女房



 西日の眩しさに坂田銀時は眼を細めた。
 夕焼けの暮れなずむ空を鳶が二匹、輪を描きながら上空へ旋回し舞い上がる。鋭い光の中に向けて、少しも羽ばたかずに上昇する。銀時は縁側に寝転がり、片肘をついて頬を支える体制で空の様子をずっと眺めていた。要するに至極、怠惰なのだ。
 銀時の父親が死んで三年経つ。といっても、血の繋がった実の父親ではない。銀時を養子に取り、育ててくれた義理の父だ。義理の父は布津藩の武士で名を坂田蔵人といった。だが、武士は武士でも身分は最下級の徒士である。苗字御免に二本差が許されている肩書きだけの武家である。勿論、お目見え以下で、取りあえずは武家屋敷の並ぶ界隈に居を構えているのだが、住まいは八畳二間に土間の荒れ果ててはいるが庭がある粗末な長屋である。石高はたったの七石だ。これだけでは到底生活が出来ないので、庭に十五坪ほどの道場がある。銀時は父親の跡目を継いでこの道場の主だ。流派は無天派流というふざけた名で、門下は今のところ一人もいない。要するにジリ貧なのである。
 父の代にはそこそこ門下もあったのだが、貧乏道場に集まる門下生など貧乏に相場は決まっている。月謝は払わない、稽古に身は入らないの体たらく。正月に餅を喉に詰まらせて父が死んだのを切欠に、門下の者も道場からいつの間にか消えていた。しかも、尤も悪いことに銀時は道場を復興させる気など露一滴すらも無かった。切り詰めて生活すれば一人身であるから七石でもどうにか食える。たまに普請を手伝えば役料をもらえる。おとこやもめの生活である。楽観的で不精な銀時は自堕落なこの生活を微温湯に浸かるような気分で甘んじ、満足していた。
 山の稜線に夕日が溶け込み始めた頃、銀時の腹の虫が情けなく鳴いた。父親が精を出していた畑は手入れを怠っているせいで雑草が群集し、ナスやキュウリなどの野菜はどこにも見当たらない。庭で育てた野菜をせっせと売り歩いていた父に悪い気がしたが、銀時は畑のどこをどうやって手を付けたらいいのか分かりかねる。のっそりと起き上がると身体を伸ばして首を回した。二八そばでも食べに行こうと、懐に巾着を潜り込ませた時、戸口から「ご免申す」と声が聞こえた。どうやら来客者らしい。
 和土に立っていたのは顔馴染みの桂小太郎だった。尤もこの男は中流武士である。銀時とは身分が違ったが、なぜか気安い。桂のほうも然してお家柄に拘るほうではないのか、銀時の長屋に遊びに来ることがよくあった。
「相変わらず汚い住まいだな」
 桂は部屋の隅々に眼を散らせ、呆れたように笑う。
「こまめに掃いてはいるんだがな」
「そうではない。お主の腕ならば、道場を流行らせることもできるし、剣術の腕前を披露すれば取り立てられる事もあるだろうに。燻ってるのが惜しいと言っておるのだ」
「いいんだよ。気楽に生きてるんだ」
「つくづく不思議に思うのだが、なんでお主はなにかに固執したり、出世欲といったものが無いのだ?」
「逆に俺はなぜそこまで齷齪して世の中に固執するのか不思議だがな」
「自分の働きで世に貢献したいとは思わんのか。お主も武士であろう」
「貢献して何になる。食って寝ること以外に必要なことなんて、何があるのか俺には理解できねえな」
 桂は首を竦めると、苦笑を零した。
「今日のところはその話は置いておこう。それより銀時、俺の代わりに萱場町で行われる剣術試合に出てはくれないか?」
「なんだよ、突然。やだよ、めんどい」
 即座に断りを入れても、桂の涼しい表情は変わらなかった。
 年に一回、萱場町の播本家の中屋敷で名を馳せている剣客を集め、剣術の技を競う試合が行われる事は銀時も知っていた。これには徳川将軍の補佐役、播本大老が主催することもあって、江戸市内のみならず他地方からも我こそはといった剣客が集い、竹刀を振るう。この試合で勝ち抜き名を売れば、お目見え以上に取り立てられることもあるのである。道場を構えている者にはかっこうの宣伝の機会にもなる。ただ、参加資格は流派の免許皆伝以上を取得しているものという規約や、有名道場の口利きなども必要で銀時など無論参加する事はできないのである。
