意味



「おめェは栗の花の匂いがしねェなァ」
 坂田銀時が暗闇で低く笑う。
 亥の刻時。高い位置にある虫籠窓からは、遠目にぼんやりとした月が見え、それだけだけが部屋の明かりの全てだった。僅かな灯りだが、銀時は夜目が利くと云っていたから、裸体の隅々まで見られているかもしれない。だが、土方十四郎はそれでも構わなかった。
 肌に纏わりつく冷気に耐えられなくって、半分無意識に銀時を手繰り寄せる。逞しい骨格だが無骨ではない感触は土方にとって唯一つ確かなものだった。痩身で丈の長い理想的な体型を持っている事を改めて思い知らされ、少しばかり臍を噛む思いはしたが。
 衣擦れする音が耳に纏わりついて、身体が上気する。吐息が熱く、高くなるのが無性に気になり戸惑った。
「大丈夫だ」
 絶妙なタイミングで欲しい言葉をくれる。全て見透かされているようで、身体の奥が、銀時の手の動きと相成ってゾクゾクとする。口の端から嬌声が漏れて慌てて唇を結んだ。湿った手の平で身体中を愛撫される。その感覚はいつになっても慣れないが、慣れたいとも思わない。今のままでいい、と目の前の男が言ったからだ。
 銀時は自分から土方を抱こうとしない。土方が強請って、誘って、初めて手をかける。控えめを徹底していて、静かにゆっくりと身体を重ねる抱き方をする。ひどくされた事なんて一度だってない。挿入する事も少なくて、手淫だとか口淫を強いられた事も無い。だからだろうか、銀時に抱かれると、何もかもを受け渡してしまいたくなる。だが、この男は土方の何一つも受け取らない。第一、土方が差し出せるものなんて心と身体ぐらいしか持ち合わせがないのだ。

 土方の元々の家柄は武家だった。だが、時代が明治に変わり、維新により武士は禄を無くし、身分も無くし、刀を持つ事も髷を結うことも禁じられた。多くの者がそうだったように、武士、という立場の絶対的な誇りを失い、それが全てだと思っていた父親は落ちぶれた。時代にうまく対応できず、奉還金を遊廓で狂ったように遊び倒し、自暴自棄になり身の破滅を仰いだ。
 土方は歳五つで売られた。湯島の陰間茶屋に出されたのだ。
 五代将軍綱吉の元禄時代、陰間茶屋は繁盛していた。将軍にも男色者がいた。上がそうなら下も同様、武士や町人にもそういった嗜好の者が多く在った。だが、幕府が財政難に陥り、単価の高い陰間茶屋の客足は徐々に遠のいた。寛政の改革になってくるとそれはさらに加速し、維新後はほとんど存在を無くし衰退した。それでも、湯島の陰間茶屋は図太く生き残っていた。裕福な僧侶の庇護下にあったからだ。
 見世は選りすぐりの美少年ばかりがいた。土方が湯島の陰間茶屋に買われたのも容姿が優れていたからだ。買われてからは稽古の日々だった。朝昼は教養を身に付け、仕草やお客とのやり取り等を学び、夜は自分で身体の調教をした。陰間は江戸者を馬鹿にする上方出身の者が多く、環境も劣悪だったので、土方は本来の無口が過剰になり、心を閉ざすようになった。

 銀時の愛撫はゆるりとしているのに不思議と焦れったい気はしなかった。絆されているような心地良さがあって、水面を優雅に揺れている気さえしてくるから不思議だ。快感と心地良さに溺れてしまいそうになる。
 鼻から抜けるような声が結んだ唇から洩れる度に申し訳ない気がするが、銀時の表情からは感情を読む事は出来ない。だが、伝わる気配からうっすらと分かる。きっと、意に適えているのだろう。自然と頬が緩む。
「きょ……は、どうする」
「お前の熱を放ったら終える」
 優しすぎる言葉に傷つくと、そんな面すんな、と苦笑されて、俯き赤面した。銀時の左手が土方の首下に廻る。唇が合わさるとほぼ同時に反対の手で、性器を握られた。
「お前のも」
 唇が離れた隙間を縫って乞うように言うと「じゃあいつものな」と低い声が下肢に響く。
