不朽



 沖田と永倉ならば斉藤の気は乱されない。この二人とは然程に気が合うわけでもないのに、斬り合いの場になると呼吸が合う。
 突きを繰り返しながら敵の肉体を斬り裂いていく。真選組の三人は乱闘には充分すぎるほどに慣れていた。気持ちの置き場も身体と刀の連動も乱れない。対して敵は動揺しまくっていて、刀に迷いが顕著に現れている。そんな刀筋に真選組のなかでも特に優れた剣客であるこの三人が斬られるわけが無かった。室内戦はいかに刀を小振りに扱うかが必勝法となる。大振りをしては天上や柱に突き刺さり隙ができるからだ。障害物を視野に入れねばならない。こういう時、冷静でないと目盛りを間違う。また、味方の人数が多いほど、動きにくくなる。間違って何かの拍子に仲間を斬ってしまうことがあるからだ。
 真選組は場慣れしている。
 不意打ちに襲い掛かって来る事を視野に入れなかった連中など恐れるに足らない。呻きや悲鳴が座敷に轟き、もはや地獄絵図さながらの有様だった。畳は血に染まり、屍で埋め尽くされる。
 斉藤が数えて六人目の男の心臓に刀を突き刺した時、視界の隅で沖田が駆け出した。五八郎を追うのであろう。先ほどから五八郎は戦闘に参加せず、逃げ出す隙を見計らっていた。殺戮に猛っても斉藤の性根はどこかいつも冷えている。昂ぶる殺気とは反比例して低底に殺伐としたものが広がる。
 見回すと、座敷で立っているのは真選組と五八郎だけになっていた。
 斉藤は刀を血振いして懐紙で拭う。鉄の臭気に中てられたか、眩暈がした。
 五八郎の首下に沖田の菊一文字の鋩子が触れている。剣術の腕はそこそこだったはずだ。北神一刀流で中目録免許の腕前を持っている。だが、実戦で神懸り的な沖田に勝てるはずもなかった。五八郎は一番隊だ。沖田の刀捌きを近くで見ている。勝目は最初から無いと決め付けているのか、抜刀もしていない。
「五八郎、分かってるな」
 沖田の低い声に五八郎はがくりと項垂れる。
 これまで沖田は間諜や寝返った者を何人も手に掛けてきた。討つ時、戸惑いや躊躇等は微塵も感じさせ無い。昨日まで笑い合っていた相手を平気で斃せる。斉藤ですら人斬りをした後は気持ちが昂ぶるのに、沖田は何人斬っても波打つ様子がない。まるで平然としている。
 沖田の刀が五八郎の首に喰い込むと、慌てて永倉が止めた。
「おい、殺すなってお前が言ったんだろう!」
 沖田はすぅっと身を引く。五八郎の首から涙のように血が流れた。
「浅く斬っただけでさァ。まだ、殺しませんよ」
 斉藤は五八郎の後ろ手を縄できつく縛りながら「馬鹿な奴だな」と嘆息する。「お前も分かるだろう、もう少し巧くやらないと見つかることぐらい」
 五八郎の顔面は蒼白で小刻みに震えている。眼は充血し、血走っていた。
「殺せ! 今すぐ、殺せばいいだろうッ!!」
 癇癪を起こし絶叫する五八郎を沖田は足蹴りにすると、どっと倒れた五八郎の髷を掴む。
「安心しろ、あとでお望みどおり殺してやリまさァ」
 地を這うような声だった。
 五八郎を引き連れ旅籠屋を後にした。斉藤と永倉は返り血を浴びていたが隊服が分かりにくくしてくれている。沖田は着流しに血一滴も零していない。嫌な野郎だ、と斉藤は面白くない。五八郎の死んだように色を無くした貌も斉藤の癇に障る。
 なぜ、抜刀しなかった。どうして真選組内に属していたたのにも拘らず、粛清される間者を間近で見てきたのにも関わらず、こんな腑抜けな行動を取った。常に土方の飼う監察が抜け目無く隊員を監視しているのを分かっていたはずだ。一番隊なら、尚更。
 手に縄を掛けられた人間が居るからか、衆目を浴びている。旅籠屋の遺体の処理は町奉行所に連絡を入れたからそろそろ頃合的にすれ違うはずである。
