銀時は土方を見つけると、その身体を持ち上げた。欠伸を噛み殺しながら、朝焼けの辻を往く。路の端に辻社に道祖神が祭られている。目に留め、ただなんとなく足を留めた。今回は割りと早く見つけられた。安心しきったように、あどけなく眠る土方の寝顔に苦笑し、銀時は空を見上げる。東の空全体が赤く輝いていた。
 土方は相変わらず放浪癖が抜けない。だが、その距離は格段に短くなっていて、大体いつも五キロの範囲で見つけられている。土方の放浪癖は、傷の完治を待つようにして始まった。最初は動揺し、必死になって探したが、このところは慣れてきて冷静に土方を探すことができるようになった。なんとなく、もう土方は余程遠くには行かない気がしたのだ。先日、沖田と近藤が様子を見に来た。その時、土方は珍しく二人が帰るまでずっと起きていた。二人が帰ってからは暫く眠っていたが、それでもその時から劇的に睡眠時間が減っていた。日中起きている時間が多くなり、言葉も頻繁に交わすようになった。突然の銀時との生活に、土方は驚くでもなく、まるで当たり前のように受け入れている。そして、二人でよく散歩をするようにもなっていた。これはリハビリも含めてのことだが、土方は今までの遅れを取り戻すかのように外を歩きたがった。
「いろんな夢を見るんだ」
 と、ある日、近所の山林を散歩しながら土方が言った。
「沢山、寝てたからな」
「怖い夢も面白い夢も、いろんなのを見るんだけど、起きた時に安心するのは決まって怖い夢なんだよな」
「怖い夢って?」
「いろいろあるんだけどな、眠ってる俺に、いろんな奴が起きろって、石を投げつけるんだ。罵声を浴びせて、非難して。それで、俺は気がつくと、暗いところに一人になってる。周りは無音で無臭で、身体は動かない。ただ暗いだけなんだ」
「追われる夢だとか、殺される夢だとかじゃなくて?」
「意外と、誰もいない暗いところで何をするわけでもなく、ただ、居るだけってのが、一番怖い。自分だけ取り残されたみたいで。最初から一人ならいいんだけど……非難されても誰かが居たほうがずっといい」
 銀時は、そういえばこのところ自分は夢を見ないな、と考えていた。
 土方の放浪癖は早朝の時間帯に現れることが多かったが、稀に夕方にもいなくなることがあった。見つけて背負って連れて帰る時に、近所に住んでいる中年の男に「気の毒にな、若いのに病人との暮らしは大変だろう」と同情されたことがあったが、不思議なほど銀時は土方との暮らしを、厄介だとも面倒くさいとも思わなかった。静かな暮らしだったが、それを退屈だとも思わなかった。
 銀時の仕事がある日は、体調が優れていて尚且つ起きている時に極力職場に連れて行った。土方は、茣蓙を敷いて大概その上で眠っているか、ぼうっと座って、銀時を中心に色とりどりの自然の色彩を眺めていた。表情豊かな二ゲラの花がそこかしこに佇んでいる野原に座り、穏やかな春風そよぐ日の下で日光浴している土方を見たときには、土方の身体の輪郭が以前よりも濃くなっていることに気が付いた。何が作用したかは分からないが、この生活が今のところ土方にとっての療養になっているのだと思うと、安堵した。銀時にとってもここでの生活はここ数年で一番穏やかなものになっていた。

 汗を拭いたばかりの肌に桃色の花弁が舞い降りた。
 山は急な傾斜だった。団栗でも置いたらすぐさま転げていくほどの斜面を、山桜の幹がものともせずに空に向かって伸びている。木肌に触れると、横縞の肌はすべすべしていた。花弁は空の色に透けている。ほぼ等間隔を保って斜面に並ぶのは山桜に大島桜。傾斜を上ると杉林の谷があり、この時期に杉の葉は茶色から緑に色の衣替えを済ませている。そこから先は照葉樹林が広がっている。渓流の涼しげな音と山鳥の囀りが午睡の眠りを誘っていた。銀時は欠伸を一つ零すと、傾斜を斜めに登りながら幹の具合を点検し、色付いた桜の木々を視界のフィルムにおさめるようにした。
