視界が狭められていて歩き難い。
 時刻は十八時、秋も深まり、季節はこれから訪れる冬の気配を感じさせている。鈴虫の鳴き声も先月の終わりに絶えて、夜はずいぶん静かになった。空気は澄み、空は確実に高くなってきている。上着を羽織らなければ寒いぐらいなのだが、今現在、銀時は汗をかいていた。
 外廊下を数人の夜間職員とともにひっそりと進んでいる。教室から漏れ聞こえる子供達の声が近くなった。銀時と「すこやか」の職員は、ハロウィンの貸衣装姿だった。手籠の中にはお菓子が山盛りである。
 ハロウィンはこの館の三大イベントの一つだ。遅くまで迎えを待つ子供達にささやかながら楽しんでもらいたいと、長谷さんが考案して以来、毎年脈々と続いている。
 銀時は妖怪や魔女、正体不明の生き物の集団の先頭を切っている。教室の手前の硝子戸まで来ると、後ろを振り向き、合図をする。彼らは一斉に頷いた。
 勢いよく硝子戸を開けると子供達の視線を一斉に集めた。途端、わっと声が上がる。入ってきた妖怪や魔女達に子供達が叫び声を上げた。年長児は心得ているのか、年少の本気で怖がる子を庇ったり、機転を利かせて道化師となって煽る者もいる。銀時はまとわりついてくる子供達の頭をぐちゃぐちゃに掻き乱しおどけてみせる。本来のハロウィンの趣向とは少し違うが、子供達の前で職員で密かに打ち合わせを重ねていた拙い芸をして、お菓子を渡し、一目散に職員室に切り上げ、急ぎ着替えて、何事もなかったかのように職務に戻った。
 銀時が教室に戻ると、子供達は興奮冷めやらぬ様子でお菓子を美味しそうに食べていた。夕飯はあと一時間後まで残った子供たちに近所の弁当屋が配達してくれる。本来はこの時間にお菓子を食べさせるのは夕飯が食べれなくなるので厳禁なのだが、今日は特別だ。
 十四郎がつかつかと寄ってきて耳元で、
「あのかぼちゃ、銀時だろ」
 と呆れ半分で微笑った。
「なんのこと?」
 と惚けると、悪戯っぽい顔だ。十四郎は随分と表情が豊かになった。ふと気付くと、髪の毛が乱れている。視界が悪かったので誰が誰だかはよく視えなかったが、群がってくる子供の中に十四郎がいたのだろうか。もしかして、手袋越しに頭を撫でたのだろうか。
「十四郎、早く来いよ」
 と呼ぶ声がして、頷き向かう十四郎に銀時は尋ねることをしなかった。
「あー! 銀ちゃん先生にやけてるー」
 六歳の女の子に指摘され、銀時は口元を押さえた。

 月の力が満ちていた。
 銀時は枯葉のまじった秋の風を向かい風で受けている。今日はバイトが休みだったので、高杉と桂それに坂本と放課後、喫茶店で時間を潰した。話題は主に卒業後のことで、三人はこの時期になっても先が不透明のままの銀時に呆れていた。足元に落ちた枯葉は、踏むと乾いた音がする。高校の理事長からは、好きにやんな、あんたの人生じゃないか。と突き放すような温かいお言葉を頂戴している。
 文具屋に寄り、駅付近の人混みが四方に流れるロータリーを西に抜け、目抜き通りを横道に入る。なだらかな起伏の坂をのぼり、住宅街に入ろうとしたところで知った声を聞いた。
 思わず立ち止まる。
「約束と違うじゃない!」
「うるせぇな、気が変わったんだよ!」
 諍いの声だった。銀時は近くの塀に身を隠し、身体を低くする。盗み聞くつもりはないが、あまりにも大きい声なので必然的に聞こえてしまう。口論は白熱していく一方で、おそらく知り合いである女の声は涙声になっても激しく相手を罵倒し責め立てていた。塀から少しだけ顔を出して覗いてみると、案の定、女は化粧が濃く眼鼻立ちが整っている十四郎の母親だった。向かいの男は知らぬ顔だ。眼つきが悪く、随分若い。おそらく恋人だろうと推測した。
 知り合いなだけに、取り縋ろうとする女としての生々しさが、銀時の耳にねっとりとした感触をもって絡みつく。
「じゃあ、どうすればいいの! 私は、あんたのためにどれだけの犠牲を払ったか!」
「そんなこと、頼んだ覚えはこれっぽっちもねぇよ! あんたが勝手にやったことだろ。そんなもんに見返りを求めるなんざ、筋違いじゃねぇのか」
 十四郎の母親が激しく震えた。そして、呪詛のような声で言った。
