「銀ちゃん先生だ!」
 スクーターを駐輪場に停めると、目敏く坂田銀時の姿を発見した子供達が一斉にフェンス越しに群がってきた。銀時の腰丈しかない子供達は「遅い」だとか「遊んで」だとか好き放題に騒いでいる。警戒心を顕わにしたアオサギの群れのように喧しい。
 ヘルメットを外し、「うっせーな。ちょっと待ってろよ」と声をかけると、歓声をあげて我先にと遊具倉庫に駆けていく。銀時が「転ばないようになー」と投げかけた声は耳に届かないようだった。苦笑して裏門にまわる。
 フェンス越しに眺める平屋造りでパステルカラーの児童館は、聊か自分には不釣り合いだ。ここで子供たちを相手にしている姿は、高校の同級生には絶対に見られたくない。特に悪友である高杉晋介や桂小太郎、坂本辰馬には。銀時を揶揄する顔が目に浮かぶ。
 職員専用の門を開錠し、しっかりと戸締りをしてから敷地内に入り、職員室の扉を開ける。
「ちはー」
 と、在職の職員に声をかけた。職員室は銀時の住むワンルームアパートの部屋二つ分くらいの大きさで、そこまで広くない。デスクに向かって仕事をしているのは、館長の長谷さん、職員の安川さんに、二人しかいない貴重な男性職員の御余川さんだ。銀時はアルバイトである。
「坂田君が来たのすぐ分かるのよ。子供たちの騒ぎ方が凄いわ」
 と、長谷さんが微笑った。
「怪獣っすよ」
 自分の机に学生鞄を置いて、リュックからエプロンと普段着を取り出す。
「ちょっと着替えてきます」
 と断って、更衣室代わりにしている給湯室に向かった。
 銀時は高校の学費を工面してもらうため、この児童館で放課後アルバイトをしている。施設の創始者が銀時の通う私立高校の理事長で、身寄りのない銀時の代理の保護者でもあった。
 ブレザーから私服に着替えてエプロンを装着すると、冷蔵庫から取り出した茶を一飲みする。息を吐いて、怪獣の群れと戯れるべく中庭に向かった。
 銀時が姿を見せると、待ち構えていたように「ドッヂボール」コールが鳴った。喚きたてる子供に「ハイハイ、じゃあ、ぐっとっぱな」といなし、軽く準備運動をする。
「坂田君、頼むな」
 と、今まで活発な子供達を相手にしていたらしい、もうひとりの男職員である村松さんが助かったと云わんばかりの表情を浮かべた。髪を随分と乱していて、這々のていである。真面目な新米職員であるから、全力で子供に付き合ったのだろう。村松さんの姿を眺めると、いかに自分が姑息で狡賢いかに気付かされる。それでいて、村松さんの一生懸命さに冷めたものも感じている。
「了解です」と答えると、村松さんは曇のない笑顔を浮かべて職員室に戻っていった。
 走り回る児童を相手にしながらも、銀時は庭や教室を見回した。大人しい子供は隅の方でままごとを興じたり、室内で折り紙や粘土で遊んでいる。ほとんど何人かのグループになっていて、その顔ぶれは固定されていてそうそうに変わらない。その光景を見るたび、銀時は一寸、不思議な気持ちになる。足し算も引き算も覚束ない子供が殆どなのに、それぞれに個性がある。周囲と幼いながらに調和したり、距離を測ったりしているのだ。この児童兼学童保育施設「すこやか」は大体三歳から七歳までを預かっている。その四歳差で体力も知力も随分違うが、嗜好は年齢が関係ないらしい。
 四歳児が外野から投げたボールをキャッチして、軽く反対側に放ってやる。敵陣では自分が的にならないよう年下の男の子を盾に隠れている悪餓鬼に「こら、ズルすると、擽るぞ」と注意して、また視線を周囲にさり気なく散らせる。と、フェンス沿いにあるベンチに一人ぼっちで座っている男児を見つけ、ああまたか。と嘆息した。
 飛んできたボールに避けたフリをして躬当たりに行き、
「ちょっと銀さん抜けっから」
 そう声をかけると文句が飛んできたが、構わずに一人ぼっちの男児の元に向かう。小さな背中が心細く、フェンスの向こう側を向いていた。土方十四郎は「すこやか」に入館した当初から、誰とも遊ぼうとしない。周囲と距離を置いている。職員の間で度々議題に取り上がる子供である。極力、「お友達と遊ぼうよ」と職員がどこかのグループに入れるように背中を押してはいるが、笑顔を見せないし滅多に言葉を発しないのではどうしても他の子と馴染めない。職員も一人の子供だけをずっと相手にしてはいられない。手の掛かる子供は他にも沢山いて、十四郎は悩みの種ではあるが、誰かを泣かすわけでも、物を壊すわけでも、癇癪を起こすわけでもない。手がかからないので案じてはいるが、後回しにしてしまう。
