生きる華



「おにーさん枯れてますね。一輪お花でもどーですかィ」
 突然声を掛けられて振り向くと、仕入先の花屋にバイトしている小生意気なガキが霞草をぶんぶん振りながら不敵な笑顔を向けてきている。嫌な顔をするとますます嬉しそうな顔がするから性質が悪い。
「そんなに振ると花禿げるぞ」
 一応忠告してやると「大丈夫でさァ、これ売りもんじゃねェ」と歌うように言いながら近付いてきた。
「お仕事の途中ですかィ?」
 両手に持った霞草を玩具のように顔にびたびたしてきたので鬱陶しくそれを払う。
「お仕事だよ、遊んでる暇はねェんだ」
 語尾を荒げてみると「おお怖」とワザとらしく右手を口の前に持ってきた。溜息を吐く。
「お前は暇そうだな」
「そうでもねェです。これからお仕事行かなきゃなんねェ」
「どこに」
「キャバクラでさァ。今日俺はじめてアレンジメント!」
 嬉しそうに云う。だからテンション高いのか、と納得した。傍若無人に磨きがかかっている。
 沖田総悟は仕入先の花屋のアルバイトだ。中央線の駅を降りて十分ほど南の方角に歩いた所に「La verite」という多種多彩な品種を取り扱っている花屋がある。この店の設立者がWorld Association of Flower Arrangers通称WAFAという世界的なフラワーアレンジャーの組織が開催している全国大会で受賞した経験のある近藤勲という人物で、若きカリスマフラワーアーティストだ。近藤勲は土方十四郎の幼馴染でもある。
「近藤さんは?」
「今日オフランスから帰ってきたんでさァ、俺の晴れ舞台見てくれるって。今は自由が丘の支店にいやす」
「帰ってきたのは知ってるよ、今朝メールが入ってた」
 総悟は少しむくれた顔をして、俺にはメール来てねェとひとりごちた。その表情がよく知っているものだったので何故だか安堵して、亜麻色の髪の毛を乱暴に撫でてみる。
「驚かせたかったんだろ、あの人はいつまで経ってもお前が可愛いんだよ」
「俺もう子供じゃねェのに」そう言いながらもちょっと照れたようにはにかむから嬉しいのはバレバレだ。
 腕時計を確認すると時間が迫っていた。「じゃあまたな」と小さな頭を二度軽く叩いて踵を返す。数歩歩いて言い忘れていた事を思い出す。振り返ると総悟の持ち前の涼しい瞳と目が合った。
「今日頑張れよ、上手くいったら御馳走してやる」
 ニヤッと笑って「フルコース!」と嬉々として言う顔に「バカ」と苦笑してその場を後にした。息を吸って表情を変える。仕事用の顔に。

 事務所に戻り、屋内駐車場から寝台車を発進させた。
 土方は日和典礼の若社長だ。二年前に逝去した父親の後を継いで社長に就任した。六人兄弟の末っ子だったので通常ならば会社を後継する立場にはないのだが、兄弟は辛気臭い、とこの仕事を嫌がってそれぞれ別な職に就いている。結果的に御鉢が回ってきたのだが、この仕事が嫌いでも肌質が合わないわけでも無かった。確かに華やさとはかけ離れた仕事内容であるし、辛気臭いと嫌悪する気持ちも分からないでもない。土方自身も最初のころ一時だけ精神的に苦しくなった事もあったが、今は慣れたのかなんなのかは分からないが冷静な気持ちで事を為せる。
 死についての概念をこの男は持ち合わせていなかった。常に死体と向き合いながらもそう言った事柄を考えない土方は異質とも昂然としてるともいえる。生きていればそのうち訪れる過程と、その程度の認識でしかない。
 近藤に「トシは無駄なもの、はぶいて生きてるなぁ」と言われた事がある。その抽象的で漠然とした土方観はあながち間違ってはいない。

 車を二十分ほど走らせて、市立病院のひっそりとした裏出口に着けた。光沢のある黒い携帯を取り出して部下の山崎退に電話を入れる。三度ほどコールさせて通話を切った。到着した、という合図だ。
 霊安室で手引きをしているであろう部下と死体と遺族を待つ。
