撓む



 小者だなァ、と思った。
 厠から戻って濡れ縁を歩いていると、こそこそと話声が聴こえてきて、何だろうかと耳を澄ましたら、自分達が所属している組織の二番手である副長の陰口大会を開催しているようだった。人数は六名。どいつもこいつもそれでなくても雑兵だ。
 壁に耳あり障子に目あり、という諺を知らないのだろうか。この屯所のしかもこんな所でこんな話をしていては、足をすくわれる。なんてお粗末な脳みそをしているんだろう。
 沖田総悟は陰口を叩く人間を愚かだと思っている。自分に自信が無い証拠だ。悪口は相手の前で指摘してこそ意味がある。気に喰わないなら本人に直接そのまま言えばいい。言葉には重みがある。その重みを理解せず、また責任も持たずに外に放つ行為は愚劣極まる。
 障子を少しだけ開け、六人の顔を見てウンザリした。稽古に身が入っていない、足元の浮ついた奴らだ。刀の錆にもなりはしない。今だって気配を殺してもいないのに、沖田総悟の存在に気付きもしない。入隊させたのは原田右之助が見込みがあると推したからだ。見込み違いもいいとこだと口許を曲げる。原田や近藤勲は人の言葉を鵜呑みにしすぎると、兼ね兼ね思っていた。相手をそのまま信じてしまう。それは長所といえば長所だが、同時に溜息を零したくもなる。
「総悟、男は気合いだよ」近藤の好きな言葉だ。近藤の事は大好きだが、たまに大丈夫だろうか、と心配してしまう。単純で優しすぎるのだ。男は気合いがあれば良いと思っている。気合い、という形のまるではっきりしない測りで人の良し悪しを決めてしまう節がある。
 大袈裟に足音を立ててみた。声が途端に静まって、六人が一斉に振り向く。どいつもこいつも緊張した面持ちで見てきて、アホか、と毒づく。
「お、沖田隊長かぁ」
 端の一人が安堵した声を出した。それが総悟の苛立ちを募らせる。
 横目で睨んで通り過ぎる。青くなった六人の隊士の顔を二度と見たくないな、と思った。

 真選組副長、土方十四郎の隊士達の評判は総じて悪い。敬慕する者もいるが、嫌悪する者も多くいる。それに対して近藤勲は隊士にすこぶる評判が良い。自分はどうだろう、気にしたことが無いから分からないなァ、と総悟はめんどくさくなった。きっと土方のそれと大して変わらないと思うが。
 近藤の評価を上げているのは土方である事を知っているのは限られた人間だ。元々近藤の人柄は滅法良いのだが、人柄だけでは組織を束ねる事は出来ない。土方が厳しく律しているからこそ真選組は成り立っている。いい例が局中法度だ。鬼の規則があるから隊士は土方を怖がり、結果統率に繋がる。近藤はやり過ぎではないか、と土方を咎める。その流れがあるから自然と近藤に人望が行く。
 全て土方の思惑のうちだ。裏で手綱を操って、土方の手柄は全て近藤にいくようにしている。
 武州で燻っていた頃からの馴染みの隊士は土方の事を「あいつは変わっちまったなァ」と零すが、総悟はそうではないと思っている。元々、土方は頭がキレたし勘もいいし義理堅い。芯に一本通った柱はそのままだし、用意周到な性格も慎重と大胆を巧妙な具合に兼ね備えている策士振りも変わってはいない。不器用な優しさだって相変わらず健在している。少し田舎臭さが垢抜けただけだ。
 滅多に人を信用しないが一度信用を寄せれば何があっても裏切らない。自分の下した決断に揺るぎの無い自信を持っている。そのくせ視野を狭める事は決してない。
 だから取り敢えずは総悟も土方の部下、で治まっているのだ。