 「すこやか」は家庭に問題を抱えている子供を多く抱えている。片親だったり、両親の職業が水商売や外国人だったり、一般的な家庭からは少し隔絶された子供が主として通っていた。これは、創始者が少しでもそういった境遇の児童が健全な教育を受けられるようにと意図として立ち上げた施設だからだ。なので、立地場所も少し特殊で、猥雑な雰囲気の歓楽街から道を一本隔てた裏手に位置している。少し表通りに脚を向けれると、スナックやキャバ、ラブホテルの看板が軒並みに乱立している。昼間は退廃した通りだが、夜になると本来の姿を表す。店先のネオンが原色に灯され、金髪に黒スーツ姿の男が道行く鴨葱を物色する。その為「すこやか」は防犯面を考慮しフェンスは通常よりも随分高く、門も頑丈な造りだ。親が送迎の時以外絶対に外に出さないようにがこの施設の職員の最重要注意事項である。
「おい、とうしろ」
 声をかけると、十四郎は緩慢に振り向く。表情の読めない眼を銀時に向けた。
「ドッヂボールやらねぇの?」
 首を横に振る。仕方なく、膝を落として目線を合わせた。こうすると、子供は話し易くなるらしい。
「こんなとこで何してんだよ」
「休憩」
「休憩って、じゃあ休憩終わり! ほら、あっちでみんなと遊ぶぞ」
 また首を振る。本来銀時は気が長い方ではない。後髪を掻いて、鼻に皺を作り「あー、もうッお前な!」と、立ち上がると、十四郎は小動物がするように、警戒心を顕にした。小さな手が、ベンチをギュッと握る。引き緊めた口元が小さく震えているのに気がついて、銀時は溜息を吐いた。力を抜いて、十四郎の隣に腰をかける。
「外、何見てたんだ?」
 訊くと、十四郎は曖昧な顔をした。自分でも、瞭然とした理由を見つけられていないような戸惑いが感じられた。
「………」
「綺麗な姉ちゃんでもいんの?」
 おどけるが、十四郎は真面目な顔で首を振る。斜め上から見下ろすと、幼いのに静謐だった。目元に意志の強さが漂いそれが過ぎて、必要以上の気負が肩にかかっているようで、銀時は少しこの子供が不憫にも思える。
「お前はさ……」
 銀時はそう口にしかけて、止めた。無責任とは何か、高校生の銀時は計り兼ねていた。


「ああ、それはね、十四郎君のお母さんが仕事を早目に終わらせて、迎えに来る時に使う道なのよ」
 長谷さんが、片付けの済んだおもちゃ箱を持ち上げながら云った。
「へ? でも、駅の方向と違うじゃないですか。確かとうしろの母親って美ノ辺駅でしたよね、職場」
「あら、よく識ってるわね」
「去年辞めた土屋さんが云ってたんです。美ノ辺のスナックのママがとうしろの母親だって」
「あの子は余計なことを」
 長谷さんは顔を顰め、「そうねぇ」と、云い難そうにし、誰がいるわけでもないのに声を潜めた。「十四郎君のお母さんの恋人がね、商店街の通りの飲み屋で働いてるのよ」
「恋人?」
 銀時は眉を顰める。反射的に顰めてから、複雑な気持ちになった。二人は職員室に戻り、帰り支度を済ませながらも会話を続ける。
「そう、定刻のお迎えの時間より早くお店を切り上げた時は、恋人の店に寄ってから十四郎君を迎えに来るの。だから、夕方頃になると、十四郎君はあそこであの通りを眺めてるんじゃないかしら」
 「すこやか」の定刻は十八時、だが、その時間に迎えに来る親は少ない。
 銀時は苦虫を噛み潰した顔をした。そんな銀時に長谷さんは眉尻を下げて、口元に笑みを浮かべる。そうすると、会津の慈母大観音様のような顔になる。
「銀時君が子供達の事に一生懸命になってくれるの、とっても嬉しいわ」
 何故か長谷さんは銀時に多大な信頼を寄せてくれていた。長谷さんから見れば年齢的に銀時は青二才でもあるのに、対等のように扱ってくれている。
「俺は別にそんなんじゃないですよ」
 決まりが悪そうにする銀時に、長谷さんは、ふふふと控えめな笑い声を立てた。
