未知



 金木犀の甘い香りがして、銀時はその芳香を放つ木を探した。
 その木は溝際に生えていた。小さな橙色の花を無数に咲かせている。金木犀の香りは厠を想像さえる、とよく言うが、銀時はこの強い甘い香りがとても好きだった。
 生業にしている何でも屋の依頼を遂行した帰り道で、近道をしようと選んだのは何時もならば通らない玉の井の繁華な横町近い入り組んだ路だった。吉原のお歯黒溝のほうがまだ救いがあるのではないかというほど溝は濁っているが、金木犀の香りがその溝を幾分か隠しているように思えて、これからこの国は目を逸らしたくなるものを覆い隠すために木を植えるのではないか、と勘ぐってしまう。
 ごたごたに建て連なった商店には最近異国から流れ込んできたネオンがちかちかと瞬き出している。金木犀の路から少し離れると、雑多とする生活臭が鼻についた。ここ数年で景観は驚くほどに変わった。
 幕藩体制が瓦解して薩摩や長州が政治を握り、世は困惑の一方だ。日の丸を佳き国にすると大見得きって幕府を表舞台から引き摺り下ろしたはいいが、執っている政策はそう徳川と変わらないし、寧ろ悪化しているように感じる。世の政など携わったことの無い連中が手探りで猛進しているのだ。それも当然と言えた。税収は高くなる一方で、改革は進まない。問題は山積みのくせ、市民への態度だけは横暴だ。往来を闊歩する薩摩の芋は気に喰わない者がいれば所構わず抜刀し市民を不安に陥れている。
 人々の溜息は鉛のように重く、地の上に積もっているようだった。今の世ならば幕府時代の方が市民な顔色は良かったし、眼の色もよかった。江戸の民は確かに喧嘩っ早い慣習はあったのだが、それでもどこか穏やかだった。
 だからといって、銀時は徳川幕府のままで世が流れた方が良かったなどとは思わない。
 武士とは名ばかりで、武家社会は腐敗していたし、威厳は衰える一方だった。どこに歪みが出ても可笑しくない状態だったのだ。
物事は何時も必然だ。世は河の如き動いている。人の世の流れは、人が作っている。
 銀時は仕事で使った工具箱を小脇に抱え直して今月の生活費の計算を始めた。今日の依頼で大分儲けたから贅沢をしなければあと二十日は働かなくても済みそうではある。今晩は飲み屋で冷酒をクイッと喉に通すのもいいかもしれない。歌舞伎町に向かう場所でどこか適当な飲み屋があったら暖簾を潜ろうと決めれば、足取りが幾分か軽くなったようだった。陰鬱さ漂う世情は付き纏うが、銀時は今目に見えている世界を決して嫌いではなかった。この飄々とした男は世の不条理を誰のせいにも思っていない。与えられている環境で、手が伸ばせる範囲の大儀を。それが信条でもあり生き方だった。
 路地に這入り少し歩くと小橋を渡る。渡り終えると途端に民家が軒並み連なりだす。この時間帯の為か人気も疎らで、道の際で蹲りなにやら探し物をしている女の背中がやけに目立って見えた。線の細い女で、艶黒い髪を結っているために晒されている首筋とうなじがやけに白い。
「探し物か?」
 声をかけると一瞬女は驚いたように肩を上げて振り向く。その容貌を見て、銀時は息をのんだ。姑はそんな態度に慣れているのか銀時の様子に顔色一つ変えなかった。
「櫛を落とした」
 声は思ったよりも低い。陰間は最近めっきり見なくなっていたので、どこか懐かしいような気がした。
「大事なものか」
 陰間は首を傾げて、思案した風だった。
「・・・・・・そうだな、あれがないと髪が結えない」
 なぜか銀時は古い戦友に出会ったような奇妙な感覚を味わっていた。この陰間とは初対面であるというのに。
「新しいの、買ってやろうか」
 なぜ、そんな事を言ってしまったのか分からない。ただ、陰間の涼しい張った眼を見ていると身の置き場が一つ増えたような、そんな気がしてくるのだ。
