる。本人に云わせると、徳川幕府はおそらくこの先、長くは続かない。今のうちに、その時のための準備をしているのだという。十四郎は生返事をした。十四郎にとって幕府だの武士だのはどうでもいいことだった。それよりも、銀時と町道場で剣術を習えることがこの頃では愉しくて仕方が無かった。下男が剣術を習えるというのは本来ならばあり得ない事だ。だが、銀時は十四郎になんでもやらせたがった。どういうつもりか知らないし、なぜ自分にそうまでしてくれるのかは全く興味も無かったが、とにかく楽しいことができるのはこの上なく嬉しかった。運動能力はずば抜けていたらしく、剣術の才能は天恵と称してもお釣りが来るぐらいにみるみるうちに上達した。元々身体は頗る丈夫である。そのうちに、真剣を扱ってみたくなった。
 銀時の脇差を羨ましいと零したら、珍しく陰のある顔をして「こんなもの何の役にもたたねェよ」と素気無かった。
 ある日、ここ最近通っている日本橋品川町にある無外流道場で軽く三試合した後に休んでいると目録の男が寄ってきて世間話をした。この男は竹を割ったような性格でなかなか好感が持てた。下男である十四郎の強さを素直に感心できる珍しい男気が備わっていた。どこで剣術を学んでいたか訊かれて、最近始めたばかりだと話すとなかなか信じてもらえなかったが、自分の生い立ちを話してやっと納得したかとおもうと「じゃあ君は銀時君の剣客のようなものになるのかね」と言った。「剣客ってのはなんですか?」と聞き、意味を教わった。なるほど、と十四郎は自分の身の置き場が開けた気がした。今まで自分の立場というものを余り意識してこなかったが、言われてみれば自分は食客のような剣客のようなものだ。ならば恩もあることだし、銀時にこの先も附いていくしかまるまい。直感的なところで十四郎は銀時を信頼していた。銀時は己を分かっている、自分の内に矜持がある男だ。銀時の選ぶ路ならばどこに辿り着いても自分は後悔しない気がした。銀時と共にいれば、ずっと先まで歩いていける気がした。
 目録の男にそのままにして伝えると、男は柔和に笑った。
「君があれば、銀時君もさぞかし心強いことだろう」
 甲高い気合の声が道場内に響くき、木刀が激しく打ち合う鈍い音がする。銀時は師範代と打ち合っていた。十四郎は不思議と、打ち合っている者同士を視てすぐさまどちらが勝つのかが瞬時に解かった。今まで一度も見誤ったことが無い。師範代は型におさまり過ぎるて伸びがない。剣舞ならば良いが実践では使い物にならないな、と見做した。
 予想通り、銀時に軍配が上がった。
 目録の男は世間話の延長で、銀時の姿を眺めながら思い出したように言った。
「それにしても、羨ましいな。銀時君は伊達藩の旗本の女子と祝言をあげるのであろう」
 十四郎は少し記憶を探って「それは初耳」と独り言をしてから時間差で無表情にしかし、ひどく愕いた。
「拝見したことは無いが、たいそう美しい女子だと聞く。流石にお目見え以上の旗本殿はそれ相応の女子を妻に迎えられるんだなぁ。銀時君も今年で二十六か、少しばかり早い気もするが、羨ましいことだ」
「銀時が祝言を?」
 男は心底呆れた顔をした。
「銀時君の付き人の君がなんで知らないのだ。もう皆知ってるぞ」
「へぇ。めでてェなァ」と国訛が口をついた。
「なんだい、あんまりめでたそうじゃないねぇ」
 いくら記憶を捲っても銀時本人から嫁を貰うなんて事は一度も訊いたことがない。武士の婚姻は親が決めるが、いくらなんでも周りが知っていて本人が聞かされていないなんて事はあり得ぬだろう。
「照れくさかったのかもしれないね」
 男が慰めるように言った。
 帰途の途中で雨にあたった。頭上では切れ間なく雲の鉛色が敷き詰められ、鮮やかな夕焼けは拝めない。雨と共に落ちてきそうなぐらい雲を近くに感じた。雷鳴が聞こるとその迫力に心臓の鼓動が早くなる。天から聞こえ地面が反響す。葛折のような電光は当たっても然して痛みは無いような気がした。