「お主どうせ暇だろう」
「お前が自分で参加すりゃいいじゃねえか」
「参加したいのはやまやまなのだが、国許の母親の体調が思わしくなくてな。江戸詰め六年にして漸く一時帰省の許しが出たのだ。これを逃すと何時また帰郷できるのか分からぬ」
 国許から十代もそこそこで江戸詰めに出立してきた桂は、もともと器量がよかったのか、次第に仕事を任されるようになり加増され、昇進していった。江戸詰め藩邸に無くてはならぬ男になっていたのだ。という噂である。銀時は、堅物であるが案外気が抜けているこの友人の仕事の出来に猜疑的だ。
「別に俺じゃなくてもいいだろう」
「俺の代理で出るんだ。練兵館の名に関わる。生憎、下手な奴には頼めんのだ」
 桂小五郎は名の知れた剣客でもある。江戸三大道場の一つ、練兵館に入門し、免許皆伝を得ている。入門一年で塾頭にまで上り詰めた稀代の剣士と謳われていた。
「俺は練兵館のもんじゃねえぜ」
「今の練兵館の連中では北辰一刀流桶町千葉道場の坂本辰馬、柳生新陰流明倫館の高杉晋助には足元にも及ぶまい。俺が知る奴ら以上の剣客はお主しか知らぬのだ。頼む、銀時」
 まだ父親が存命だった頃、何を思ってか、桂はこのおんぼろ道場の門を叩いてきた。「頼もう、お手合わせ願いたい」と門の前で叫んだ今よりずっと若い日の桂を銀時は今も覚えている。父親に「やってやんな」と言われ、自分が相手をした。桂は強かった。今まで手合わせした誰よりも筋が良く、銀時も苦戦を強いられた。
 あの頃よりも大分年月が経っているのに、桂は少しも変わらない。銀時に一本を取られた時、暫し呆然とし、何か満たされたような満面の笑みを浮かべた、その表情を今でも持ち続けている。
「お主、強いな。そうか、まだ勝てぬ相手がおったのか、そうか」
 嬉しそうに、何度も何度も呟いていた。また来るぞ、と颯爽と踵を返して去っていった桂は、その後、本当に何度も遊びに来た。仕舞いには坂田道場で稽古をするようにまでなった。もっと建付けのよい道場に通えるだろう、と言えば、ここ以上に剣術を磨ける所などそうは無いぞ、と銀時の耳を疑うようなことばかりを言ってのけるのだ。勤めが多忙になってからはなかなか赴かなくなったが、道場の名札掛けには桂の名前もしっかりと嵌めこまれている。
 銀時はあからさまに迷惑そうな表情を浮かべた。桂は咳払いを一つしてから、銀時の手を取り笑みを浮かべる。
「銀時、やってくれるか。うな重でも食いに行くか」
 うな重、と聞いた瞬間に、銀時の眉間は皺をなくし、頬が上がり、目が半円を描いたかと思うと今までの不服声が嘘のように変化した。
「ヅラ、俺とお前の仲じゃねぇか」
「お主、変わらぬ」
 さも愉快そうに桂は笑い声を上げた。

 かように違うものか、と銀時は目の前にある播本大老の屋敷の荘厳さに感嘆した。
 播本の中屋敷は鉢巻を締め眼光鋭い男たちが竹刀片手にそこかしこに佇んでいる。銀時も渡された鉢巻を額に巻くと、竹刀を片手で振って風を斬った。思い出すのは、うな重の涎滴れ落ちる濃厚な味である。最後まで勝ち抜けばもう一杯奢って貰える約束である。負けるわけには行かない。ざっと見回して、桂から訊いていた要注意人物を探した。
 四人の男が、目に留まった。松の木下で胡坐をかいて退屈そうに座っている男が一人。片目に包帯を巻きつけてあるのであれがおそらく隻眼の高杉晋助であろう。それから、門の近くで力の抜けた面で上を向いている長身がおそらく、坂本辰馬。もう二人は一緒にいた。厳つい四角い顔をしている男と、その隣に少し小柄な未だ十代であろう青年。名は知れないが、この四人の剣客は特に注意して掛からなければならないな、という気がした。ふいに、高杉と坂本がこちらを向いた。両方と眼が合い、すぐに逸れる。向こうもこちらを意識していることが知れた。