 遺体になって運ばれてくるのは二十三歳の誕生日を迎えたばかりの女だという情報だ。死因は癌だったらしい。幾つかの確認事項を脳で反芻しても、何の感情も浮かんではこなかった。若ぇ女か気の毒になという感想だけだ。
 重々しい気持ちにも清々しい気持ちにもならない。あるのは仕事だ、という義務的な心持ちだけだ。
 白い扉が開く。遺体と部下と遺族の顔が見えた。土方はそのままの表情で礼儀正しくお辞儀をする。遺族は泣いていた。それだけを事実として受け止め、仕事に取り掛かる。

 子供の頃から感情の起伏は乏しかった。子供らしい素直さは欠片も無く性格は屈折していた。何事にも猜疑的でそんな自分を分かってもいた。
 近藤は近所に住んでいて、年齢は一つ上だった。ひょんなことから知りあうと、よく遊びに誘われた。はじめは鬱陶しかったが、いつしかその真面目で誠実で驕り高ぶらない態度が気に入っていた。不思議な男だった。夢見がちで不器用、大雑把な男だが懐が信じられないぐらい広い。自分に持っていないものを選り取り見取りに持っていた。友達も多かったようだが、何故だかひどく気に入られたようで、何かあるごとに「トシトシ」と訪ねてくる。それは今でも変わらない。人を滅多に信じたり認めない土方も近藤の事は認めていて、盟友だと思っている。
 沖田総悟との出会いも唐突だった。近藤がある日突然連れてきて「俺の弟にしようと思う」と大真面目に開口一番に言った。近藤には兄弟はいない。土方は驚いた。総悟は近藤のとなりで複雑そうな顔をしていた。
 近藤は高校を卒業して、丁度、花の世界に足を踏み入れ始めた頃だった。顔に似合わず花が好きで、不器用なのに作った作品には品格があり、壮大で素人目からしても「ああ、すごいな」と思わせる出来栄えだった。その世界で名を上げるのに時間は対してかからなかった。
 総悟は身寄りがいなかった。物心ついた頃には施設で生活をしていて、親の顔も後にいたと聞かされた姉の顔も覚えていないと云う。近藤と総悟の出会いは偶然だった。総悟が世話になっている施設に花の配達をして知り合ったらしい。境遇を聞いて、情が熱い近藤は強く感銘を受けた、といっていた。
「コイツは偉いんだ、トシ、分かるか? コイツはなぁ俺と同じもんをもってるんだ、なぁ分かるか、俺はコイツを弟にする。俺がコイツを立派にしてやる」
 総悟の背中をバシバシと叩きながら言うもんだから、総悟の顔は痛そうに歪んでいた。それでもされるがままにされていた。
――――――――――――――分からない。だが、近藤がそうするというのなら自分は手助けをするまでだ。
 総悟は近藤家の養子となった。二十まで、近藤総悟と名乗っていたが、成人したのを機に沖田総悟と元の名字に戻した。近藤の計らいだった。総悟は近藤のままがいいと云ったのだが、思う事があったのだろう。近藤は「お前は沖田総悟だ。だが、お前は俺の弟だよ」と諭したらしい。
 土方も総悟を可愛がった。小生意気で多少性格が歪んでいたが心意気は気に入っていた。負けず嫌いで頑固だが不思議なぐらい土方の性格と馴染んだ。総悟は、懐いてくるという感じではなかったが、よくチョッカイを仕掛けてけてきた。総悟にとって自分がどういう存在かは分からない。だが、週に二、三日一人暮らしをしている土方のマンションに遊びに来るぐらいだから嫌われていないことは分かる。付かず離れず。その表現が合う。
 葬儀屋の仕事を始めてから彼此八年になる。高校卒業の少し前に父親が体調を崩して大学進学は諦め、日和典礼に就職した。夢はあった。近藤のマネージャーになろうと思っていたのだ。近藤に仕事の相談を受けているうちに、自分にはそういう才覚があるのを自覚した。雇われて働くよりも組織の指揮を執る事に向いていた。近藤にも「俺と一緒に働いてくれ」と嘆願されていた。だが、実の父親の会社は潰せない。規模は小さい会社だったが評判はよかった。誠心誠意、を会社の経営理念としいて従業員もいる。親子四代で築き上げてきた会社だ。