 土方に呼ばれたのは夜も更けた頃だった。
 夕飯を食べ、風呂に向かう廊下ですれ違った時に小声で「後で部屋に来い」と耳打ちされた。こういった呼ばれ方をした時は何やらよくない事を告げられる時だ。軽く顎を引いて了解の意を示す。何事も無かったかのようにすれ違う。あとで、というのは皆が寝静まった頃を指す。つまりは密謀だ。土方の信用とする人間しか招集されない。信頼とはまったく違う意味で近藤すらも招かない事が多い。土方は近藤に汚い仕事をさせたくはないのだ。これは総悟も同感である。
 子の刻を少し過ぎて、隊士に気付かれないように副長室に入った。座布団が一つ空いているだけで他は見慣れ過ぎている顔ぶれが腰を落としている。山崎、永倉、斎藤。今日は五人か、と空いている座布団に腰掛けた。議長席に座る土方の直ぐ隣だ。前は山崎で隣に永倉。着流し姿の五人の男が静かに向かい合っている。
 蝋燭の灯りが心細く灯っているだけだった。
「犬が三匹、紛れ込んでいる」
 土方が開口一番に言った。皆、表情が不気味なほどに動かない。
 山崎が持っていた紙を捲りながら読み上げる。「楠見又八、島仙地啓、畑野三吉いずれも巡廻途中に攘夷志士と思われるものと接触がありました。間違いありません。島田も見ています」
 永倉の表情が変わる。楠見は永倉の隊に属していた。斎藤はぎらつく眼を光らせるだけだ。
 山崎の探索は確かだ。今まで誤報だったことは一度だってない。裏は確実に取ってくる。この男もまたぼんやりとしているようで如才ない。
「ハナっから目ェかけてたがな。まさか本当にそうとは思わなかった。俺の不覚だ。念のため配属の隊はバラしたがそれが返って仇んなった。発覚するのに時間喰ったな」
「アンタのせいだけじゃねェ、俺の隊なのに気付かなかった」
 土方は永倉に視線を送って、それから順々に目配せし「斬る」と言い放つ。
「誰が斬る」
 と聞いたのは斎藤だ。物静かで剣の腕は確かな男だ。群れる事は嫌うが土方には信頼を置いている風である。
「俺が殺る」
 すぐに土方が答えた。眼球に鋭い光を孕んでいる。
「俺等はどうするんですかィ」
「永倉は近藤さんに付いていて欲しい。斎藤と山崎は退路を塞げ、絶対に逃がさない。総悟は屯所にいろ。もしかしたら間者がまだ潜んでるかもしれねェ」長い指先で灰皿吸い殻を擦りつける。苛立っているのか愉しんでいるのか分からない貌をしている。だが総悟は分かる。おそらく、苛立っている。「決行は巳の刻だ。山崎、巧い具合に坊城通りの伊藤屋に三人を呼び出せ。あそこの小路は行き止まりだ」
「近藤さんにはなんて説明する」
 永倉が聞くと土方は一瞬苦い顔をしたが淀みなく答えた。
「近藤さんは畑野を可愛がってたからな、出来れば不逞浪士に斬られた事にしてもらいてェが……無理なようなら全部話す。ただ、事後報告は絶対だ。これは暗殺だ」
 一同が頷き席を立った。足音も立てずに自室に戻っていく。総悟だけが残った。
 新しい煙草を取り出しライターで火を付けた土方に向かって揶揄をする。
「土方さんはええかっこしいだから敵が多いんですぜィ」
「おめェも部屋戻れよ」
 聞こえない振りをして口許に笑みを浮かべ、土方の口元から吸いはじめたばかりの煙草を取り上げた。
「俺は見てなくていいんですかィ?」
 聞くと、土方は表情を緩くして「おめェにだけは見られたくねェよ」と返してきた。
 少し気に入らなくて、灰皿に煙草を擦り消して膝立ちで擦り寄って肩を掴み押し倒す。土方はされるがままに倒れた。表情は変わらない。
「殺してやりてぇ」
「なら、殺せばいいだろうが」
 そのくせ、土方は総悟を恐れもしない。真っ直ぐな瞳で貫き、生半可を許さない。薄暗さが、青白い土方の顔をますます静謐にみせている。
「俺はあんたの嫌がる顔が好きでねェ、見てェなァ」
「嫌な野郎だ」と鼻で笑う。
「お互いさまでさァ」
 土方を見下ろしながら、この人は明日隊士を殺すんだ。と漠然と考えた。多分この人は、急所を一撃で狙う。相手が苦しまないように、恐怖が一瞬でも少ないように、鮮やかに殺すのだろう。
 悔しいなァ、と思った。喉仏に手を触れる。俺が殺してぇなァとなぞった。丁度顔を見たくないと思っていた隊士が三人もいるのに。留守番なんてつまらない。
「殺してみろよ、総悟」
 唇の両端を持ち上げて微笑う土方に面白くない気分にもなる。
 例え、与えられるのが死だとしても、この人を貶すのも、この人に優しくされるのも自分だけでいい筈なのに。