 軽い準備運動に膝を曲げると真後ろから声が掛かる。振りかえると、二人組みの男だった。
「こんにちは」
 挨拶を寄越してきたのは、小柄なほうの青年だった。大柄は傍で何か面白いことでもあるのか愉しそうに笑っている。
「ども」
「あんたと刀交えてみてぇなァ」
 心底宿望するように青年が呟いた。総悟、と大柄が青年に向く。「今回は見学だけだからな」
「あんたたちは出ないのか」
 よくよく見ると、この二人は竹刀を持っていなければ、鉢巻も巻いていない。
「あぁ、俺等は場末の道場の者でな。天然理心流っていう多摩地区に拠点を置く流派なんだが、ま、うちにはお呼びは掛からんよ」
 謙遜するものの、この大柄な男は恥じることも卑屈になることもなかった。自分の剣術に誇りを持っている男なのだろう。
「ああ、俺も似たようなもんだぜ。今日は代理できたんだよ」
「代理?」
「桂小太郎の代理」
 天然理心流の二人は目を瞠って、へぇ、と心底愉しそうな顔をした。
「やっぱり、あんたと手合わせしてぇなァ」
 総悟と呼ばれた青年はにやにや笑うと「まぁ、いつかお相手してくだせぇよ」と大柄の男と並んでそこを離れた。


 試合は一本勝負、坂田銀時は合計二十人も相手にした。
 銀時の剣術は厄介である。それが、銀時の全試合を見終えた沖田総悟の感想だった。一見、隙がありすぎるように見える。刀をだらりと構えるので、どこからでも打ち込めると飛び込めば、鋭い閃光のようにいつの間にか叩きつけられている。打ち合っても厄介だ。動きの先が読めないのだ。総悟の読みは大抵当たるのに、銀時の場合、四度に一度の確立だ。「たいしたものだな」と横で近藤勲が感心している。
「あれで本当に無名なんですかねィ」
「そうだろうよ。坂田銀時という名を俺は初めて聞いたぜ」
「世の中にはあんなのが隠れてるんだなァ」
「どうか、勝てそうか」
 近藤が焚きつけると、総悟は不敵に笑った。
「俺が負けるわけねェでしょう」
 大きな掌で髪の毛を乱され、総悟は嬉しくなる。近藤は総悟が強くなることを本当に喜んでくれるのだ。この人は不思議な人だ、と総悟はいつも思う。表裏が少しも無い人だ、とても真っ直ぐで、いろんな者を惹きこんでしまう。きっと根底に揺るがないものを持っている人なのだろう。こんなに気っ風のよい男を総悟は近藤以外に知らない。
 近藤に試合を観にいこうと誘われた時、総悟は本当に嬉しかった。途中まで送りに来た土方トシの悔しそうな顔も総悟の優越に拍車を掛けていた。帰ったら思う存分自慢をしようと心に決める。
 坂田銀時は手拭で額の汗を拭っている。二十人も相手にしているのに疲れなんぞは微塵もうかがわせない。総悟は疼く。刀を交えたい、と欲求が湧く。
「アイツとトシって、合うかな」
 近藤がぽつりと零した。合うとは何のことだ、と意図を聞き返そうとした時、ちょうど試合が始まってしまい、いつのまにかそのまま忘れた。
 総悟は熱心に観戦した。高杉晋助や坂本辰馬、それに坂田銀時と江戸には武州にはいない無類の剣客がいるのかと思うと、剣術は奥が深いのだな、と改めて感じだ。きっと果ては無いのだ。ずっと先に続いていて、頂点なんてものはありはしない。きっと自分はもっと強くなると思うと、総悟は無限の喜びを感じた。なんという幸運なのだろう。いつまでも、どこまでも追い求められる。それはすごく幸せなことだ。総悟の瞳には先の未来がいつも明るく映っていた。
 刀を握る真似をして、行われている試合を自分で仮想してみる。空想の刀は鋭く相手の胸を突いていた。