 散々迷ったが、総悟の一言が決め手になった。「近藤さんはやっていけやすよ、俺もいるし、アンタもいる。同じ場所で働かなくても相談ぐらいはできるでしょ、あんたの会社のお得意さんにしてくれたらうちの店は儲かるし、それでいいじゃありやせんか」
 結局、父親の会社を継ぐことにしたのだが、まだ父親が元気なうちは空いた時間さえあれば近藤の仕事の手伝いをしていた。
 近藤は立派になった。今では海外を飛び回り、支店も全国に増えた。優秀な人間も雇用して、自分がいなくてもやっていけている。現に支店は伊藤鴨太郎という男が如才なく舵を取っているから、近藤は自分の納得のいく作品だけを手掛けていけばいい。それに、総悟もいる。
 総悟は近藤とはまた違う作品を編み出す。
 繊細で儚く美しい。だが、したたかさも持ち合わせている味のある作品だ。何度かコンペで賞も取っている。その度に祝えと奢らされるからよく知っている。
 いつか、総悟も近藤と同じように世界を股にかけるのだろうか――――――――それは遠くない未来、実現する気がする。そうなれば素直にうれしいと思う。人にはそれぞれ歩く道がある。土方はこの道を自分で選んで決めた。迷いはない。後悔もない。

 遺族の自宅に向かう車内は、自宅までの道筋を聞く土方の声と案内をする遺族のおそらく母親の声だけで後は無言だ。たまに後部座席から鼻を啜る音が聞こえる。
 窓の外は鮮やか過ぎる夕焼けが風景を染めあげている。一つの命が消えたとしても、特別なことは何も起こらない。死はいつだって生の隣り合わせになる。運の問題だと土方は思っている。
 ルームミラーでさり気無く後部座席を確認した。母親と父親、それから二十代後半くらいの男、おそらく故人の兄だろう、がそれぞれゲッソリとした顔をして瞳は虚ろに揺られている。何度も覚悟してきたはずである。癌だと申告されてからおそらくここまで。それでも、いくら準備をしていても受け入れるには事が大きすぎる。
 いくつもの遺族をこうやって乗せてきた。若すぎる者の死を遺族の大概がこんな風に黙りきる。気休めを言い慰めあえるのはもう少し先になるだろう。
 助手席に座る山崎は無表情に真っ直ぐ前を見つめている。
 たまに、想像する。もし、近藤が総悟が自分の前から唐突に消えてしまったら。それでも、自分は平然と日々を送れるのだろうか。想像力が乏しいから、よく分からない。何より、総悟と近藤の死顔は思い浮かべる事が出来ない。自分の死顔はまざまざと想像できると云うのに。
 もし、自分が死んでも近藤と総悟には普通の生活、今までどおりに過ごしてもらいたいと思っている。人が一人消える事は実は大したことではない。死が身近に無いせいで大勢の日本人が忘れがちだが、必ずそれは訪れる。
 遺族の自宅に着いて不備なく仕事を黙々とこなしていく。余計な感情はみせないし言葉も必要最低限にしか発しない。テキパキと目の前の仕事だけを片付けていく。無事に契約も取って、引揚げた。
 事務所に戻る車内でも表情はあまり動かなさい。周囲の目があるからだ。だが、言葉は交わす。
「随分と軽かったな」
 遺体が、だ。生きていたのがまるで嘘のように死んだ者の身体は軽い。魂が抜けるからだ、と聞いたことがあるが真意はどうか分からない。
「女性ですしね、余計そうでしょう」
「おめェは優秀だな」
 優秀は慣れたと同意語だ。
「もう六年になりますからね。今度の新人はやっぱりダメそうですか?」
 土方は苦い表情を作った。
「アイツァもうダメだ」
 中途で先月採用した社員だ。鬼瓦のような面をしている癖に中身は繊細らしく、交通事故にあった骸を見て嘔吐した。若い女の死体を前に涙した。新人ではありがちだが、最近顔色が悪く会社を一週間も休んでいた。昨日まで携帯に掛けても電話に出なかった。長く持たない、もう限界かもしれない。そう思っていたら今朝、電話があった。「無理です。もう無理です」弱りきった声だった。宥めたら「なんでこんな仕事を続けられるんですか、普通の神経じゃ無理だ」と、周りを非難し自分を慰める言葉を使った。それは従業員全員が普通じゃない人間だ、という侮蔑だ。「もう来なくていい」と冷たく言い放って、電話を切った。