「銀時君が一生懸命だから、子供達はあんなに銀時君に懐くのよ。いろんなところに目を配ってくれて、すっごく助かってるの。ありがとう」
「別に、俺は………学費のためだし、何をしてるわけでもないです。学生で、アルバイトだし……」
 長谷さんは立ち止まると、銀時に真摯な眼差しをくれた。
「人間の脳重量は十二歳ぐらいから、ほぼ大人と変わらないんですって。違いは経験と知識だけ。私は、銀時君は自分で思うよりずっと大人だと思ってる。思慮も分別も弁えてる。だから、安心して任せられるのよ。それに銀時君は、自分の事がちゃんと分かってる。自分の手の届く範囲がどこまでかをきちんと心得ている。それはとても大事なことよ。特にこの仕事は、とってもデリケートだから。私達も子供達の家庭にどこまで干渉していいか、その微妙なラインをいつも綱渡りしてる。年齢が銀時君より上でも、配慮の足りない人はいくらでもいるの。銀時君の年齢は若いわ。それに、若さ故に潔癖なところがある。でも、自分より年上の理解が及ばない人の事情も鑑みてる。うちではすごく必要な人材だわ」
 銀時は猛烈に照れくさかった。ふくら脛を反対の脛で擦りながら目を泳がせた。
「さ、帰りましょ」
 館内を消灯すると、ふっと息を落としたように建物は沈黙する。外に出て建物を振り返ると、夕方の子供達のざわめきの残像が残っている気がした。その残像の中に、十四郎だけがいない。「すこやか」に通う子供の性格は様々だ。大人しい子、喧嘩っぱやい子、ずる賢い子、発達障害気味の子、一概に子供はこうであるという枠で囲うことはできない。だが、皆、どこかしらに子供らしさ、無邪気さがある。触れたがったり、知りたがったり、構って欲しかったり、自分を主張したがったりする。十四郎にはそれが見えない。
 長谷さんとは裏門を出て別れた。彼女は車通勤なので、門脇に停めてある車に乗って帰っていった。銀時は一人、フェンスを指でなぞりながら歩く。フェンスの内側で十四郎が座っていたベンチがぽつんとしていた。
 駐輪場脇の梢から手のひら大の枯葉が音を立てて落ちる。長谷さんにはああ云われたが、銀時はそこまで熱心に子供に何かをしているわけではない、という気持ちが強かった。子供のことを別段好きなわけでもない。村松さんのような情熱は持ち合わせていないし、どちらかといえば、適度に放任している。
「面倒くせぇ」
 と口にして、ぽつんと残されているベンチから忌々しそうに視線を外す。それでもどうしてか、粘りつくような訳のわからない後悔に似たものを感じ、十四郎が眺めていた商店への通りに視線をやった。通りは薄暗く、突き当りにぽつんと電気の落ちた店があるだけだ。突き当たりの通りは歓楽街で賑やかなはずなのに、表通りとは一本道を挟んでいるこの辺は随分と静かである。
 十四郎の母親がこの通を歩いて迎えに来る。人通りの少ない道である。銀時は目を閉じる。遠くに見えた母親の姿に、十四郎が頬を緩める。ベンチから立ち上がり、頬を紅潮させ、瞬きが多くなる。その仕草を想起すると、苛立ちが起きる。訳も分からずに侘しくなる。

[newpage]


 二十時、この時刻になっても、親の迎えを待つ待機児童が多く残っている。
 十七時を回った頃から、少しずつ子供の数がぽつぽつと減っていくが、その数は半分にも満たない。この時間にもなると、外も暗くなっているし、体力のある子供も遊び疲れてくる。外遊びを切り替えて、室内遊びに切り替えるので随分と職員は楽になる。
 教室は三部屋あるのだが、午前からの職員は退社時刻を迎えるので、子供は一室に集めてしまう。疲れて眠そうにしている子供のために、年配の女性職員が入り口の脇に幾つかの布団を敷いてやっていた。残っている外遊び組の子供は殆どがウトウトしていて、そうなると、今度銀時は、大人しいインドア組の子供達の相手をする。
 六人程度の子供を相手に適当に遊んでいるが、銀時は部屋の隅でプラレールを弄っている十四郎が眼につく。年配の職員が笑顔で話しかけても首を振るだけで、表情も大きく動かない。
