冷美






 数年前、天人の襲来を受け、攘夷思想を掲げる侍が一斉蜂起し戦争が起こった。当初、攘夷の姿勢をとっていた幕府は天人の強力な力に逃げ腰になり、前線に立ち戦う侍を置き去りに天人と勝手に不平等な条約を締結してしまっていたらしい。らしい、というのは総悟はもちろん、近藤も土方も武州の田舎の浪人でしかなかったから噂は聞けどどこまでも遠い話だった。世情がどうやら大きく変わるらしい、という曖昧な解釈しかしていなかった。出来る事と言えば、一日中木刀を振り回し、何の役に立つのか分からない剣術を磨くのみだった。
 だが、そのうちに廃刀令というのが下され、刀を持つ事が禁止になった。
 いつか剣で天下を取りたい。武士になりたい。と夢を見ていた近藤は相当打ちひしがれていた。天然理心流の門下たちもただただ困惑するしかなかった。これには沖田も途方に暮れた。自分には剣しかない、と思ってきたから、身体の大事な臓器が勝手に持っていかれてしまったような感覚だった。土方はただ苦い顔ばかりしていた。だが、この男は毎日のようにふらりとどこかに出かけていた。
 そんな腑に落ちない日を幾つか重ねていたが、ある日突然、近藤が曇天を吹き飛ばすような笑顔を見せたかと思うと「江戸に行く!」と高らかに宣言した。近藤の後ろで土方は愉しそうな悪だくみの笑みを浮かべていたのを覚えている。
 詳しい説明を聞くと、こうだった。どうやら江戸では攘夷派の生き残った人間が暴徒に走っているらしい。それらを取り押さえ捕縛する浪士を徴募しているのだと云う。つまり、幕府のお膝元、武士になれるのだ。武士になり、幕府の後ろ盾があれば刀が握れる。行くしかなかった。それに近藤が行くのならついていくしかない。
 門下の山南はちょっと考える風に眉間に皺をよせて言った。この男は博識で、剣の腕もなかなかで教養もある。
「ちょっと待ってくれ、近藤さん。俺達も元は攘夷の思考だったじゃねェか。勿論、佐幕派でもあるが、今の幕府につくという事は、天人を守護すると同じことだぞ。それはいかがなものか」
「嫌なら来なきゃいいだろ」
 土方が言うと、山南はむっとした。
「嫌とは言っていない。ただ、志が」
「んな大層なもん、俺は持ってねェよ。いいか、山南さん。確かに俺等は攘夷派だ。だがな、江戸で武士になれば刀持てるんだよ、こんな時世だ、何があるか分かったもんじゃねェ、前の戦争で俺等はカヤの外だった。だがな、もし、火の粉が降りかかってきていたらどうする。俺はそれをずっと危惧していた。知らなかったから殺された、そんな間抜けな話があるか。何時何があってもおかしくねェンだ。知らねェところで何かが起こって、指をくわえているうちに巻き込まれたらたまったもんじゃねェだろ。俺は時勢を中から見極めたい」
 山南が押し黙る。前の戦争で悔しい思いをしていたのは山南も同じなのだ。
「俺は近藤さんが行くところについていくぜ」と原田が豪快に笑う。「難しい事は分かンねェが獲物持って喧嘩できるんなら何でもいいしよォ」
「私も行きましょう。江戸とは懐かしい」永倉が同意した。
 藤堂も笑って「江戸で一旗あげるのが近藤さんの夢でしたもんね。すごいことですよ。近藤さん」と楽しそうにしている。
「どうせ俺もついていかなきゃなんねェンだろうなァ」と井上が楽しそうに愚痴った。
 結局山南も最後は頷き、近藤の門下、総悟を含めた七人が上京することになった。

 上京して、集められた小石川の伝通院には三百近い浪士が集結していた。敷地内に収まりきらず溢れるほどである。賭博師や百姓、物乞いや如何にも怪しい身なりの者なんかも居て、世の中にはいろんな人間が居るものだなァと総悟はしきりに感心していた。