「そういえば、お前も最初は大変だったな」
 山崎は少しバツの悪い顔をする。
「誰だってああなりますよ、最初は」
「まぁ、そうか」
 そこで話題を切り上げた。
 土方は自分はおかしいのではないか、と偶に思う。最初から、嘔吐もしなければ涙も流さなかった。精神的にキた事は確かにあったが、すぐ去った。感情は自分でも呆れるほど揺れ動かない。適職だ、といわれれば府に落ちない思いはするが、冷静に考えればそうなのかもしれないと思う。
 事務所に戻り、先程の遺族の葬儀の見積もりと日程を組む。慢性的に過密状態の火葬場の空きが二日後なので、告別式は二日後の十二時半になった。住職の手配と式の流れは事細かに書いて部下に回す。この後は山崎と四年目の永倉新七に任せる事にした。未だ手を付けて無い書類が山ほどにある。それを片付けなくてはならない。人手不足だから社長である自分が自ら遺体の搬送をする事もあるが、大抵はデスクワークだ。これがある程度片付いたら、今まさに葬式を営んでいる斎場に行かなくてはならない。
 葬儀社は二十四時間営業だ。電話が鳴れば、どんな時間であろうとも出勤する。連休は殆どない。

 結局、実務を終えてマンションに帰ったころには二十二時を越えていた。へとへとになって玄関を開けるとチャーハンの匂いがした。
「ただいま」
 いいながらリビングのドアを開けると、案の定そこには総悟がいて「おかえりなせェ」と笑った。
「今日来てたのか」
「へィ、飯食いやすよね」
「ああ、貰う。腹減った」
 黒いネクタイを緩めて背広を脱ぐ。皺にならないようにクローゼットに掛けて、手を洗って戻ってくるとダイニングテーブルにはチャーハンとサラダ、中華スープが並べられていた。
「お前は食ったの?」
「待ってられやせん。食いました」
 食事が用意されている席と向かい合う席に座って総悟は雑誌を読んでいる。椅子に腰をかけながらも体育座りするのは総悟の昔からの癖だ。
 いただきます、と総悟に感謝してから夕食を口に運ぶ。実際、空腹だったのでありがたかった。総悟は「どうも」と口にしただけで雑誌から目を離さない。なんの雑誌かと思ったら、フラワーアーティストの作品集だ。
「今日、どうだった?」
 聞くと不敵な顔で笑う。
「ま、完璧です。クライアントから契約してもらえやした。近藤さんにも褒めてもらいやした」
 契約が取れた事よりも近藤に褒められたと言った時の方が嬉しそうな顔だ。
「よかったな」
「フルコース忘れないでくだせェ」
 嬉しそうに言う総悟に思わず目を細める。そういえば、総悟は来年二十三になる。そうか、同じ年齢でも生きている者と死んだものとはここまで違うのか、と普段はあまりプライベートで仕事を思い出さないのだが、気になった。一度何かを気にすると止まらない性格でもある。
 蒼白い肌、精気の失った躰。紫色の唇、生きている人間とは明らかに違う。気配が、無い。魂が抜けた身体は軽い。山崎と運びながら軽いとだけ思っていた。閉じられた眼がもう二度と開く事が無いと思うと、それが非現実的なように感じる。
「総悟」と呼ぶと、雑誌から顔を上げた。
「なんです?」
 不思議そうに聞いてくる。「ちょっといいか」と手招きすると、雑誌を置いて立ち上がりテーブルを迂回して寄ってきた。
 直ぐ傍まで来たその身体の腰を持って引き寄せて、膝の裏に反対の手を回して持ち上げた。総悟が慌てた声を出す。一気にその身体を自分の膝の上に乗せた。
「ちょ、アンタ、なにしてんの」
 土方の膝の上に向かい合う形で座った総悟が慌てる。ああ、重い。と安堵した。
「いや、重いなァって思って」
 腰に回っていた手でそのまま引き寄せる。身体が密着した。ちゃんと心臓が動いている。総悟の身体は温かい。肩に顔を埋める。首筋も温い、深く息を吐いた。総悟の身体がびくっと震える。
「――――――――――なんかあったんですかィ?」
 戸惑っているのが気配で分かる。
「なんでもねェ」とだけ、答えた。