 十四郎は片親で、母親しかいない。父親とは十四郎が生まれてすぐに離婚しているとのことで、母親はスナックを経営している。住居はこの直ぐ近くの公団団地で兄弟は無く一人っ子。これが職員の口から洩れ聞いた銀時が識っている十四郎の家庭事情だ。他の子供にも似通った家庭があるが、銀時が十四郎を気にかけているのは、十四郎の迎えが一番遅くなることが多いからだ。
 銀時は複雑な家庭環境に必要以上に首を突っ込んだりはしない。面倒であるし、家庭の問題に学生身分の銀時には手の出しようもない。それに、バイトにそこまで情熱を傾けることはないだろうと思っている。どんな仕事をしてもそうなのだろう。銀時は自分の器用さを識っていた。だから、何をやってもそつなくこなせる。物事に深入りしない代わりに、過剰に疎かにもしない。子供は好きではない。でも、嫌いではない。関わったのならばそれなりに計らうが、己の中でどこまで心を砕くかの線をきっちりと決めている。情はある。だが、その情もかけすぎない。それが万事にかけて、円満に事を成すコツだった。
 窓の外はすっかり陽も落ちきり、室内は眠気と気怠さが漂っている。一本挟んだ表通りは街灯が夜を忘れさせてしまうほど明るいのに、この裏手まではその残像すらも届かない。電灯が照らす室内は独特な雰囲気がある。また一人、一人と迎えが来て、夕方頃までの子供たちの喧騒が嘘のようだ。
「ごめんね、待たせて」と迎えに来た親に甘える子供の様子を、残っている迎えを待つ子達は切なそうに黙って見届けている。銀時はこの時が一番居心地が悪い。心細くなったのか、銀時に抱きついてくる子供の中に十四郎は加わらない。少し離れたところで矢張り、静かにモノレールを弄っている。決して遊んでいるのではない。周囲、主に職員に遊んでいるよう見せかけているだけだ。その実、心は違うところにある。
 二十一時になると、次々に迎えの親がやってくる。寝入ってしまった我が子を前や後ろに抱えて、職員に礼を言って帰っていく親子を見送り、その合間に残った職員も帰り支度を始めていく。二十一時半になると、長谷さん以外の職員は皆退社した。
 十四郎を抜かした最後の子供の親が迎えに来た。親を迎えに出た長谷さんが「マキちゃん、お父さんよ」と呼ぶと、眠そうだが起きていたマキは嬉しそうに走り寄り、父親の首に抱きついた。振り返って「銀ちゃん先生、長谷先生、また明日ね」と小さな手を振った。若い父親は見送りに立つ銀時と長谷さんに軽く頭を下げて、「何食べたい?」と子供に問いかけながら夜道に消えていった。
 長谷さんは書類整理に職員室に向かった。教室に銀時は十四郎と二人きりになる。十四郎は相変わらずモノレールを弄っている。少し眠いのか、眼を擦りだした。
「とうしろ、母ちゃん迎えに来たら教えてやるから、寝ろよ」
 と声をかけると、口元を引き締めて頷いた。一つだけ残っている布団を部屋の中央に持ってきてやると、そこにころんと横になる。瞼は閉じなかった。
「本でも読んでやろうか?」
 そう声をかけると、首を横に振る。握り拳が頑なだった。
「母ちゃん、早く来るといいな」
「別にいい」
「ん?」
「先生たちには迷惑かもしれないけど、お母さん、お仕事だから」
 十四郎は言葉に抑揚をつけて自分の気持ちを伝えることが下手だ。年齢にそぐわない大人びた口調に銀時は強い違和感を覚えている。
「残業代出るし、助かるから、俺は迷惑じゃねえよ」
「坂田先生は、一人で暮らしてるの?」
「ん、そうだよ」
「高校生なのに?」
「そ。気楽だぜ」
 十四郎は銀時を凝視っと見てから、「いいな」と呟いた。
「母ちゃんと暮らすの嫌なのか?」
「そうじゃないけど」
 十四郎は口篭る。眠いせいか、いつもより饒舌だった。
「そうじゃないけど?」
「お母さん、俺がいない方がいいんじゃないかって、たまに思うから」
「そういうこと、とうしろの母ちゃん言うのか?」
「言わないよ、言わないけど、なんとなく、俺がそう思う」
 十四郎は同情して欲しいわけではなかった。表情でそれが知れた。思ったことを当たり前のことと受け止めて、口にしているのだ。
「ふうん、そっか」
 銀時は相槌をうった。十四郎は漸く目を閉じた。少し伸びた髪の毛が横に流れて眼にかかっている。白くて弾力のある頬に触れて、柔らかな黒髪を耳にかけてやると、控えめな寝息が漏れてきた。
 銀時は行き場のなくした澱を吐き出すように溜息をついた。