 銀時の銀色の髪が濡れて顔に張り付き、それが妙な具合に色気があった。十四郎はそこで初めて銀時が自分の好みに叶ってることに気が付いた。
「十四郎、どこかで雨宿りするか」
「寒くない」
「いいから、来い」
 旅籠町にある適当な旅籠屋に駆け込み、軒先で着物を絞っていると店の女が出てきて「さぁさぁ中にどうぞ」と銀時の手を取るようにして店に連れ込み、二階の座敷に案内された。古いわりに手入れの行き届いた六間は薄い明かりに照らされ、他の座敷に人がいないのか静かだった。
「湯を沸かしますので暫く経ちましたら降りてきてくださいまし。それまで、古いものですがこちらをお召しになって」
 女は着物を置くと、降りていった。
 銀時は腰のものを刀掛台に置くと、濡れた着物をぱさりと脱いだ。十四郎は得体の知れない奇妙な塊に胸を圧迫されるような心地がした。銀時が不意に十四郎を見た。瞳に滲むような熱がこもっていた。気持ちが伝染したのではないか、とわけもなく慄いた。
 ぼぅっとした。雨の音がしている。気付くと、銀時の無造作の髪が十四郎の胸を擽った。軽く身じろぐと、肌で押さえ込まれた。嫌だとは思わなかった。人の肌は思ったよりもずっと滑らかなものだった。
 着物を肌蹴けられ、下帯を寛がされて、露わになった男根を指で弄られて、それが銀時の指だと思うと溜まらない気がした。
「十四郎、承知しろ。誓ってお前を一番傍に置く。何も気に止むことは無い。返事をしろ」
 息遣いや、眼差し、こんなに近く銀時を意識したのは初めてだった。泣きたい様な叫びたいような秘めたいような不思議な感情が渦巻いた。肌は分けもわからず粟粒をこしらえ、それでも少し恐ろしかった。
「俺ァ、怖い」普段ならこんな事は言わない。だが、十四郎は初めて、銀時と歩む道の先に何もない事に気付いてしまった。こうなってしまったらもう、銀時とはいられない。婚礼をあげるこの男の隣にいることはできない。
「十四郎、見てみろ、うるおいが出てる。こらえる事はねェんだ。言う事をききな。射精しちまいな。痛くねぇようにするぜ」
 情欲に駆られた男の愛撫に視線に眩暈がした。流されたくなった。銀時を慕っていた。だが、悲しくもあった。嘘ばっかりだ、と心で吐露する。一番傍に置くなんて嘘だ。不可能だ。嫁を貰うくせに。だが、躰はもう快感に呑まれていた。雨音に急き立てられるように、息遣いが荒くなった。
 あちこちを噛まれて吸われて舐められて、薄目を開けて天上の紙魚を眺めながら、十四郎は可笑しくなって笑った。痛みも気持ちよさも全てが悲しくて同時に幸福だった。単純な己でも、こうまで感情が入り組むことがあるのだなと奇妙に感心したりもした。
「銀時――――――」
 十四郎の応えは激しくなる雨音に掻き消されたのかもしれなかった。

 二年が経った。
 坂田家当主は春を迎えて息子に家督を譲り隠居の身となった。息子には妻と生まれたばかりの子があった。
 ある日、常々交流のある日本橋品川町にある無外流道場の師範代である友人が訪ねてきた。杯を交わして時勢を語りあって、そういえばと友人が思い出したように口にした。
「兄さんはまだ見つからないのかい」
「あぁ、もう親父も諦めてるし、俺もお役目があるから。せめて手掛かりさえあればいいんだが」
「下男と共に、ある日忽然とだもんな」
「何やらの事件に巻き込まれていないといいのだが」
 世間の噂も途絶えつつあった。評判のあれほど善かった男が突然の出奔である。根の葉の無い噂が飛び交い、神隠しに遭った等とも一時期は話題が持ち上がった。
 弟は兄が好きであった。理想の侍が兄であった。こうして話を持ち出してくれると嬉しくなる。
「今思えばなんだが、兄上はずっと先まで見ていた気がするんだ。俺は何度か冗談っぽく言われた言葉を今更思い出すのだ、武士にそこまで固執するな、と。兄はもしかしたら、なんやらの目論見があったのかもしれないな」

 翌年、慶応三年十月に徳川慶喜による大政奉還。幕藩体制が瓦解し、世は明治に移る。
 坂田銀時及び下男の行方、未だ知れず―――――――――――