「あの子がいるのがいけないのね、あの子が………」
 あの子、の存在が思い当たり、銀時の胸の内を冷たく凍らせる。
 男が舌打ちした。
「だから、もうあんたに飽きたんだって云ってんだろ! あんたもこの商売してんなら分かるだろうが!!」
「私は、あんたが、あんたが約束してくれるから、子供も……子供も捨てようとしたのよ!!」
 ダメだ。
 銀時は激しくなる呼吸を胸を押さえることでなんとか堪えた。冷えた身体が今度は急激に熱くなる。地面に踏ん張らないと、喚きたててしまいそうだった。
―――――お母さん、俺がいない方がいいんじゃないかって、たまに思うから
 近頃、十四郎は自分よりも早く帰る子供達を笑顔で送り出していた。「またな」と微笑って、母親の迎えを銀時と二人っきりで、泣き言も零さずに待つのだ。不平も不満も持たずに。
 銀時の葛藤を余所に、往来のど真ん中である事を失念しているのか、激昂している十四郎の母親は余りにも身勝手だった。銀時は子供は好きでも嫌いでもない。騒がしいとうんざりする事だってある。しかし、他所でも何処でも、その子供が聞いて傷つく言葉を放つことは絶対にしない。なんだかんだと言いつつも、アルバイトの範囲を越えて面倒をみてきた。長谷さんが「休んでいいのよ」と云っても、人が足りなければ手伝ったし、少しでも懐に余裕があれば、お菓子を買って行って喜ばせた。あんなに小さいのが悲しむのは嫌だった。それを、実の親が簡単に捨てるのか。子供を一番喜ばせることのできる立場にいるのに、簡単に傷つけるのか。職員が頭を悩ませ、どこまで踏み込んでいいか、どうしたら幸せな子供時代を過ごせるかを思案し続けているというのに。
 銀時は許せなかった。
 居てもたってもいられず、踵を返して駆けた。親の事情とは何だ。子供を捨ててまで、貫かなくてはいけないものなんてあるのか。生きていても、たとえ生きていても、捨てるのか。心の中は荒れ狂っていた。浮かんでくるのは今まで胸に抱えたきた怒涛のような感情だった。
 気付かないようにしていた。子供に深入りしてしまっている自分に。バイトだと、軽い気持ちだと、自分自身に言い聞かせ続けた。やるべき事だけをこなせばいいと思おうとしていた。子供と関わる仕事なんて自分の性に合わないと。無力な自分に気がつきたくなかった。気がつきたくなかったから、表面の軽い所だけ関わろうと思ってきた。でも、どうしてもできなかった。
 どの子供にも、笑って過ごせるようにしてやりたかった。子供らしからぬ我慢などして欲しくなかった。いつも矛盾を抱えていた。本当は、どこまででも踏み込んでしまいたかった。迎えが遅い親には怒鳴りつけてやりたかった。どんなに心細かったか、どんなに寂しかったか、一緒にいる銀時には痛いほどに分かるのだ。子供は大人が思うよりずっと賢い。泣きもせず、文句も云わない子供の奥底をお前らは分かっているのか。
 闇雲に走るとなぜだか少しも疲れない。心が麻痺しているのか、何処までもいけそうな気がしていたのに、気が付くと「すこやか」の裏門の前に来ていた。館の灯りは落ちていて、海の底のように静かだった。
 銀時は自分が無力であることを知っていた。知っていたのに、改めて、自分の手で子供一人、救うことができないことに再び気づかされた。
 白いベンチは夜の仄かな闇に浮き上がっていた。土方は少し前までベンチに座り、フェンス越しに母親を待っていた。十四郎自身、本気で来てくれると信じていたわけではないだろう。では、何を求めていたのか。銀時はフェンスの金網を握りしめ、額を預けた。目を閉じると、突風が前髪を浚った。長谷さんならば、理事長ならばこんな時、どうするのだろう。やはり、自分と同じように無力さを感じ、こんなに苦しい気持ちを抱えたまま、肩を落とすのだろうか。
 銀時は暫くの間、息を潜めたような館を眺めていた。

 翌日、銀時は午前授業だったので、昼食を摂ってから急ぎ「すこやか」に向かった。
 長谷さんに昨日、十四郎の母親の事を話すと、彼女はさっと顔を曇らせた。
「失言だといいんだけど……」
「激しい口論だったし、激昂してつい口走ったって感じもしないではなかったんですけど、でも、それでも……」
