不朽





 旅籠屋から一人の男が出てきた。縦縞模様の着流し姿で帯刀はしていない。だが、眼の色に特有の濁りがある。人を殺したことのある人間の穢れだ。斉藤達に気付いてるであろうが、何食わぬ顔でこちらに向かってくる。通り過ぎる瞬間に横目で沖田を見た。その表情がやけに人間味のないもので斉藤は眉を顰める。
「斉藤」
 沖田が言った。斉藤は鯉口を切っている。沖田の声は諌めるものだった。永倉も中腰になっている。沖田が小声で言足す。
「あれはうちの監察でさァ」
「あんな奴見たことがないぞ」永倉が困惑を滲ませた。
「土方さんが使ってる密偵だから俺と近藤さんくらいしかしらねェんで」
 斉藤は柄から手を放し、男の後姿を見送る。左の肩が撫でている。剣客の歩き方だった。
「そんな奴があと何人居るんだよ」
「さぁ、もしかしたら俺も知りえない隊士が居るのかもしれねェ、んで、知らないうちに間違って斬ってることもあるかも知れねェなァ」
 斉藤は永倉の心の内が透けて見えるようであった。幹部でさえ知る事のない秘密をいくつも抱えた組織――――――――――そんな場所に属している怖ろしさ、それを声にしなくとも斉藤も永く居れば居るほどに感じている。一時も気が抜けない。少しでも己がぶれれば忽ち目をつけられ斬られる。その油断のならなさに斉藤の内心は喜悦している。これほどに矛盾のない中にいる。それが奇妙に心地よかった。
「お前がそんなヘマするかよ」
「わかんねェ、俺も人の子だからね」沖田はゆっくりと立ち上がる。「そろそろかな」どうやら団子を全て食い終えたようだ。
 斉藤も永倉も今後の動きが分からない。
 そもそも、敵とこれだけの近距離に居るのにも関わらず、何事も無さすぎではないのだろうか。こちらは隠れもしていないし、沖田はそうでないにしろ、斉藤と永倉は隊服姿だ。見張りの人間が一人ぐらいは居てもいいはずだし、そうでないにしろ外の様子を伺ってもいいはずである。
「ほんとにナカにいんのか」
「迂闊なやつらで、うちの監察が潜り込んでても気付きもしねェ」
「斬ればいいのか」斉藤が言った。
 沖田は可笑しそうに喉を鳴らして笑う。
「斉藤はそればっかりでいけねェや、そうだなァ、五八郎を殺されちゃァちと困るから半殺しぐらいで頼みまさァ。他は斃していい。あ、五八郎の口は利けるようにしといでくだせェ」
「そんな器用な真似ができるかな」
 挑発的に言うと、殺人鬼の眼をして沖田が笑う。奇妙に口端が上がり、殺気が舞った。いつのまにか抜刀している。
「頼みまさァ、土方さんに怒られちまう」
 殺すことには慣れている。沖田も斉藤も永倉も。刀と共に生きる毎日なのだから当たり前だ。真選組のなかで良心的な永倉さえ、刀を持てば情け容赦ない。敵を斬りつけることに疑問も後悔も持ち合わせない。斬らなきゃ殺される、そういう世界を選んでいる。幕府に刃向かう人間は老若男女関係なく斬り捨ててきた。
 旅籠の燈篭はまだ灯りがともされていない。
 静かに入り込み、二階へ続く梯子を登る。一階は人の気がしなかった。店の者は出払わせているのかもしれない。上階からはぼそぼそと呟く声が途切れ途切れに振ってきている。
 斬り込みの前はいつも高揚する。刀が血を吸い込みたいと訴えてきているように感じる。衝動が斉藤の全身を巡って誘発させる。この手で肉を切り裂く瞬間を瞑想して血液が滾る。その瞬間が何時も斉藤を視野で捉えることのできない生へと結びつけてきた。前を登る沖田は片手で器用に登っていく。反対の手で握っている刀がひらひらと生き物のように蠢いていた。菊一文字、名刀だ。斉藤の刀「池田鬼神丸国重」も永倉の刀「播州住手柄山氏繁」も揃って良刀で、試し切り段階で段階で多量の血を吸っている。名刀といわれる刀は血の味を知りすぎている。怨念が篭る。従って血に飢え、それが持ち主に伝染するのではないか、そんな雑言を耳にしたことがある。
 梯子を登りきって、そのまま沖田が襖を開く。斉藤は眩暈がした。恐れ戦いた眩暈ではない。舌なめずりがしたくなるような喜悦によるものだ。座敷には二十人ぐらいの男たちが揃いも揃って斉藤達を認識し、驚愕している。斉藤と永倉は沖田の両脇につき鯉口を切る。重心を低くし、右足を踏み込んだ。
「御用改めである、刃向かう者、容赦無く斬り捨てる!」沖田が吼えた。それが合図だった。
 入り乱れた乱闘が始まり、斉藤の疼きは最高潮に達した。