 武州に戻ると、俄かに近藤の様子が慌しくなった。何やら用事があると、江戸に出かけることが増えたのだ。これまでも出稽古などで割りと近藤は多忙だったのだが、今度は出稽古、というわけでもなさそうな気がした。それに、最近土方の様子もなんだか可笑しいのである。以前なら、ちょっかいを出せば烈火の如く憤っていたのに、最近はどこか上の空で、総悟の軽口も受け流すことが多くなった。
 なんとなく、総悟も落ち着かない。
 ずっとこのままでいいとは思ってはいないが、何か変化を望んでいるわけでもなかった。だが、きっと近いうちにいろいろな事が変わってしまう予感がした。それは総悟を恐ろしいような、昂揚するような不思議な心持ちにさせた。ふと、江戸での剣術試合の時に近藤が零した「アイツとトシって、合うのかな」の一言を思い出す事があった。なぜかその言葉が引っかかって離れないのである。それが、導線のような気もするのだ。
 総悟は土方を気に入っていた。喧嘩ばかりしているが、兄弟のように育ってきた仲なのである。近藤と土方と総悟は三人、いつも傍に居た。しかし、総悟は最近になって土方が女である、という事に気が付き始めている。言葉遣いは悪いし、幼い頃から身近に居過ぎたせいか、土方は総悟にとって土方でしかなかった。やっとうで遊んだし、川泳ぎだってした。木登りも、墓荒らしも一緒になってしてきたのである。他の女、と土方は総悟にとって確かに違ったのだ。
 近藤に畏まって呼ばれたのは、それから数日と経たずの事であった。
 昼間の近藤道場は開け放たれている木窓から、光の光線が差し込んでいる。いつもは掛け声や怒鳴り声、木刀や竹刀を打ち鳴らす音が絶え間なく聴こえてくるのに、この日は夜中のようにしんとしていて、それがとても総悟には不思議だった。そして、予感がしていた。
 ぎしぎしときしむ音が何処かからする。随分この道場も年季が入っている。汗がしみこむ床は、ところどころ煤けた汚れが磨いても落ちずにそのままになっていた。
「総悟、大事な話がある」
 近藤の力強い声が、腹に響いた。なぜか、汗が出てきた。土方は一言も話さず、俯いて一点をじっと見詰めていた。
「なんですか」
「まずは、トシのことだ。お前も承知だとは思うが、トシは今年で十七になる。嫁に行ってても可笑しくない年齢だ」
 鼓動が早くなる。なぜか、鳥肌が立ち、視界がふやけたような可笑しい具合になった。裸足で武州を走り回った。夕焼け空の下、草原に寝転び、草の匂いが鼻腔を擽った。総悟の思い出には、いつも土方と近藤がいる。これからも三人でいるはずだった。喧嘩もした、駆けっこも、道に迷って途方に暮れた時も、ずっと三人で―――――――――――
「良い相手が見つかったんだ。トシを嫁にやることにした」
 土方の身体が強張った気がした。嫌だ、となぜ言わないのか総悟は不思議だった。女のおの字もいままで見せなかったではないか。着物はいつも男物の着流しで、髪の毛だっていつだって一纏めにしていただけだ。体中に傷こさえて、豪快に笑って、食い意地だってはっていて。
 土方はゆっくりと頭を下げた。総悟は信じられなかった。
「近藤さん、身寄りのない俺を今まで助けてくれて、どうもありがとう、総悟も、今までありがとう」
 言葉が出なかった。喉に焼付いて、なにも出てこなかった。笑い飛ばしてやろうと思うのに、どうしても顔の筋肉が動かないのだ。なぜ、女なのだ。そういうどうしようもない思いが胸に湧いた。
「もう一つ、江戸で治安維持のために幕府が組織を作るらしいんだ。陸奥国会津藩の藩主、松平片栗粉大名とひょんな事から知り合いになってな。知り合いというのも、恐れ多いのだが・・・・・・・・・そこで、この理心流が幕府お預かりの組織の一員になれることが決まった。といっても、剣に覚えのあるのは六名程度だが、ここでいつまでも燻ってても仕方がねぇし、江戸に上ることに決めた。総悟、お前も来い」
 変化は突然現れる。混乱した頭の中でありとあらゆる言葉が旋回している。だが、一つだけ確かなことがある。近藤についていくと決めている、自分の信念だ。