「そうね。とりあえず、十四郎君の様子をみましょうか」
「そろそろ小学生組が来ますよね、俺、正門で迎えますよ」
 玄関を出て、正門の鍵を施錠し左右に開くと、ちょうど歓楽街とは反対の通りから見慣れた顔の集団がみえた。
「銀ちゃん先生ー」と先頭の女の子が手を振っている。さっと目を走らせると、集団の一番後ろ、総悟の隣に十四郎を見つけた。注意深く観察するが、顔色も悪くないし、別段変ったところがないので安堵する。
 呼び止めようかとも思ったが、結局、銀時は口を噤んだ。
 その後も、銀時は十四郎に極力気を配った。十四郎の挙動や表情におかしなところはなく、何時もと変わらず時間は過ぎていった。何事もないとはいえ、昨日が昨日なだけに気掛かりだった。長谷さんもちょくちょく職員室から出てきては十四郎の様子に注意を払っている。
 その日、三回目の迎えのブザーが鳴ったのは十九時で、女性職員が出ていき、すぐさま戻ってきた。
「十四郎君、お母さんよ」 
「え?」
 と十四郎は驚いていた。こんなに早く迎えに来ることはごく稀にしかない。銀時は強ばった。子供たちの羨望の視線が十四郎に集る。十四郎は急いで鞄を取って、玄関に向かおうとして、立ち止まり、銀時を振り向いた。
 悪戯を思いついた顔で、銀時の前に来た。
「どうした?」
 聞くと、唐突に十四郎が銀時の手をとった。銀時は目を見開く。十四郎の手の平が、銀時の手に触れていた。 
「銀時、今日は俺、残れないから。また明日」
 声もない銀時に向けて十四郎はにっと微笑う。そして、軽やかに玄関の方に駆けていく。
 銀時は、長谷さんと視線を合わせる。長谷さんは銀時を制するように、手の平をこちらに向けて立ち上がり玄関に向かった。銀時はなすすべもなくそこに残るしかなかった。
 触れたあった手を眺め、指を動かす。
 暫く経って戻ってきた長谷さんが教室の出入り口の所で銀時を手招きした。銀時は相手をしていた子供達に「直ぐ戻るから」と告げて、腰を浮かした。
 職員室に着くと長谷さんは年配の女性職員を呼んで、三人で会議用のテーブルに腰かけた。年配の職員には話が通っているらしく、彼女が最初に口火を切った。
「十四郎君のお母さん、どうでした?」
「最近、十四郎君はお家で変わりないですか、と聞いたけど、特に何も、って云ってたわ。少しお話もしたんだけど、お母さんはいつも通りだったし。十四郎君も普通だったわね」
「でも、今日に限ってこんなに早い迎えだなんて……」
「そうね。ただ、これは私達が容易く踏み込んでいい問題ではないから、もう少し様子をみるしかないわ」
 長谷さんは険しい表情だ。年配の職員も眉根を寄せている。
 銀時は、気付いたら口にしていた。
「何も、できないんですね」
 云ってからはっと慌てて口を押さえる。
 重い沈黙が職員室に流れていた。嫌な予感に苛まれ、教室に戻っても子供達に「銀ちゃん先生、自分の手みて、ぼーっとしてる」と度々指摘された。

 真夜中、電話のベルで起こされた。
 眠い目を擦り、時計を見ると夜中の二時だった。眉根を寄せ、乱暴に受話器を取り上げる。スエットに手をつっこみ腹を掻きながら、欠伸混じりの声で返事をした。定まらない思考が浮ついていた。電話の相手は硬い声だった。
『十四郎くんが、今、病院に運ばれて意識不明なの』
 暗いままの部屋、時計の秒数を刻む音だけが奇妙に響いている。
 銀時は理解が遅れた。
 その言葉は、何にも結びつかなかった。
「十四郎君のお母さんが、十四郎くんと―――――――――――」
 銀時は言葉を失った。一方的に聞いて、電話を切った。冷蔵庫の稼動音も、時計の音も消えた。何かに取り憑かれたように、寝巻のままジャンパーだけを羽織り外に出た。アパートの駐輪場に停めてあるスクーターを走らたが、景色はいつもと違っていた。流れる建物は書割のようだった。病院に着いたが、感情が何も浮かばなかった。夢の続きのような気がしていた。ただ、茫然として、寒さも何も感じなかった。
 病院の受付で、どう聞いて手術室の場所を聞いたのかも曖昧だった。だが、身体は動いていた。エレベーターで三階に上がる。通路を曲がると、見慣れた顔が何人か。そのうちの一人が銀時に気づいた。
