煮物屋の暖簾を潜った。
 江戸の料理屋は五歩に一楼、十歩に一閣と云われるほどに彼方此方にある、にも関わらず、結構な割合で同じ店を選ぶ人物の後姿を見つけて坂田銀時は一瞬、眉を顰めた。床机に斜めに腰を下ろしている知人の正面にまわると、はたして土方十四郎も銀時を見つけて不愉快な顔をした。だが、それだけである。いい加減、この遭遇にもお互いに慣れてきたのだ。土方の横に少し距離を空けて腰を掛ける。
「寒いな」
 銀時が声をかけると、お猪口から唇を離して土方が薄ら笑いを浮かべた。
「懐がか?」
「うるせぇ、そう思うんなら何か奢れ」
 どうやら機嫌が良いらしく、土方はくつくつと喉を鳴らして笑うと給仕を呼んだ。簡単な煮売と熱燗を給仕の女性に持ってくるよう言いつけ、コイツの分のお猪口もな、と付け足し悪戯めいた表情でじろじろ見てくる。
 女給は「アイ」と返事をしてバタバタと厨に駆けて行った。銀時は土方の態度に聊か拍子抜けしたが、奢ってもらえるのならばこれほどあり難いことは無いと、お猪口を給仕から受け取るやいなや、いそいそと土方の真横に座り直した。片手で酌をされ熱燗をどぼどぼ溢れるまで注がれて「おっとっと」と口に含むと火傷するほど熱かったが、季節は二月。戸外は身体の心までも冷え切るほどの寒風吹き荒んでいるので、この上ない幸福を感じた。
「あぁ、旨ぇ。これが真冬の幸せってもんだ。そういえばさ、ずっと気になってんだけどなんで徳利って注ぎ口から注がないのかな」
「さァな。ほんとの事は知らねェが、戦国時代に武将を暗殺するために徳利の注ぎ口に毒を塗ったとか塗らなかったとかは聞いたことあるけどよ」
「へぇ、でもまぁ、旨い酒呑めて死ねたら本望かもなぁ」
 小気味の良い音がして、横を見ると土方が差料の鯉口を切っていた。
「じゃあ殺してやろうか?」
「冗談だよ、ったく」
 薄い壁の外は北風の吹く音が絶えず聞こえて来ている。おそらく今夜晩くから雪が江戸の空を舞うだろう。地面には未だ一昨日積もった雪が残っている。銀時は雪駄に足袋を履いているが、土方は素足に雪駄だった。見慣れた着流しに外套を羽織っているが、見るからに薄着だ。襟巻きぐらい巻いてくればいいものを、と思いながらも余計な事は言うまいと南瓜の甘煮を頬張り、江戸野菜の汁物を啜る。湯気がほかほかと立ちのぼりかなり美味だ。煮物の甘さも申し分ない。土方はもう腹が膨れているのか、熱燗をちびちびと啜っていた。遠慮なく箸を往復させる。
「総悟がな」
「ん?」
「総悟が、武州に帰郷してるんだ」
「ああ、だから最近見ねぇのか」
「総悟から手紙がきたんだ。昨日」
「なんて?」
「もうすぐ戻るってな。近藤さん宛だ。もう少しながく滞在しろって言ってあったんだが、明後日には戻ってきちまうみたいなんだよ」
「ふぅん」
「そこでな、万時屋、総悟を足留めしてくれねェかな?」
「は? え、なんで? っていうか、どこで?」
 いつも話の筋道が明確な土方にしては珍しく、歯切れが悪くちぐはぐを生じている。それに頼み事をしてくる事自体珍しいことだったし、その頼み事を喋る調子も真剣味とはかけ離れていて、まるで銀時に頼みながらも偶然を期しているかのようだった。しばし、話の接穂を失ったように沈黙していたが、お猪口を揺すってぐいっと一息に呑むと。
「まぁ、気が向いたらよろしくな」と呟くように言った。
「え? どういう事? まったく話が見えないんですけど。なんで足留めするの?」
「嫌ならいいんだ」
「いや、だから理由を・・・・・・」
「無理にとはいわねェし」
「酔ってんのか?」
 土方はお猪口を今度は傾けて、中身を覗き込むようにしてから「熱燗、もう一本」と女給に注文すると、声を潜めて「粛清だよ」とぼんやりした声で言った。「勘定方の隊士がな、公金横領してたんだ。近藤さんはそんな些細な問題で粛清をするのは如何ともしがたい、って言うんだが俺ァ、奴を殺す」
 女給が熱燗を置いていった。銀時は手酌した。土方は涼しい表情で笑っているが、こんな風に隊の事を部外者に漏らす、という事をどれ程の思いでもって話しているのか、それを想像すると胃が抉られる気分だった。その話相手に銀時を選んでいる事にも土方に一種の不憫さを感じたが、そんな風に思われる事はこの男にとって苦痛だろう。
 土方は酔えない男なのだ。
「総悟がな、いつも、介錯をやりたがるんだ」
 ぽつりと、本当にぽつりと言った。
 帰途もさぞかし寒いであろう。それならば、もう少し身体を温めたい。銀時は手酌をして呑み、手酌をして呑み、長い事土方の隣で一人呑んでいた。土方はそれきり何も喋ろうとはせず、ひっそりとした笑みを浮かべていた。
 煮物はすっかり、冷めてしまった。