習慣の分疏





 日付を越えるか越えないかの残業続きの週の末に追い打ちをかけるかのように送別会があった。自宅のマンションに帰り着いたのが午前一時半、風呂も入らず歯だけ磨いてベッドに倒れたから、朝起きたら身体の表面がねっとりとした汚れが絡みついている気がして不快だった。
 身体からは昨夜の焼き肉の臭いがする。スラックスは皺になっていたしワイシャツも同様だ。背広は何とか免れたが、どうせクリーニングに出すつもりでいる。寝ぼけ眼で髪を掻く。さて、起き上がろうと手を付いたら、変な感触と「ふぎゅっ」という潰れた声がした。
 頭に、来ているかもなという予想は起きた時点で立てていたので、別段驚かなかった。
「総悟………」
 寝起きのせいだろう、掠れた声になった。
「土方さん、どけて」
 手が頬を潰していたので、おかしな顔になっている。低血圧で底辺を這っている機嫌が少しだけ緩んで、その頬にもう一度体重をかけた反動で起き上がった。「ぶっ」と沖田総悟が間抜けな声を出したから素直に笑えた。
「ひでェ、俺気持ちよく寝てたのに」
 恨みがましく言いながら頬を擦っている。ダブルベットのマットレスは土方十四郎の好みで硬めだったから、結構痛かったも知れないなァと思ったが、ここは自分が家賃やら光熱費やら全てを払っているマンションであるし、総悟用蒲団がクローゼットに押し込まれているのにも拘らずベットに何の断りも無く潜り込んでいたのだから、謝る必要はどこにもない。
「アンタ昨日の晩、酒臭ェし煙草臭ェし焼き肉臭ェしで、デリケートな俺はなかなか眠れなかったんですぜ」と良く分からない事を喚きだすから放っておいた。それより風呂に入りたい。
 総悟はいうなれば土方の弟のような存在だ。家族ぐるみのお付き合いをしていた土方家と沖田家に産まれた長男同士である。昼間は、土方の母と沖田の母が共にランチを食すので、必然的に一緒にご飯を食べたし、夕食もご馳走になったりご馳走したりするのが常であったから、殆ど毎日ではなく、実際毎日会っていた。
 総悟とは歳が八つ離れている。そうなればやっぱり当然勉強は教えるし、口を出さざるえないし、なんやかんやで世話を焼き、今に至る。一緒に居るのが当たり前すぎたから、何の疑問も無く一人暮らしするにあたって部屋の鍵を渡し、総悟の分の生活必需品も揃え、泊まりに来ることを許しているのだが、最近になってどうもそれはおかしいのではないだろうか、と気付き出したが総悟がいる事が当たり前の習慣だったので、まぁこんなものか、と考える事もめんどくさくなり放棄した。
 熱めのシャワーを浴びてると、曇りガラスの向こうから物音がして肌色が見えた。嫌な予感がしたかと思ったら横開きのドアが開き、総悟が腰にタオルだけ巻いて入ってくる。
「コンニチハー」と何故か片言でペコンとお辞儀をするから、ゲンナリして「去れ」とだけ言う。何を勘違いしたのか知らないが「じゃあ座りやーす」っと鼻歌交じりに言って、上機嫌に土方の前に座るもんだから、もうやっぱりどうでもよくなって、取り敢えず最新式の上下に回すタイプの蛇口を下に下げ放出し続ける湯を止め、シャンプーを手を伸ばして、水分を含んだ本来の亜麻色よりちょっと色素が濃くなった髪の毛をガシガシと洗いだした。十分に泡立て、頭皮をマッサージしている自分が何だか憐れになってくる。だが、悲しきかな習慣なのだ。そのままにしておくにもどうも気持ち悪いし、うっとりするほどに総悟の髪は柔らかい。放りだすと喚くから甘やかしているのは重々承知しているが、やっぱり甘やかしてしまう。
「あのよゥ、総悟」
「なんですかい」
「人生楽しそうで良いなァ」
「そうでも無いです、若者も苦労が多いんですぜ」
 生意気である。