「銀時くん………」
 長谷さんが駆け寄ってくる。両腕を掴まれた。
「俺…………」
「十四郎くん、意識不明で」
 長谷さんの肩が震える。銀時は、視線を落とした。リノリウムの床が薄汚れていた。
「俺…………」
 銀時はそれ以上、何も言えなかった。
 どれぐらい待ったか分からなかった。銀時は虚脱していて、床だけを見続けた。浮かぶのはついさっきの出来事のように感じる、十四郎が銀時の手を取って笑顔を見せた場面だけだった。そこでけ切り取られたようで、他は何も考えられなかった。
―――――――――――無理心中、ガス自殺を、母親が
 十四郎に触れた手だけが、感覚を保っていた。

 どうやってアパートに帰ってきたのか、と考えて、そうだ。送ってもらったんだ。と思い出す。
 カーペットに仰向けになり、意識を失ったように寝てはまた起きてを繰り返していた。すぐ手に取れるようにと、床に下ろした電話は鳴らない。
 ぼんやりと窓の外に視線を向け、それから時計を見た。九時を指している。
 あれから二日、銀時は学校に行っていない。水も飲んでいないし、飯も食べていない。何かをしたいと思う気力が尽く失せてしまっていた。たまにトイレに立ち上がる以外、ほとんどそうしていた。
 サインはあったのだ。銀時は腕を曲げて肘を額の上に乗せ、視界を隠す。
 そうだ。サインはあった。見ていたのに。俺は、何もしなかった。ガス―――――――――――苦しかっただろか、十四郎は、苦しんだのだろうか。
 銀時は胸が苦しくなって、膝を曲げる。考えると堪らなかった。
 あの時、俺が―――――――――――そう振り返っても、時間は戻らない。だが、自分を責めねばやりきれない。
 放さなければよかった。あの手を、ずっと握っていればよかった。母親に渡すんじゃなかった。一緒にいればよかった。そうすれば、十四郎は―――――――――――
 そこまで考えた時、耳元でベルが鳴って銀時は身を竦ませた。
 おそるおそる、受話器を取る。胎児のように身を丸め、「はい」と問う声は震えていた。
 電話の相手は高杉だった。「お前何してんだよ、学校来ないで」といつもの調子だった。無理はなかった。高杉は何も知らないのだ。高杉の背後で桂と坂本の声がする。銀時が怒るのは筋違いだ。分かっていた。分かっていたが、気が付くと、怒鳴りちらし、力任せに受話器を叩きつけていた。

 十四郎はそれから一日と二時間後に意識を取り戻した。銀時は、長谷さんに電話をもらい、それからほとんど気を失うように眠った。
 再び目が覚めた時、窓の外は暗かった。急激な空腹感に襲われ、冷蔵庫にあるものを貪り食べた。
 時計は三時を指していた。銀時は風呂に入り、洋服を着て外に出た。玄関の戸に紙袋が下がっている。中を覗くと、菓子パンが入っていて、「落ち着いたら連絡よこせ 高杉」とメモ用紙を見つけた。スクーターはいつの間にか駐輪場に戻っていた。銀時はエンジンをかけて、寝静まっている街にスクーターの音を響かせた。風を切る寒さに身を竦める。貫くような寒さに、指先と足先がまず感覚を無くした。
 病院はいくつもの窓から青白い明かりが漏れていた。白壁が、暗闇の中で乳白色に銀時の目に映る。まるでこの世に銀時しかいないように、世界は寝静まっていた。十四郎の病室がどこだか分からなかったので、窓の一つ一つを順々に眼をやった。途中で視界が歪んだ。それでも、水滴の中で窓を追っていった。吐く息は白く、流れる鼻水を擦りすぎて、鼻の下が痒くなった。
 生きている、それだけでよかった。
 それは、いつか自分が言われた言葉だった。その言葉に篭められた感情が、今、自分の中に押し寄せる。
 


 卒業証書を手に向かった先はパステルカラーの平屋造り。子供の騒ぐ声が喧しい。
 銀時の姿を目敏く目つけた子供がフェンス越しに寄ってきた。フェンスに群がるその様子が動物園の檻の中の動物のようで銀時は口元を和ませる。
「遊んで」「遅い」といった声が飛んでくるのかと思いきや、子供たちは顔を見合わせてくすくす笑い、いっせーの、の後に「ご卒業、おめでとうございます」と大きな声だ。
