「すごくいい女がいるんだけど、無理そうなんだよなぁ」
 悪友、腐れ縁、そんな名がつく幼馴染の口から出た言葉に高杉晋介と桂小太郎は仰天した。二人は顔を見合わせ、お互いの困惑具合を推し量った上で視線を坂田銀時に戻した。見慣れた間の抜けた顔が目の前にあった。
 高杉は、銀時が口火を切る前に三人で交わしていた話題を思い返していた。くだらなく、どうでもいい話だった。昨日の天気は晴れだったよな、というような話題の方がまだ有意義だと思えるほどに。三人は、講義の後、なんとなく集まり、その流れでなんとなく大学近くの寂れた喫茶店に入り、お互い好き勝手なことをしながら、たまに談話していた。確か一番最初は最近観たB級映画の話だった筈だ。銀時が週刊誌を斜めに眺めながら「くだらねぇんだよ、これが」と話し始めたのだ。「ゾンビ映画なんだけどよ」
「お前、ホラー観れたっけ?」
 高杉は頬杖を付いて、窓の外を通る女学生を眺めながら口を挟んだ。高杉のマンションでホラー映画鑑賞会をやった時、銀時は上映前に飲み物を買いに行ったきり戻ってこなかった。
「ホラーコメディーなんだよ。主人公は何をやっても冴えないような間の抜けた男で」
「お前みたいな?」
 高杉の突っ込みに、桂がコーヒーを吹いた。顰め面した銀時に軽く足を蹴られ、高杉は視線を銀時に向けて「で」と話を促す。
「主人公の親友はニートなデブで、ほかの登場人物もいまいち華に欠けるんだよな。ロメロ作品のオマージュがふんだんに盛り込まれてて、これもかなり笑えるんだけど、劇中の曲もなんか力抜けるようなのばっかり使ってるし、ゾンビが出てくるまでも、普通の人間が死んだ様な目ぇしてるし」
「おまえみ」と口を挟もうとすると、銀時がフォークを掴んで先端をこちらに向けてくる。高杉は「で」と続きを促した。
「街中でゾンビ感染者が増えてるんだけど、主人公、全く気がつかないんだよな。少しずつ身の回りがおかしくなるのに、普通に生活してるんだよ。結構あからさまなのに。血の手形とかもスルーしてるし、ゾンビに手を伸ばせば届くくらいの距離なのにうまい具合にスルーするし。やっとゾンビと対面しても、それが女で顔もあんまり崩れてないから気がつかないで、襲われても軽くいなしながら積極的な女だとかなんとか言って記念撮影とかしちゃうんだよ。んで、流石に状況に気づいてからも、ゾンビの歩みが遅いから撃退にレコードでブーメランしたり、しかも、それは気に入ってるレコードだから投げるな、とか緊張感のかけらもなくて。ゾンビの大群に襲われても平気で電話とかしてるし、逃げるためにゾンビの真似をしてゾンビの群れの中をかき分けたり、それでゾンビは全く気が付かないのな。クイーンの曲に合わせてゾンビタコ殴りシーンとか」
「それ、面白いのか?」
「面白いんだよ。他にもそのチームが作ってる映画が何作かあって……」
 と、こんな会話をしていた筈が、どこをどうなってそうなったのか。爆弾を落とした銀時本人は相変わらず詰まらなそうに週刊誌を眺めていた。
「女って、二本足で歩く女か?」
「他に何本足があるんだよ」高杉の問いにうんざりとして銀時が答えた。
「無理そうって、何が無理なんだ?」
 桂が聞くと、銀時は「だから、お付き合いするのが」と答える。
 もう一度、高杉は桂と顔を見合わせる。お互い目を見開いて、口を窄めていた。
「なんだよ、その顔イラつくな」
「幾つの女だ?」
「同い年だよ」
「人間か?」
「だから、さっきから何なんだよお前は」
「ゾンビか?」
「だから、なんなんだよ! 人間だよ、普通の生身の人間!」
 桂は心外な顔をして「お前、幼女好きじゃなかったのか」と呟いた。
「は? 神楽か!? 幼女って……お前、あいつあれでも中学生だぞ。しかも、なんで俺が神楽に恋愛感情抱かなきゃいけないんだよ」
 これには高杉も同意だった。銀時と神楽の関係は恋愛というより兄弟か家族愛に近い。桂は頭は悪くないし、洞察力にも優れているが、たまに素っ頓狂な勘違いをする。それは大抵、桂に対して利益が生じない、どうでもいい事であるから別段困りはしていないらしいのだが。それよりも高杉が一驚を喫したのは銀時にそのような感情を抱かせる女がこの世に存在したことと、銀時の身の内に恋情を抱く情熱を持ち合わせていたことに対してだった。しかし、驚いたのもつかの間で、高杉は好奇心がむくむくと育っていくのを自覚していた。こんなに面白い事に首を突っ込まないでいられるわけがない。桂も硬派を装っている面があるが、先ほどまでの体勢とは一変してる。