 小間物屋で選んだお六櫛は木材がみねばりで手挽きの片荒梳き櫛、長さは三寸二の見事なものだった。店主の話によると、なんでも木曽郡木祖村薮原の産で、みねばりの成長から職人の手仕事まで、気の遠くなるような時間と手間が掛けられて造られた一級品らしい。値段はそれなりに張ったが、黒布に梅があしらえられた櫛入れと二つ買ってやった。
 陰間は表情に起伏が乏しいらしく、銀時が与えた櫛を胸に抱えているだけで大袈裟に喜んだりはしない。だが、それを撫でる手が滑らかで、なぜか銀時は頬が紅くなった。
 帰ろうとすると、腕を取られる。
「時間はあるか」
 そう聞かれて頷けば、陰間は銀時の腕に添えた手を放さずに歩き出す。銀時は黙って付いていった。陰間からは色里の匂いがした。項に垂れたほつれ髪がさらさらと風に靡いて、気付けば目で追っていた。
 いくつかの曲がり角を越えて、よしずの日覆を掛けた家の前に立ち止まった。陰間は銀時を振り返り少しばかり逡巡して、
「何も無いけど」
 と呟いた。「お前の家か」と分かりきった事を聞いて、銀時は失敗したなと心の内で己に味噌をつける。陰間はそんな銀時の内面を見透かしたような静かな顔で少し笑った。
「ああ、そんなもんだ」
 戸を開けて、銀時が入るのを待つ。銀時はゆっくりと上がった。
 荒い大阪格子を立てた中仕切りへ、鈴の付いたリボンの簾が下げてある。上がり框に腰をかけて靴を脱ぐと、陰間がすかさず雑巾で銀時の足を丁寧に拭いた。その習慣が物悲しいような哀愁を感じる。
 狭い部屋だ。広さは一間四畳が連なって二部屋。私物は少ないようで茶箪笥と箪笥に古い円卓、それから籠が無造作に置いてある。あとは布団という、殺風景すぎる部屋だ。
 円卓の傍に置いてある座布団に腰掛けて、陰間に分からないよう顔を顰めた。独特な香の匂いに栗の花に似た男の臭いが交じっている。この陰間以外の男の残匂だ。銀時は鼻が利きすぎる。
 陰間は銀時の向かいに腰をかけて、茶箪笥から急須と湯飲みを取り出す。茶葉を入れ、薬缶で湯を注ぐ。一つ一つの所作が、姑らしく、姑よりも洗練されている。俯くと睫が際立った。熱いから気をつけて、と出された湯飲みを受け取る。陰間が自分のために淹れている湯飲みよりも一回り小さい造りだった。
 銀時の視線に気が付くと、陰間は苦笑した。
「それ、俺のなんだ。これは、いろんな奴が使っているから」
 開け放たれている丸窓からは秋風が吹き込んでくる。澄んでいるせいか、凍みるような風だった。
 それから、話をした。内容の無い会話だったが、気安かった。陰間は無口なようだか聞き上手で、銀時の話を眼差しで強請っていた。
「名前、何て云うんだ」
「土方」
「土方? 下の名は」
 土方は答えずに曖昧に笑う。銀時は土方の回答を諦めて「そろそろ帰るわ」と立ち上がった。
「また、来るか?」
 土方は抑揚無く言った。
「来るよ」
「いつだ」銀時の返事を聞くや否や、間髪いれずに聞く。「明日か?」
「明日も来るよ」
「そうか。昼間、昼間に来い」
 仕事の依頼は暫く入っていない。銀時が「いいよ」と答えると、土方は「そうか」とそれだけ言った。銀時が去る時、土方は見送らずに外の景色を眺めていた。

 約束どおり、昼に土方の家に出向くと、家の前に土方は立っていた。銀時の姿を眼に映すと、少し頬を緩めた。昨日と同様、上り框に座った銀時の足を丁寧に拭う。
 昨日と同じ位置に座ると、
「食え」
 土方は短く言った。銀時は一瞬呆けて、机の上にある饅頭を指差し「これ?」と聞く。土方は悪戯に笑って頷いた。
「いいの?」
 食べるのは銀時なのに土方のほうが嬉しそうな顔をする。
「いいんだ。俺は甘いものは好かないし、もらい物だから」