 斉藤は気が立っていた。おそらく永倉も。報告を済ませたら酒に浸るか、女に溺れたい。肉を裂いた感触が生々しく両手に残っている。手を洗って、こびり付いた血液を流したい。斉藤は確かに刀を扱いたかった。それは、一流の剣客と対峙して己の剣術を磨きたかったからだ。刀を振るうことを決めた時、人を斬る、殺す、という行為を自分に許した。そして、真選組に入隊した時、自分の許容範囲を遥かに広くした。組にとって不利益になる人間を殺すという科を受け入れることにしたのだ。
 迷いはなかった筈だ。
 だが、斬れば斬るほどに殺せば殺すほど、自分の刀が腐っていきそうになる戸惑いを感じていることに最近は気が付いている。いや、実践力は確かに上がっているのだ。技術も磨かれている。ただ、土方や沖田のような何にも囚われない修羅をも厭わない人間にはなることができない。いくら斬っても、剣術を磨いても、沖田には敵わない。沖田は、もしも斉藤が斬るべき相手となった時には情け容赦なく刃を向けて来るだろう。だが、斉藤は沖田を何の躊躇もなく斬れるとはどうしても思えなかった。
 組を今更、脱しようとは微塵にも思わない。真選組で、土方の配下で働く事を面白がっている事もまた確かなのだ。だが、一方で焦燥が葛藤が斉藤に迷いを生じさせている。迷いを抱えていては、そのうちに腐ってしまう。どこかに行き着かなくては。何かに折り合いをつけなければならない。沖田に刀を向けて、その首下を切り下げようとする自分を想像する。もう一歩と言うところで、刀がひたりと止まる。
 手にかいた汗を隊服で拭う。
 黙々と肩で風を切る沖田の後姿に頭の中で刀を振るう。その背中を切裂く。血飛沫が舞って、沖田が振り返る。その顔は、笑んでいた。ゾッとして頭を振る。
 低い唸り声が聞こえた。それは五八郎の口から発せられた恨み声だった。
「殺す・・・・・・殺してやる」
 沖田は振り返って奇妙に和いだ表情を五八郎に向けた。永倉が縄を強引に引いて「諦めろ、莫迦が」と吐き捨てる。
 喉を鳴らして五八郎は低く嗤うと唇を歪めた。
「今頃、土方は死んでいる。次は沖田、お前だ」
 斉藤は鯉口を切った。
 沖田の眼の色が変わる。
「俺等は囮さ。バカはお前らだ。まんまと引っかかって、土方は今頃、木っ端微塵だ」
 眼を見開いて口端を上げ気味の悪い顔を沖田に近づけて「土方は死んだ」と五八郎が言った瞬間、沖田は抜き打ちに斬りかかった。それを、斉藤は寸でのところで喰いとめる。
「待てッ! 沖田!」
 沖田は五八郎から目線を離さない。
「殺してやる」
「沖田! 落ち着け!!」
「殺してやる」
「沖田ッ! 待て!!」
 永倉が急ぎ五八郎の縄を引く。
 鍔競合いで沖田を留めながら斉藤は叫ぶ。
「土方は死んでない!! 沖田、抑えろ!」
「殺すッ!!」
 一瞬の事だった。沖田は手首を捻り、斉藤の刀を払うと、それを中央からへし折る。慌てて斉藤は折れた刀を放り出し、取り縋るように沖田の両腕を絡め捕った。
「沖田! 落ち着け!! 取り乱すな!」
 斉藤は叫びながら動揺していた。我を忘れて、五八郎に斬りかかる沖田が信じられなかった。
 永倉も血相変えて、沖田に「止めろ!」と叫んでいる。 
「沖田ッ! 俺は土方にお前を止めてくれと言われたんだ。これは、土方から頼まれたんだ!!」
「そうだぜ」
 斉藤の真後ろから声がして、それを区切りに沖田の抵抗が止んだ。急ぎ振り返ると、土方が煙草を咥えながらそこに立っていた。
「土方・・・・・・・・・」
「総悟、止めろ」
 沖田は刀を降ろしたが振り返らなかった。
 五八郎は土方を認めると、顔色を蒼白にし「なんで・・・・・・」と呟く。
 永倉は沖田の表情を見て呆然としていた。