 お互いの熱がピタリと合わさる。生々しい感触だが、温度が同じぐらいなせいか、奇妙に馴染む。お互いの一番無防備な個所に触れあっていると思うと、本能的に安堵する。
 扱われて高まっていく。銀時の性器も同様に硬く張り詰めていく。それが嬉しく思うのは、陰間になるはずだった性分なのかは分からない。
「んッ……銀時、出る」
 下肢に溜まった熱が押し寄せて、痙攣する。意識が一点に集中し射精の一つ手前だった。顔も身体も心も全てが無防備になる。深いものが迫ってきて、必死に空気を吸って吐く。
「いいよ、出せ」
 裏筋から亀頭の窪みを二、三絶妙な力加減で扱われると限界だった。小さな呻きを漏らしながら射精すると身体の力が抜けきる。荒い息ごと唇で吸われて、気怠い感覚と幸福感が押し寄せてきた。
 汗ばんだ身体に壮絶な色気をしたたえた銀時が夜目でも眩しい。脱力はしていたが、いつものが見たかった。
「銀時も」
 強請ると、曖昧な笑みを浮かべて上半身を起こす銀時を見つめる。土方に見えやすいようにして、自慰をする。土方の瞳が、ほぅ、と潤む。上下する度に角度が変わる性器や吐息の感覚、月夜に浮かんだ白肌に、妖艶すぎる眼差しがなんともいえない。唾を呑んで、興奮が胸に溢れて下半身に痺れを感じる。
 堕ちきっていると云う自覚はあったが、こんな綺麗なものが目の前にあって、自分のものだと思うとそれ以上に優越だ。土方は上体を起こして釘付けになっていた。扱う手の動きが激しくなり「出すぞ」と、低く呟いた切羽詰まった声が堪らない。期待をこめて頷くと、銀時の身体が小さく震えて、鈴口から白濁した液が爆ぜた。睫毛を縁取った瞼が伏せられて、上気した頬が暗闇でもうっすらと分かった。男臭いニオイに誘われるように、土方の性器の先端に顔を伏せて舌で掬い取るように舐める。銀時が薄目で土方の様子をどこか遠いものでも見るかのように見てくるから、痛くないように歯を立てた。
 しばらく好きなようにさせてもらっていたが、身体の熱が冷えてきて寒さを感じると、傍に用意していた手拭いで身体を拭かれた。銀時も自分の身体に飛び散った残滓と身体を拭いて、団の中に仲良く収まる。髪の毛を梳かれて、額に唇を落とされて、その甘さが切ない。
「なぁ」
 銀時に声を掛けられて瞬きをする。
 一緒に暮らして三年が経つ。土方は今年で十七になった。身体はどんなに必死に調整しても、男に向かって少しずつ成長している。陰間茶屋で覚えた方法であっても、喰い止める事はできなくなるかもしれない。いつも覚悟はできている。銀時に拾われたあの日から今日までずっと、いつでも別れを宣告されてもいいように、後悔しないように生きてきた。だが、その言葉を予感して足元から湧き上がるのは寂寥だ。祈るように続きを待つ。
「好きなように生きていいんだぜ」
「好きなようにって……」内心で戸惑う。
「やりてェ事とか、してェ事とかないのか? 金なら工面してやれるし、一緒にできることなら手伝ってやるよ」
 こくんと唾を飲む。大丈夫だ、まだ大丈夫だ。心臓が早鐘を鳴らして、生きた心地がした。
「別に、なんも思いつかねェ」額を銀時の胸に擦りつける。くすぐったかったのか身じろぎをしたが、後頭部に手を添えられた。緩く息を吐く。「銀時、俺ァ、ひどいもんだったんだぜ」軽く笑う。銀時は言葉数が少なくて、土方のこれまでを詮索された事はなかった。だから、土方も己を深くは話してこなかったし、銀時の過去も詳しくは知らない。
 時代だった。
 語れるほどの生き方をしてこなかったのだ。お互いに。欠けたものを補うように寄り添った三年間だった。瞳の奥の暗さは、お互いに見て見ぬ振りをしてきた。どこか空虚でありながら、深い所で交じり合っていた。
「そりゃひでェんだ。売られてからは。知ってるか? 陰間は自分で自分の具合調整しなきゃいけないんだ。毎日毎日、自分の菊座を大小の木製の張型に布海苔をつけて抜き差し」
「止めろ」