 すん、と鼻が匂いを捉える。気になって呟いた。
「花の匂いがする」
「それアロマでさぁ、今日貰って風呂に何滴かたらしました。アンタも入ればこの匂いしますよ」
「そうか」と言って、総悟の肩から顔を上げる。そのまま、下ろそうとした。だが、それを拒否するかのように、総悟の腕が土方の背中にまわる。戸惑っていた総悟は、もういつもの総悟に戻っている。今度は総悟が土方の肩に顔を置いてきた。
「何か、あったんですかィ?」
 ぐりぐりと顔を押し付けてくる。さっきと同じことをもう一度聞かれて「こんなとこ近藤さんに見られたら大変だな」と話題を反らした。
「そりゃそうですね。で、どうしたんですかィ」
「重さを確かめた」
「なんのために?」
「俺のために」
「なんで?」
「理由なんかねーよ、大きくなったなと思って」
「そりゃそうです。もう二十二です。大きくなってなきゃ困る」
「そりゃそうだ。オイ、もう降りろ」
「嫌です。アンタが乗せたんだ。ちょっとくらい今日は聞かせてくれてもいいじゃねェですか」
「普通に仕事して普通に帰ってきたんだよ。何もねェ」
「じゃあ、質問を変えやす。アンタが俺をいつも必要以上に触るのはどうしてですか」
「膝乗っけたのは今日が初めてだ」
「そうですね。いつもは頭だけですもんね。でも俺が寝てる時は頬も触られます。どうしてですかィ」
 さっきから目はお互い合わせていない。総悟は土方の肩に顔をピタリとくっつけているし、土方は前をじっと見ている。視線の先には寝室の扉があるだけだ。視界には亜麻色の髪の毛が入ってくる。総悟の重さは現実で、それが痛かった。
 土方さん、と総悟に呼ばれた。こんな声色で呼ばれたのは、長い付き合いで初めてだ。困惑しているのを自覚していたから名前を呼ばれた返事は返せなかった。
「俺ァ、生きてやす」
 土方の眉間に皺が寄る。総悟がそのままの声で続ける。
「息してます。死にません。呼吸してます。硬くなんかなっていません」
 総悟の顔が肩から離れた。じっと、睨んでくる。背けるのは、限界だった。眼が合うと、どうしようもなくなった。情けない顔をしているのが自分でもわかって、自らの前髪を掴む。
「大丈夫ですぜ、男前な顔してます。だから俺を触ったあと、後悔した顔しねーでくだせェ」
 言葉が出なくて、息を呑む。
 総悟の頬に恐る恐る手を添えようとして戸惑う。総悟が焦れたように土方の手の甲に触れて、自分の頬にピタリとくっつけさせた。
「俺は花じゃねェ、あんな繊細にできてやしやせん。枯れやしませんって」
 諭すように言われて「うん、そうだな」とだけ口にした。変な声になった。
 息をしていない人間を何人も見てきた。だけど、生きている人間も何人も見てきている。信じられないぐらい弱いのも、信じられないくらい強いのも、両方知っている。
「総悟」名前を呼んで返事をしてくれる尊さを知っている。名前を呼んでも返ってこない怖さも知っている。
「なんですかィ」
 おかしそうにする声がずっと傍にいる保証はないけど、傍からいなくなる確証もない。不安定の中で生きている。分かっている。
 分かっているけど、なくしたくねぇなァ、と思った。そう割り切ったらなんだか気持ちが軽くなって、目の前で余裕ぶっこいている男が小憎らしくなった。
「総悟、悪ぃ、手、仏さん触ったまんまだった」
 総悟が固まった。
 嘘だよ、バカ。ちゃんと事務所で丁寧に洗ったし、さっきも手ェ洗っただろうが。お清めの塩も忘れずまいた。とは、教えてやらない。
「風呂入ってくる」
 アロマだろ、と聞くが、信じらんねェ信じらんねェと顔を青くしている。
 低く笑って、テーブルの上の花瓶を見る。そういえば花瓶にはいつも二輪の花が飾られている。
 いつか総悟が言っていた。
「土方さんは華が無いから、人生つまらないでしょう。だからこうやって俺が飾ってあげますよ」
 そうだったな、と。まだギャーギャー騒いでいる総悟を見て思う。
 出逢った時から総悟はずっと華を飾ってくれていたっけ。