 泡が目に入らぬよう、気を使ってやっている自分が馬鹿らしい。いや、バカなのだろう。
 一通り身体を洗い終えて流してやると、さっさと総悟は風呂を後にする。逆上せたのだろう。いつからか自分は総悟の召使になったのだろうかと反芻する。総悟が生まれた時からかもしれない、と考えてゾッとした。
 朝食は簡単にサラダとベーコンエッグにトーストだ。身体に悪いんでマーガリンは置いていない。総悟はバターを難儀しながらトーストに溶かしている。ほっかほかでかりかりのパンだから、すぐにズブっと穴を開ける。そして、無言で渡してくる。
「口でいわなきゃ分かんねーよ」嘘だ。分かる。
「アンタのソレと取りかえてくだせェ」
「なんでだよ」
「俺のポリシーが穴のあいたパンを食べるなと言うんです」
「穴をあけたのは誰かな、総悟君」
「俺」
「自分であけたんだ。自分で始末つけやがれ」
 じっとパンを無表情で見続けるのをシカトする。実際パンなんてどうでもいいと思ってるくせに、意地になっているのだ。大方最初はチョットした悪戯半分の構って欲しい気持ちでそうしたのに、変に意固地だから引っ込みがつかなくなったんだろう。土方がパンを食べ終えてもそうしている。冷めて今食べても美味しさ半減は必須だ。ザマ―ミロとも思うのだが、可哀相になってしまうあたり、どっちかというと土方の方が可哀相な大人だ。
「総悟、貸せ」とパンを奪うと、牛乳と卵と蜂蜜をかき交ぜた銀のステンレスボールに浸す。フライパンに油をひいて焼いていたら隣に来て「フレンチトースト」と感動した声を出すから、可愛いなァ、バカだなァ、ガキだなァ、と思ってしまう。
 フレンチトーストを貪ってコーヒー牛乳を飲む総悟を頬杖つきながら観察する。コイツはこの先どうなってしまうのだろうか、と不安が募る。いつものことだ。
 嫁さんもらって子供ができて父親やってる総悟なんて想像がつかない。いつまでも「土方さん」と頼ってきて、挙句「金ねェ奢ってくだせェ」とか「振られやした慰めてくだせェ」とかさらには「俺一人嫌なんで一緒の墓入っていいですかィ」とか言う総悟なら嫌という程想像がつく。たまったもんじゃない。
「総悟、お前結婚すんの?」
「しませんよ」
「いつかいい娘が現れたらすんだろ」
「いや、しやせん」
「なんで」
「女好きじゃねーんでさ」
 総悟は高校二年生だ。自分の時と比較すると、あきらかに冷めている。ヤリタイ盛りだろ、高校二年なんて。ネンネ過ぎる。大丈夫か。
「女怖ェの」
「怖かねェ」
「もてんだろ、お前」
 身内贔屓差し引いても、総悟はベビーフェイスな可愛い顔立ちをしている。年上のお姉さんがキャーキャー言ってくるタイプだ。げんに逆ナンされてる所を土方も見た事がある。
「アンタのがもてるんじゃねーですかィ」
「おらァいいんだよ」
「どういうこって?」
「お前の子守りで忙しい」
「ふうん」
「早くお前も自立しろよ、そうすれば、」
「土方さんは」と総悟が言葉を被せてくる。「土方さんは俺の子守りしてるから女できねェの」
「そうだよ」
「じゃあ俺がずっとこのままだったら、土方さんもずっと女できねェの」
「そうなるな、だっておめェ、どうしたってうちに来るだろ、でわーわー注文つけてくるだろ、平日だって飯食いに行こうって強請ってくるだろ。それ以外は残業残業残業、俺、仕事してからお前としか休日過ごしてねェよ、これ、どうなの」
「じゃあ土方さんが女できるように、考えときまさァ」
「そうしてくれ」
「ま、それはそれで、来週水族館行きたい」
「どこの?」
「横浜! 八景島」
 分かったと頷く愚かさを土方は気が付いていない。
 自分の矛盾点に気がつかないまま、土方はこれからも総悟と居る羽目になる。習慣、を言い訳にして。