 キュっと喉が窄まる。だが、一度口を開いたからには話してしまい欲に駆られた。それは自分が楽になりたいからだと解っている。重荷を銀時に移してしまいたいのだ。だが、口を結び、虫籠窓の合間合間から見える煌々とした月を見上げる。一つ呼吸を置いて謝った。
 銀時は欲しがらないのだ、土方の過去を。
 でも、ほんの少しだけ聞いてくれねぇか、今日は喋りたい気分なんだ、と小さく呟くと、銀時は何も云わずに頷く。緩く微笑む事ができた。
「丁度、突き出しの日だった。薩長と彰義隊の戦で僧侶の寺が焼かれて、そんで見世も無くなった。こりゃ野外で身売りかな、転落人生まっしぐらだなァと思ったら、アンタに拾われた」
 冷たい雨の日だった。歩き疲れて辿りついたのが狭い墓地で、祟られるのならそれでもいいやと思い、一際大きな墓石を背凭れにして腰を落とした。冷え切った身体を温める術は無く、立ち上がる気力も無かった。何日もまともな飯は食べていなかったし、野宿続きで寝不足だった。
 冷たい雨が身体を叩きつけていた。近くの木々の葉はそれを喜んでいるようだが、土方は寒くてたまらなかった。眼を閉じて耐えていると、突然、身体を叩きつける雨が消えた。
 眼を開けると、紺の傘を持った男が目の前にいた。無表情な目が土方に向けられていた。幽霊の類かな、とも思ったが、こんな幽霊なら怖くないなとも思った。暫く無言で見つめ合っていたが、男が膝を曲げて目線が同じになった。そこでふっと男は笑った。寂しい笑みだった。
「飯、食いに来るか」
 それが、銀時が初めて土方にかけた一声だった。
 土方の寄りかかっていた墓石の地中は銀時の大事な人が眠っている場所なのだと、後から違う人に聞いて識った。戦で守れなかったんだと、聞いた。
 あれから、三年。
「だから、俺からは栗の花の匂いなんてしない。アンタの匂いしかしない。アンタの身体しか知らない」
「知ってるよ」
「初会も裏も馴染みもすっ飛ばして俺を手に入れたんだ。身請け代も払わないで俺を手に入れたんだぜ、感謝しろ」
「だからせめてもの三ッ布団にしてんだろ」
「これ、そういう意味だったのか」
「悪ふざけだよ」
 照れくさいのか、顔を反らされてしまったが、土方は覗き込むようにして銀時に凭れ掛かる。
「銀時、感謝してる。ここの家の人には良くしてもらってるし、アンタは何だかんだで優しいし」
 腕を伸ばしてきたので遠慮なく枕にさせてもらう。寒いなァ、とくっつけば少しは温かい。
「死ぬまでにアンタの過去、聞けるのかな」
 なんもねェよ、と銀時は笑う。「過去なんて、何もねェンだ。いちいち気にしてたら今も先も生きられねェ」
 銀時と出逢ったあの墓地の近くには、片腕とか片足とか人間だったものの破片がばらばらに転がっていた。戦の後が色濃く残っていた。それを少しずつ銀時が始末を付けいたことは知っていたが、知らない振りをし続けている。
 銀時の言葉を借りるなら、それはツマラナイことだから。
「土方、俺はお前と生きてェんだ」
 言葉に秘められた深い切実に、土方は頷く。
 時は動く。
 どこに流れるかは分からないし、残してしまったものもあまりに多いけど、誰もかれもが精一杯なのだ。せめて目の前のこの人の息継ぎくらいの存在になれればいいなァ、と土方は思う。
 おめェは栗の花の匂いがしねェなァ、そういう銀時の瞳が一番優しいから、これはこれでよかったんだと土方も前を見る事にする。
 土方のいた見世の陰間衆は戦のどさくさに巻き込まれた。誰も助けようとは思わなかった。苦しいと呻いて助けを求める手を撥ね退けた。生きていたかった。死にたくなかった。
 生きることは死と隣り合わせにある。
 だから土方は死から逃げる。
 「俺もアンタと生きたい」
 気付けば本当に身体中が銀時の匂いで包まれている。







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