「どいつだ、学部の女か?」
「違う」
「いままでの同級生とかか?」
 三人はそれこそ幼稚園に通う前から顔見知りだった。小学校、中学校、高校、挙句の果てに大学まで同じである。特に示し合わせた訳ではないのだが、なぜかずっと連るんでいる。
「あ、あれか」と桂が思い出したように云った。「この前の飲み会か、確か……新流剣舞同好会の」
「なんだそれ」と高杉が聞いた。
「日本刀を持って踊るんだ。近藤って知ってるだろ、近藤と沖田」
 銀時は黙っている。
「知ってる。ゴリラと甘い顔した腹黒だろ」
 近藤勲と沖田総悟はなかなか有名である。特に沖田は優しい顔の美形でよく女学生が騒いでいる。正統派の顔立ちの良さに一寸、目を奪われる容姿だが、実際、性格は辛辣で好戦的かつ腹黒で毒舌だという噂だ。近藤は女性には人気がないが、男には一目置かれているらしい。この二人は、大学のちょっとした有名人だった。高杉は詳しく知らないのだが、日本舞踊の世界では知らないものはいないらしい。実際、公演などで海外などにもしょっちゅう飛び回っているという話である。構内で何度かすれ違ったことがある。
「先週だったか、銀時がなその新流剣舞同好会の飲み会に誘われたんだよ」
「なんで」
「志村妙を紹介してくれと近藤に頼まれたらしい」
 それで合点がいった。銀時、高杉、桂は剣術を嗜んで来た。剣術は剣道とは異なりきわめて実戦向きの武術だ。剣術は主に武士が修めた武術の一つであり、現代日本の武道である剣道の母体となったものである。その歴史は古く、古代まで遡る。廃れたのは、日本が太平洋戦争で敗戦したからだ。連合国軍最高司令官総司令部指令によって大日本武徳会は解散し、剣術も封じられた。占領が解除された昭和二七年にようやく全日本剣道連盟が発足し、本来の剣術が稽古できる環境に戻ったが、形稽古と竹刀稽古の二極化が進み、今日に至っている。
 志村妙の弟、志村新八は銀時に剣術を師事している。志村兄弟と銀時は懇意な間柄だった。
「その席で出会ったのか、銀時」
 桂が聞くと、銀時は歯切れ悪そうに肯定を示した。
「どんな女だ?」
 すぐさま、その女の顔が見たくなった。銀時が恋愛感情を抱くいい女、の想像が高杉には出来なかった。
「普通だよ、普通のいい女」
 銀時が怠そうにテーブルに伏せる。顔だけは左腕に乗っけて、目線は外を眺めている。
「誰に似てる?」
「誰にも似てない」
「雰囲気は」
「竹林の中に佇んで、鋭い眼差しで一点を睨み付けてるようなイメージ」
「わかんねぇよ! 何その具体例?」
「とにかく、いい女なんだよなぁ」
 桂はこの男特有の真面目くさった声で聞いた。
「なんで無理だと思うんだ? ふられたのか?」
 高杉は悔しい気持ちになった。そんな面白そうなこと、自分が聞きたかった。
「ふられてねぇよ。ただ………なんでか初めて会った五分後には罵り合いをしてて、俺の事それからずっと睨んでくるんだもん」
 高杉は呆れた。
「お前、何言ったんだよ」
「なんも。近藤をおちょくっただけだよ。そしたらなんかしらねぇけど、猛烈に怒りだしてよ。自己紹介する前だぜ」
「その女、近藤の事を好きなんじゃないのか?」
 桂があっけらかんとして云うと、銀時は少し考え込んでから、しかし明確に否定した。
「好きは好きだろうが、あいつの近藤好きは憧憬だよ。恋愛感情は無い。沖田君にも同様に」
 銀時が言い切るのなら、そうなのだろう。銀時も自分の事に関して以外はただならぬ勘を発揮する男なのだ。
「その女にフォローとかしなかったのかよ」
「気がつくと、憎まれ口叩いちまってたんだよなぁ。あいつの事を気になりだしたの、家に帰って、風呂入って、布団に横になってからだし」
「連絡先は?」
「そんな状態で聞ける訳ねーだろ」
 銀時は溜息を付いて顔を伏せた。
 高杉は桂と顔を見合わせ、にやっと笑いあう。丁度退屈していたところに、面白い遊びが見つかった。人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んじまえなんて慣用句があるが、今回は邪魔じゃない。寧ろ、協力だ。それに、相手の女も出会って早々の相手に喧嘩を売るような威勢の快さがある。これが清楚可憐な純情派とかだったら面白くはないが、一筋縄ではいかなそうなところをみると長期間に渡って愉快になれる。何より、自分たちに被害が及ばない。
 高杉は桂と頷き合うと、銀時に高らかに宣言した。
「よし、俺たちに任せろ。お前とその女の仲、取り持ってやるよ」
 銀時は顔を上げ、ゾンビみたいな顔をした。