 傾斜が緩まるところで一際大きい大山桜に腰を落としている土方を振り返った。大山桜は山桜に比べて花や葉が大きい。たわわの花色は紅紫色で、ここの辺りの桜で一番壮大で麗しい。木陰で眠る土方は気持ちよさそうにしていた。銀時はその光景に目を細める。引き寄せられるようで、暫く目が離せなかった。
「土方」
 呼ぶと、ゆっくりと土方が目を開ける。眠たげにしながらも銀時を見て、小さく手を振った。銀時は自分の鼓動の音が、土方と背後に聳え立つ桜の息吹のように感じた。
 足腰に力を込めて土方に近付き、大山桜の幹に手をついて見下ろすと、眼を擦りながら土方が上を向く。花が枝が、大きな笠のようだ。
「綺麗だな」
 土方は眠り声だった。
 土盛された大山桜の根は、その巨体を支えるための隆々とし力強く伸びている。葉はよく見ると、広楕円形で先がとがり尾状になっていた。日差しがそこだけ降りてこないのが不思議な気がした。
「毎年、ちゃんと守りをされてるんだ。そろそろ行くぞ」
 銀時が差し出した手を土方は軽く掴む。銀時の手を支えにして土方が身を起こすのを助けるように、反対側の手を腰に回した。
「山桜はソメイヨシノとは違うんだな」
「そりゃそうだ。あれは、里桜で、人間が園芸用に交配した品種だからな。ソメイヨシノは種では木にならないんだ。接木で増やしていくしかない。だから、日本に分布している吉野桜は全て最初の掛け合わせに成功した一本のクローンなんだよ。人間の手によって広がるしか、手立てがないんだ。だけど、山桜もある意味では同じかもな。木は放っておくと蔓が蔓延って死んでしまう。山桜は元々、自生していたっていうけれど、生息地は限定されていたし、山野を覆っていた暗い森が桜の生存を阻害していたからな。明るい陽光が降り注ぎ、水はけのよい土地でなければ桜は生きられない。鬱蒼とした森を避けて暮らしていくしかない。だから、古来から人間が手入れをして守りしてきたんだよ。森は放って置くと無法地帯になっちまうからな」
 植木職人の受け売りだった。銀時はサナトリウムで土方を見つけてから足掛け一年、そのまま土方の療養を兼ねて高知で生活をしている。友人の口利きで、植木職人の下で臨時雇いとして働いていた。元々器用な性格で、運動神経は抜群である。力仕事と敏捷さがかわれて半年でちょっとした仕事を任されるようになっていた。
 土方の体調は銀時と山裾の番小屋で生活するようになって大分良くなった。一日の大半はうとうととしているが、呼びかければ目を覚ますし、寝入りばなの悪夢に魘されなくなっていた。それに、寝起きに金縛りにあうことも最近は少ない。顔色は未だ青白いが、陽の光を浴びれば以前よりも明るみが混じるようになっていた。銀時の仕事にこうしてついて来るようになったのはここ最近だが、大自然の景色の中に佇む土方は最初に出会ったあの時と同じ印象で、銀時の中に、木漏れ日が差し込むかのような鮮やかさを色付かせていた。
 どこからともなく飛んできた蜜蜂が大山桜の大輪の花冠に顔を埋める。春めいた春そのものの穏やかにゆたう光景だった。
「ソメイヨシノも綺麗といえば奇麗なんだが、山桜の散り際は格別だぜ。春の風に吹かれて流れていく花弁が本当に見事なんだ」
 土方は眠そうに微笑んだ。春の日差しに揺られた二人は、まるで微睡の中にいた。