「じゃあ、ありがたく」
 土方は銀時が食べるのを、少し眼を細めた愉しそうな顔で見物して「美味いか?」と聞く。声が弾んでいた。銀時はそんな土方の態度が意外だった。基本的に体温が低く、あまり物事を愉快に捉えることのできない男だと思っていたのだ。
「すごく」
「そうか」
 土方は満足そうに頷いて、立ち上がり、丸窓の前に座り顔を風に当てた。

 その次の日も銀時は土方の家の戸を潜っていた。
 土方は昨日同様饅頭を皿に置いて銀時に差し出す。それから奥の部屋に行き、着物を脱ぎ襦袢姿になった。銀時はその姿に眼を細める。すぐさま目を逸らすように持ってきた布袋から線段の丸湯のみを取り出す。自宅兼仕事場の物置の底で眠っていた引き出物の揃いの湯のみだ。急須にお茶葉を入れて湯を注ぐ。真新しい湯飲みに茶を淹れると、円卓の上において、銀時に背を向けて白粉をはたく土方に声をかけた。
「茶、入れたから」
 振り向いた土方は暫し呆けてから驚いた顔をした。その表情がいくらかあどけない。こんな顔もできるのか、と銀時は鼻がツンとするような思いだった。
「俺に?」
「そうだよ」
 土方は信じられないように瞬きをすると、新しい湯飲みに気付いて瞳が揺れた。唇が迷うように少し動いて「そうか」と表情を緩めた。深い藍色の着物に紺の帯を締めてから、緩々と歩いて来て、円卓の前に座る。湯飲みを持ち上げると、まるで子猫を撫でるように触れた。
「これ、どうしたんだ」
「家にあったから、ここに置いておいてもいいか」
 指で二つの湯飲みを差すと、土方は銀時の顔を見ずに「箪笥の中に隠しとくな」と悪戯に笑う。
「ちゃんと隠しておけよ」
 態と偉ぶると、土方は生真面目に頷いた。
「口は堅いんだ」
 銀時はその口調が土方らしくて、可笑しくて、笑った。
 それから土方の家に毎日通った。二週間が過ぎると、自分の家よりも落ち着く有様で、だが、土方の家に泊まる事は一度もなかった。極力贅沢をしなければ案外金は減らないことを学んだ。
 その日はいつものように用意された饅頭を食べながら、手鏡も持って化粧をする土方を観察していた。
 白粉をひくと、青白い顔色が少し良く視える。それだけのことだった。もともと土方の肌は綺麗だし、目鼻立ちは整っている。
 気が付くと、紅を塗る土方の腕を取っていた。
「なんだよ」
「塗らなくてもいいんじゃないのか」
 土方はじっと銀時の顔を見詰めて「嫌いか?」と聞いた。
「紅はあんまり」
「そうか」
 暫し何かを考え込んで、紅を仕舞う。
 自分で止めたくせに「いいのか」と聞くと、土方は少し微笑んだ。
「必要がないのに越した事はないから」
 張った瞳が相変わらずで、銀時もひっそりと笑った。

 今年初めての雪が降った。
 土方は秋口から相変わらず薄着で、見てるほうが寒い。家の中には小さな炉があって、暖はそれだけだった。いくら着込めといっても訊かないし、暖をとれといっても曖昧に誤魔化す。
「あのさ、何時もいうけど、なんか上に着ろよ。見てる方が寒い」
「だから、今そんなもん着たら、もっと寒くなったときキツイって言ってんだろ」
 部屋は冷え切っていた。銀時が訪れる少し前に慌てて炉に火を加えた様で、炭も薪も燃え滓はほんの僅かだった。
「炭ならうちに余ってんのあるから無くなったら持って来てやるし、上着も持って来てやるから、取りあえずもっと気を使えよ。身体に障るぞ」
 土方は立ち上がると、何時もの皿に饅頭を置いて銀時に差し出しす。
「まぁ、食えよ」
 銀時は溜息をついて受け取る。土方の前髪を掻き上げて、ぐしゃぐしゃに乱した。一口で食べてしまうと、土方の腕を取り強引に引き寄せる。銀時の前に座らせると、男にしては細すぎる背中を後ろから覆いかぶさるようにして炉に当たる。この体勢が最近の二人の定位置になっていた。