「はい」
 ずっと、なんて言葉はもしかしたら無いのかもしれないと、総悟は近藤の眼を見詰めて、確かに了解した。



 布津藩の上士は、仕立ての良い着物に、少しの乱れの無い髷を盛って、銀時の真向かいに座っていた。
 先日の剣術試合の功績でここ最近、銀時の身の回りは俄かに騒々しかった。日に尋ねてくる者が増えたり、道場の入門を望むものが押しかけたりしていたのだ。入門を希望するものには勝手に使ってよろしい、と道場を開放しているせいで、ここ最近、煩くて惰眠を貪っていない。面倒くさいことにならぬといいのだが、と案じた矢先の事だった。
「そなた、独り身だな」
「はい」
「よし、よろしい。では、嫁を貰え」
「はい!?」
 寝耳に水である。銀時は仰天した。
「そなたも良い年であろう。この前の功績により、番方に取り立てられることになった事である。良い話が来ているのだ。受けよ」
 いままで浮ついた話一つ、舞い込んでこなかったのである。というよりも興味が無かった。飯盛女や宿場女郎と遊ぶ事はあっても、祝言など考えたことも無いのだ。呆然とする銀時をよそに、上士は輿入りの日取りを述べ、相手を今度幕府お抱えの治安維持の組織に取り立てられた男の妹だと説明をした。
「あの、いい話ですが、結婚はまだ早いかと」
「そなた早いと申すか、呆れるわ。もう二十五を過ぎておるのだぞ。嫁の一つ貰わねば武士の恥じというものよ、先方の兄がお主を気に入っておる。なかなか豪胆な気持ちのいい男だ。きっと妹もさっぱりとした愛嬌のある女子であろう。もっとも、顔はまずいかもしれぬがな」
 上士の仲人を断れば、武士として分が悪い。それに、そこまで頑なに拒む必要も無いのではないかという気もした。自分の領域に他人を招く事は面倒くさいがそこまで嫌悪するほどでもない。確かに銀時もいい年齢なのである。
「分かりました。謹んで、お受けします」
 至極、気楽に考えていた。女中を一人住まわせるものだと、そういう気でいたのだ。

 婚礼の日は晴れだった。戸外で突っ立っていると、南の方角から、駕籠が走ってきた。付き添いは、いつぞやの大柄の男である。今日は傍に青年はいなかった。
 駕籠は銀時の目の前で止まった。大柄の男が、真剣な面持ちで銀時に頭を下げた。銀時もお辞儀をする。ふと、大柄の男は閉じている駕籠に一瞬、穏やかな目つきを配らせた。
 駕籠が開く。まず現れたのは、太い脚。地面に着く時ドンッと音がした。それから、太い腰に太い肩、むっちりとした身体を白無垢の着物を着たというよりか、被ったというような巨体だった。銀時は冷や汗をかき始めていた。想像の三倍、いや、四倍と言っても過言では無いかもしれない。恰幅が。
 何度瞬きをしても、変わることが無い現状に、大柄の男を睨みつける。だが、男は心底愛しそうに、妹の肩にそっと手を触れて銀時の視線には反応を示さなかった。花嫁は頭に白い布を被っているので顔は拝めていないが、銀時はその顔を見る気が起きなかった。早々に家に入り、こうなれば自棄だとばかりに開き直った。
 小奇麗に整えた座敷には新婦が客席に座り、控えているのは大柄の男だけだ。三方に乗せた盃で三々九度の夫婦の固めをおこなうと、新婦と銀時は一端別々に別室に引取り、お色直しをする。
 衣装を改めて対面し、銀時が上座に新婦が下座に座った。銀時は紋付に半袴、新婦は質素だが高級そうな着物を着て、髪飾りも付けている。銀時はこの時、初めて新婦―――――――――――トシの顔を見た。
 トシの兄の近藤勲が席を立ち、表に出て行った。
 沈黙が降りる。トシは無表情で俯いていた。銀時も黙っていた。空気がお互いの気持ちが冷えていることを伝えていた。トシは緊張はおろか、顔を赤らめたりもしない。ひどく白けたような不貞腐れたような面持ちだった。これは銀時の癇に障った。婚儀を申し出たのはトシの方なのだ。受けたものは、もう仕方が無いが、もう少し態度があるのでは無いか。