 樹林は低木が群集している。ツツジは蕾が今にも開きそうなものと、先取りして花を開かせているものとが入り混じり、細く伸びる尖った枝になった葉は光沢があり瑞々しい。手前の杉林は葉が小さく、厚い。これは、冬も維持し続けるための植物の知恵だ。冬季の寒さが厳しい地域では、樹木は冬を落葉によって凌ぐ。それを、落葉広葉樹という。
 風に吹かれて彷徨う花弁を眼で追っていた土方が、銀時に凭れかかってきた。ふらついたのか、そうでないのか、そんな事はどうでも良かった。銀時は支え、樹木の間を練るようにして進んでいくにつれ不思議な感慨が湧いた。それは、とても穏やかなものだった。穏やかで尚且つ気恥ずかしいものだった。
 土方は悪戯っぽく笑って云った。
「いいのか、お前」
 銀時はちょっと不意を付かれ、瞬きを二三度繰り返し、頬を赤らめそっぽを向いた。「いいんだよ」とぶっきらぼうな声になった。
「俺な、よくお前の夢を見ていた気がするんだ。目ェ覚めると忘れちまうけど」
「俺の?」
「ああ、もしかしたら、お前と出会うずっと前から―――――――――――」
 土方の前髪が揺れたかと思うと、瞬きをする間も無く、唇が触れ合った。驚いたのは一瞬で、背筋が奮え、腰の辺りからペニスの先端にかけて痺れるような刺激が走った。草の匂いが鼻を付く。土方の白い項を認識する時には、もう既に銀時は土方を押し倒していた。土方は目を細めて妖艶に笑っていた。剥き出しの鎖骨を銀時に見せ付けるようにして顎を上げた。樹木の隙間から零れ落ちている木漏れ日が土方の肌に文様を落としていた。土方の腰の線を擽り、固く小振りな尻を着物の内側から掴む。土方は下着を着けていなく、一寸身動ぎをした。乱れた着物から白い太ももが姿を現し、うねった。銀時は湧き上がる性欲を感じていた。杉林はひっそりと静かで、銀時はどうしようもない欲を止めることができなかった。土方の股間に舌を絡めると、そこはたちまち上気した。硬く勃ちあがる土方のペニスの根元を握ると、情欲にまみれた瞳で土方はその先を強請るように銀時に視線を向けてきた。
 土方に跨りペニスを咥えているこの光景に、野外で人の上を這うこの体勢が、茫洋とした思考をふと、記憶を想起させた。土のにおい、草のにおい、銀時は無意識のうちに腰の辺りにあるものを探していた。だが、それを所持していないのを思い出し、欲はそのまま残ったが、思考の片隅が空虚になった。土方を喉奥まで迎え入れて、空虚とした部分を満たそうとした。
 世界は、切欠さえあれば、簡単にそれまでの常識を思想を覆す。愛国主義、軍国主義、国旗を掲げ国家を斉唱し、日本国万歳天皇万歳。墨で塗りつぶされた教科書に、インターナショナル。焦土と化した地を踏みしめた時の喪失感と虚脱感。自分だけを取り残して回る世界の軋む音。
「きもちいい・・・・・・」
 銀時は自分に対してずっと欠落感を拭えなかった。悔やんでも、何に対して悔やめばいいのか分らなかった。取りこぼしたものに対してどういう思い出を刻めばいいのか分らなかった。眠る土方は、その全てだった。自分の欠落であり、他者の魂だった。
「ぎんとき」
 目を細めながら気持ち快さそうに笑う土方の射精を咥内で受け止めて飲下すと、今にも眠気に浚われそうになる土方の耳元に囁くように「眠れ」と囁いた。そのまま暫くの間、土方の前髪を擽っていた。寝息を聞きながら、銀時は気怠い気持ちでそのままになっていた。
 そろそろ、東京に戻らなくてはならない、現実を受け入れなければならない。解かってはいながらも、銀時は土方を引き寄せながら目を瞑った。
 二人は春の微睡みの中にいた。