 土方の背中が銀時の胸板に凭れ掛かる。冷たいと文句を言いながら身体を密着させれば土方は少しだけ紅くなる。そして、いつもに増して無口になる。
 銀時は土方とこの部屋から、男の残香がしなくなっていること気付いていた。
 土方の右の項に頬を寄せる。雪のような白さのせいか、冷たくてたまらなかった。土方に体温を移す事に微塵も躊躇なんて無かった。
 丸窓の外は雪が舞っている。部屋は小さい炉なんかじゃ暖まらない。土方を強く抱きしめて、銀時は眼を閉じた。二人分の呼吸の音が、乱れぬように、ただ、それだけを意識していた。
 その日、土方の家を後にする時、初めて土方が玄関まで見送りに来た。形のよい唇を噛み、ほっそりとした身体を戸口に寄りかからせて俯いていた。
 銀時はくだらない揶揄を一言二言零してから、傘を差し、土方の顔を視界から遮る。土方の家を出るのは暮れの六つと決めていた。一度も刻を越した事は無い。
 土方はこれまで銀時に何一つ口に出して望み事を言わなかった。銀時も土方に度を越して尽くしたりはしなかった。それが奇妙な境界線だった。
 土方の家から銀時の家まで歩いて一時間半かかる。それを毎日通っている。銀時はその長さが決して苦ではなかった。ただ、土方の身体がどんなに熱を分けたくとも一向に温まらないことが、銀時の胸のシコリとなって燻っていた。

 冬の寒さは一層加速して、至る所に氷柱ができるようになった。一面の銀色が世界を凌駕し、町並みは随分と静かになった。この日の土方は人が変わったかのように饒舌だった。その様子は何やら自分の身の置き場を忘れてしまったようで、落ち着かない。話が彼方此方に飛んで、次第に声が上擦ってくる。呼吸のつきかたもおかしくて、銀時は困惑した。
 声をかけるのも憚られるほどに、何かを吐き出したいのか、土方は口を動かし続けている。銀時は口を挟まず、土方の話を聞いていた。故郷の話、売られた頃の話、丸窓から通りを眺めていると、それだけでいろんなものが見えてくる話。男との情交の話だけは一切無かった。
 一通り話の種が尽きたのか、沈黙が下りたとき、土方の右腕が力なくだらんと垂れていることに気が付いた。そういえばここに来てから土方は右手を曲げていない。銀時の視線に気が付いたのか、土方が少し右手を庇うように身を引いた。
「見せろ」
 傍によって強引に腕を引くと裾を捲くる。右の白い腕が紫色に変色していた。土方が咄嗟に腕を引き左手で右手を押さえる。
「なんでもない」
 土方はがん是なく首を振る。
「なんでもないの?」
 口調は緩く言いながら右腕を軽く掴むと土方は痛みに呻いた。「本当になんでもないのか」と少し握る力を込めると、土方は額を手で覆う。その手がやがて震え出して「なんでもない、なんでもない」と繰り返した。
 銀時は気付いていた。この部屋から土方の着物が減っていることを。着物だけじゃない。持ち物が目に見えて少なくなっていることも。それでも毎日、銀時が来るときは円卓に饅頭が置かれていた。いつも違う種類の饅頭だった。
 土方の腕から手を放し、箪笥を開ける。着物が二枚しかない。私物は元から限りなく少なかったが、それでも二十着以上は持っていたはずだった。籠に入っていた懐中時計も見当たらない。銀時の買ってやった櫛と持ってきた湯飲み以外、ただでさえ少なかった土方の私物は最早、無いに等しかった。
 土方の身体がますます細くなっている事にも気が付いていた。白粉で誤魔化しているが、顔色がひどく悪くなっていることにも気が付いていた。
 土方は一度も銀時の差し出す金を受け取ろうとはしなかった。「客じゃねぇんだ。お前は。そういうんじゃねぇから、やめてくれ」と悲痛な顔で頼まれたらそれ以上どうすることもできなかった。