 ひどく粗末で簡素な婚儀であった。宴会までは付き人も何も居らずにして欲しいと要望したのはトシだった。
 近藤が戻ってくると、がやがやと知人が友人が上がりこんできた。そして、そろいもそろって、トシの容姿を見ては、笑いをこらえる風であった。銀時を気の毒そうに見遣るものもいた。宴会中もトシは上の空と言った様子で、俯いたきりだった。銀時は苦い酒を舐めながら、これからの事を考えては溜息をついた。
 もう少し、甘やかなものではないのか。初夜を前に銀時は狗張子を手の平で弄んでいた。あの娘を前に勃起できるのか、そういう気になれるのか、銀時は自信が無かった。だからといって、そう言うことで女を傷つけたくは無かった。あの娘はもしかしたら傷つかないのかもしれないが。
 トシは床の準備を終ったようで、さっきから襖越しに聴こえた布団を敷く音はもうしない。遠くで梟が鳴く声がした。この襖を開けてしまえば、あの娘と同衾しなければならない。トシを見る前は、妻を迎えるという事を少しだけ愉しく思ったりもした。だが、現実は酷である。布が擦る音がする。覚悟を決めねばなるまいか。銀時は両手で頬を叩き、この前遊んだ、飯盛女の顔を思い出した。
 トシは布団の脇に正座していた。銀時の夜着が布団の上に乗っている。銀時は後ろ手で襖を閉め、トシの向かいに座った。二人は二、三回のお互いの呼吸を音を聞いて、灯りを消し、布団に潜った。
 銀時は自分よりもかなり横幅のあるトシの着物の帯を解き、袷を広げた。暗くて何も見えない。手探りで、トシの身体を愛撫する。いちいち、箇所に触れる毎にトシの身体はびくっと跳ねた。トシの身体からは優しい、良い匂いがした。身構えて身体を固くするトシの唇を吸うと、銀時の股間は熱くなった。トシは耐えていた。唇を噛み締め、健気に声を抑えて、震える身体で強がっていた。銀時は不思議だった。触れば触るほど、溶かせば溶かすほど、トシが可愛く思えてきたのだ。どこもかしこも柔らかく沈む肌が、無性に愛しくなってきたのだ。とうとう声を上げるトシが可愛くてたまらなかった。
 トシの陰部を優しくほぐすと、湿り気がわいた。指で愛撫すれば、押さえきれない嬌声が銀時の鼓膜に響いた。
 今までに感じたことの無い愛しさをトシに感じていた。魔羅を引き出して、潤いにおさめれば、トシはとうとう悲鳴を上げた。
 トシ、トシ、トシ、銀時は突き入れながら名前を呼ぶ。いてぇか、気持ち良いか、初めてなんだな、トシ、なぁ、気持ちいいか―――――――――――
 喘ぐトシの唇を吸う。高まる熱が暴れて、背筋が震える。奥、もっと奥、気持ちいいか、なぁトシ。熱いな、おめぇの中、すげぇ熱い。ほら、見ろ、吸い付いてる。
 怖い、怖い、とトシは喘ぐ。
 怖いことなんかねぇ、俺に委ねろ。ほら、うるおいがまた出た―――――――――――トシ、もう、出すぞ。
 トシの身体を抱きしめて絶頂にのぼり、吐き出した。
 お互いの荒い息を聞きながら、抱き合って、トシと交わった事に淡く甘い快感を銀時は感じていた。
 銀時はトシの陰部を狗張子と懐紙で拭った。トシは上気した頬で泣きそうな顔をし、俯いていた。後始末が済むと、銀時はトシを抱きしめて布団を被った。どこもかしこも柔らかいトシの身体は、銀時を包み込むかのようだった。
 翌日、銀時は味噌汁の匂いに眼を覚ました。しばし覚醒するまでに時がかかり、下半身の爽快感に昨夜を思い出した。
 トシは板場で朝餉の支度をしていた。よく動く後姿を眺めながら銀時は「トシ、今朝は早いな」と声をかける。
 トシは振り返ると、少し頬を染めた。
「旦那様も」
 それは、蚊の鳴くような声だった。
 トシの声よりも目立って、鳶が戸外で鳴いていた。





END