 近藤は子供のように目を爛々と輝かせている。土方は腕を組み黙したままだった。
 集められた浪士全員をお預かりの身分にするわけにはいかないので、入隊試験なるものを受けさせられた。木刀による試合形式での「実技試験」だ。実技試験とはいえ木刀である。打ち所が悪ければ死ぬ。
 剣術に自身の無いものは去り、試合をして負けた実力のないものは去り、運が無かったのか死ぬものもいた。最終的に残ったのは近藤道場の面々と水戸藩の芹沢派の面々だった。
 屯所をあてがわれて、浪士隊となった。
 その頃は、筆頭局長が芹沢、局長が近藤と芹沢派の新見、副長が土方、山南という編成だった。芹沢が筆頭とは近藤道場の面々は苦い思いをしていたが、元が水戸藩の武士である。止む負えなかった。それに、芹沢は剛胆で快活だ。隊の長に立つに適したものを持っていた。
 だがしかし、芹沢という男、大将格の器を持っているにもかかわらず、大変な暴漢だった。酒を飲んでは暴れ、恐喝脅迫紛いのを市中で行い、日がな一日買った女と情事に耽る日もあった。
 やがて芹沢の素行が悪さは幕府の耳に入るようになる。芹沢の尻拭いに追われていた、近藤、土方、山南は芹沢暗殺を決行せずにはいられなくなった。幕府の役人からも遠回しに粛清を示唆された。
 暗殺の指揮は土方が取った。思えばこれが始まりだった。土方の優れた策士振りが発揮された最初の真選組の歴史である。総悟は土方に呼ばれた。巡廻に出かけ、人気の乏しい河川敷で「芹沢を斬る」と打ち明けられた。
「暗殺ですかィ」
「そうだ。決行は明日の夜中。メンバーは俺とお前と原田、井上、山南」
「近藤さんは」
「あの人には危ない橋を渡って欲しくねェ、こういう泥は俺の役目だ」
「芹沢派の奴らはどうするんですかィ?」
「全員斬る。新見には今日、夕刻に切腹を申しつける。奴ァ、墓穴を掘りすぎたな。身から出た錆だ」
 迷いのない眼をしていた。付け入る隙はないくらい、微塵にも揺るがない。江戸に出てきてから短く切った髪は未だに見慣れない。結っていた黒髻がごそっと消えてしまっている。南の空には積乱雲が塔のように堂々と姿を見せている。青々とした空なのに不気味に存在しているそれがこれからの不吉を暗示しているようだった。
 突風がふいた。
 眼に砂が入ってきて瞼を閉じる。再び開くと眼の中に不快感が残っていた。手で擦る。薄く開いた視界に映り込んだ土方が二重になった。それがとても怖い事に感じられて、慌てて土方の着流しの裾を掴む。
「総悟」
 土方にしては優しい声色だった。いくら悪戯を仕掛けても、喧嘩しても、暴言を吐いても、土方は最終的に許してくれた。仕方ねェなァ、と決して見離さなかった。寡黙で自分の事を多く語らないし一筋縄ではいかない性格だから近藤以外の人と巧く馴染んでいる感じはしなかったが、総悟の事は何かと気にしている風だった。
 奥歯を噛む。それを土方には分からないようにした。
「分かりやした」
 握った裾を離す。この男が多くを語らないのは知っている。十五の総悟に暗殺を命じる土方の胸の内は分からない。一切の指揮を請け負った土方の心理は分からない。だが、土方が間違えないのは知っている。安心して、剣を握ればいい。
「ちゃんと手入れしとけよ」
 そう言って、踵を返した土方の後姿に、なぜか孤独を感じた。
 腰を据えて、擦り足で歩いていく。
 見送りながら、強くならなければいけないな、と右手で脇刺しに触れた。