不朽





「いいか、お前は呼吸がなっちゃいねぇ、形ばっかり意識して他が蔑ろなんだ」
 三番隊で抱えている新人隊士に向かい木刀の切っ先を向け構える。斉藤の助言を聞いた平隊士は、呪文でも聞いたかのように戸惑い眉根を寄せた。だが租借できないながらに自分の中に答えを見つけようと思案し、威勢のいい返事をして向かってきた。
 一突き目を軽く薙ぎ払い、二突き目を真剣でいう鎬の部分で叩き落す。そのまま素早く木刀を隊士の首筋の際でヒタリと止める。隊士の喉がひゅっと鳴って、斉藤は親指を支点にし、回すように木刀を引く。
「呼吸を征し切り結ぶ。お前はそもそも木刀の重さに負けてんだ」
 隊士は唇を噛み、木刀を握りなおし溜息を吐いた。
 斉藤はこの頃、副長助勤三番隊隊長に任ぜられていた。剣の腕を買われて撃剣師範をも勤めていたが、生まれ持った剣の才覚を他人に教えることを苦手としている。本来、群れることを嫌い人付き合いを避けてきた男であるから斉藤自身もこればっかりはどうしようもないと開き直っている。
―――――だいたい、剣術なんてもんは教わるもんじゃねぇ、そこにあるもんなんだ
 これが斉藤の持論である。
 追い求める事は馬鹿にだってできる。だが、自分で持っているものを伸ばす事の方が簡単で手っ取り早いのに、大概の人間はそれをしないのだ。目の前にないものばかりを求めるから見失う。
 次の隊士に向き合おうとした時、名を呼ばれた。二番隊隊長の永倉新七だ。道場の入口で親指を立て斉藤を手招きで呼ぶ。木刀を担ぎながら寄ると、耳元で「副長がお呼びだよ」と囁かれた。
「何の用だ」
「知らねぇ。だが、表立って呼ぶなって言われたんだ」
 永倉が肩を竦めた。土方が斉藤を呼ぶときは直接土方から声を掛けられるか、この永倉が呼びに来る。沖田に呼ばれると気分のいい気がしないし、原田の声を聞くと苛立つ。藤堂にはどうやら嫌われているらしく、あちらの態度があからさまだ。そういうのをひっくるめて永倉を使うのだろう。
 土方はこういった細やかなところも如才ない。隊内の人間関係や力量、思惑等ををどういうわけか全て把握しているようなのだ。直接会話をする機会も同じ場に居る機会もあるにはあるが、それにしても大所帯だ。隊長格から平隊士まで合わせると何十人もいる。どこに目があるのか、それとも監察に探らせているのか。人間の配置や戦術に関しても天才的で、独自の策を練る。過去の前例や常識などに囚われぬからこういう発想が浮かぶのだ、と最近斉藤は気付いてきた。陥りやすい盲点に気がつくから隙が無い。
 永倉と伴って副長室の前まで来ると、山崎退が副長室から出てくるところだった。永倉と斉藤を見向きもせずに走っていく。その後姿を見送ってから、襖を開く。机に向き合って書類に筆を通していた土方が振り返って口元だけで笑った。
「悪いな」
「それより、何だよ。また厄介事か」
 永倉は土方や近藤、沖田と武州から上京してきたメンバーの一人だ。土方や近藤にも砕けた口調で接する。だが、近藤と土方それに沖田と他の武州から上って来た面々は何やら分からぬ距離があるように斉藤には思える。近藤は局長で土方は副長、というところまでならまだ分かる。ここに沖田が加わるのは何故か。副長助勤の隊長格の人間は入隊の時期によって立場が前後するが、同格である。しかも沖田は歳がいくつか離れている。だが、永倉も原田も年長の井上も、藤堂も別段不満があるように思えない。それがいたって普通であるように過ごしている。
 土方は艶然に笑う。この男は笑顔にまで隙が無い。
「お前らに頼むのが一番いいと思ってよ。まぁ、座れ」
 永倉と斉藤は顔を見合わせ座る。土方の灰皿には吸殻が珍しく一本も無かった。
 この男は数年前まで田舎で燻っていたと聞いたが、全く当時の様子が想像できない。本来持っているものがここにきて発揮できたのだろう。土方も近藤も沖田も、おさまるべき場所におさまっただけなのだ。
 策を伝えるとき、土方は鋭い目付きに童子のような好奇の色を浮かべる。殺伐とした明日も分からぬ毎日の先頭を担っているのに何も朽ちない。心はいつだって固まらない。きっと目に見えない部分を初々しく保つことができるのだ。沖田も近藤もそうだろう。特に土方は問題があっても困難があってもその答えを人に委ねたりしないのだ。自分自身の解決の意図口を捜す。だから、ぶれがない。
 自分が刀を拠り所にしているように、土方は近藤を掲げる真選組を拠り所にしている。その点では斉藤は土方に近いものを感じていた。
「これは極秘に動いてもらいてェんだが、今からお前らに浅草の旅籠屋に向かってもらいたい。一般客を装ってだ。もう現場に総悟が着いてる。落ち合って、総悟からの指示を仰いでほしい」
「山崎が飛び出してったのはその件か」
「いやアイツは別件だ」と土方は溜息をつく。「できれば勘違いであって欲しいんだが、まぁ、お前らに委ねるから」
「どういうことだ」
 永倉が眉を上げた。釈然としないのだろう。土方の指示が珍しく曖昧で、これからするべきことの見当もつかない。斉藤は黙したままだが永倉と同様の心境だ。
「ここで話してもいいんだが、それじゃ面白くねェしな」
 なにやら呟くように言うと、土方は斉藤に視線を向ける。
「斉藤、総悟が気に喰わないのは分かるが、今回はアイツが無茶したらお前が止めてくれや」
 声と表情の割には、土方の何かが切実に思えて、斉藤は珍しいな、と眼を細める。
「斬れるのか」
 そう聞くと、土方はふっと吐息を零すように笑って「お前の求めてる獲物がいるかもな」と静かに口にした。