 だが、黙っているのは最早、限界だった。
 土方の前に仁王立ちになり、その頬を軽く打った。
「なんでだ、なんで」
 声が情けなく震えて、気持ちのやり場が土方への愛しさと怒りにしか行きつけない。土方は銀時の表情に目を瞠って傷ついた顔をした。
「なんで、何も望まないんだ。どうして、助けを求められねェ」
 解かっていた。いくら銀時が言葉を尽くしたって、土方が決して弱音を吐かないことを。いくら銀時が土方を連れ出したくても、土方が銀時の手を取らない事は解っていた。
 土方の帳面は銀時と出会ってから真っ白で、身の回りのもの全て売ってしまって、手元に何にもなくなって。
 右腕はここらの私娼窟を仕切っている御主人にやられたのだろう。
 土方は潤んだ目を左手で拭うと、茶箪笥から饅頭を取り出して銀時の口元に運ぶ。痛む右手で必死に銀時の頬を撫でて「なんでもないんだ。大丈夫なんだ」と繰り返した。「嬉しかったんだ、櫛、本当に嬉しかったんだ。湯飲みも、本当にどうしようもなく、嬉しかったんだ。銀時、食べて、なぁ、泣くなよ。甘いもの好きだろ、俺、本当に嬉しかったんだ。幸せなんだ。だから、大丈夫だから、銀時」
 その日、出会って初めて土方の家に泊まった。狭い布団に抱き合いながらお互いの鼓動と、雪の音を聞いていた。
 眼を覚ますと、冬特有の力のない朝日が丸窓から部屋に入り込んでいた。
 土方は銀時の髪の毛を撫でて、額に唇を落とした。
「ちょっと、井戸に水汲みに行くから、待っててな」
 寝起きの擦れた声に甘さが交じっていて、銀時は照れて笑う。
 布団から飛び出ている顔が痛いほどに寒くて、そんな寒い思いを土方にさせたくなくて抱きしめて止めれば、土方は困ったように笑って直ぐ帰ってくるから、と銀時の胸から離れた。
「俺も行く」
「駄目だって、見つかるとまずいから」
「こんなに通ってんだ。もう、ばれてんだろう」
「でも、駄目。お前に助けてって、言えなくなっちまう」
「言ってくれるの」
 土方は答えずに、銀時の腕から抜けて立ち上がる。
着物を身につけ綿の入った上着を纏った細い身体に、せめてと銀時は自分の上着も被せた。
「これも着ていけ」
 土方は少しだけ考えるような顔をしてから「ありがとう」と受け取り、銀時がやった櫛を大事そうに懐に仕舞ってから出て行った。銀時は土方の背中を見送り、唇を噛み前髪を掴む。
 土方はどこにも行けないと思っている。生まれてからずっと、こういう生き方しか知らないのだから、これ以外に何も無いと思っている。これ以上ない地獄で生きてきた土方は、もし他の生き方をして更に怖い目に遭ったら、もし少しでも希望を持って裏切られたら、立ち直れないと思っている。
 だけど銀時も、もうどうしようもないのだ。苦しくて溜まらない。懊悩するのはもう沢山だ。
 宙を睨みつけて、土方の沢山の表情を思い起こして、やっぱり無理だ、と家を飛び出した。
 雪が降っていた。暴力に近い降り方をしていたが、悪環境には慣れている。夢中で走って、細い腕を屈強な男に掴まれて歩いていく後姿が見えると銀時は叫んでいた。
「土方!」
 土方が銀時の声に反応し、ゆっくりと振り返る。土方は銀時を見詰めて、唇を噛む。右目の周りにできている先ほどまでには無かった痣が銀時の胸を締め付けた。気持ちを食い止める理性が決壊して、濁流が溢れる。
「もう、四の五の言わずに、こっちに来い!!」
 銀時が吼えると土方は瞳を揺らして「銀時」と呟いた。白銀の世界の中、それっきり口を噤んで身体を震わせた。

 





 





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