 銀時は不意をつかれ、一瞬きょとんとした後、盛大に吹き出し、大笑いした。
 職員室でも、教員たちに「卒業おめでとう」と祝われた。
「銀時くんがいなくなると、寂しくなるわ」
 しょんぼりしながら言ったのは年配の女性職員だ。
「今月末までは、まだお世話になりますよ」
 「すこやか」で働くのは今月までと、そう銀時に言い渡したのは理事長だった。銀時は「すこやか」でこのまま働きたいと訴えた。だが、今までの無関心とは打って変わり、理事長は「じゃあ勉強しな」と一蹴した。「もっと知識を積みな、できることを増やしてからでも遅くはないだろ」と。そして、当初の予定通り、地元の大学に進むことになった。
 にこにこ微笑っている観音顔の長谷さんに、
「十四郎はどうです?」
 と訊くと「大丈夫よ。去年の終わりから随分明るくなったわ。銀時くんのおかげね」と力強く返ってきて、銀時は内心で複雑な思いを抱えながらも、安堵したように微笑って見せた。
 十四郎は、長谷さんが引き取ることになった。そして、週末は銀時が預かり、一日中傍にいる。
 長谷さんに対して後ろめたい気持ちはある。だが、十四郎とそうなったことは天然自然な事のように思えてならない。
 去年の終わり、肌を重ねた。
 あの日、何かを吹っ切るように十四郎は銀時の肌を求めた。母親が恋人を連れ込み、していたことを銀時に強請った。十四郎は真剣だった。衣服を脱ぎ捨て、銀時に覆いかぶさり、口唇を押し付けた。分かってると、十四郎は言った。男同士は異端だということも、年齢差の異常さも。全部了解ってる、分かってるけど、受け入れて欲しいと、凡そ小学生とは思えぬ発言で銀時に迫った。
 なぜ受け入れたのか、自分の中でも分明とした答えは出ない。十四郎の必死な表情に気圧されたわけでも、同情でも、極度の危惧でもなかった。性欲とはまた少し異なる感情に揺り動かされた。眼を閉じて、好きにさせた。頭に腕を回し、髪を梳いた。
「悲しくない」と、十四郎は言った。「お母さんが死んでも、全然悲しくない」
「うん」
「悲しまなきゃ、変なのに。全然、悲しくない」
「そうだな」
「心が不良品なのかな」
 銀時は十四郎の頬に触れて、額を合わせた。言葉の割に、強い眼差しに出会い、口唇を合わせる。
「俺も、不良品だから、一緒だから、怖くねーよ?」
 銀時は幼い身体の彼方此方に口唇を降らせた。子供の肌は柔和らかかった。十四郎は擽ったそうに身を捩って、何かをなぞるように、銀時のシャツに手をかけていた。裸で抱き合うには、十四郎の身体はあまりにも小さくて、熱かった。これが許されることではないことは分かっていたが、銀時の胸に乗っかり、首に必死に抱きつく十四郎に胸は溢れた。
「銀時、俺、銀時に触れる。お母さんにも誰にも触れなかったのに、銀時には触れられる」
 子供らしからぬ甘やかな声で十四郎が囁く。急激に十四郎は大人になろうとしていた。いくら足掻いても、どうしようもないものに対抗しようとしていた。
 一人ぐらいならこの手で守れるように強くなろうと、銀時は十四郎を殊更強く抱きしめた。
「お前はさ、もう少し甘えるべきだ」
「誰に」
「手始めに、俺に」
 足りないものを埋め合わせるような拙い行為、それでもいい。少なくても、十四郎を捨てたりはしない。 ―――――――――――銀時は今は自分を少しだけ信じている。
 身体を撫でて口唇を合わせる。小さな乳首も、毛の生えていないペニスも、柔らかで細い手足も触れれば手のひらに吸い付いた。十四郎は行為の意味を識っている。銀時の胸を舐めて、身体を反転させ、ペニスを咥えようとするので「マセガキ」と呟いて、制止させた。
 十四郎の手を引いて、身体を持ち上げる。腹筋を使って状態を起こし、膝の上に座らせて、手のひらを合わせた。
 父のような、兄のような、恋人のような気持ちで銀時は十四郎を愛せる。一緒に生きていける。手をつないで歩いていける。
 十四郎の手のひらは、燃えるように熱くて、胸の鼓動は強い。十四郎は、生きていた。
「生きてて良かった」
 瞼に口付けを落とすと、十四郎はうっすら目を閉じる。
「生きてて、良かった」
 小さな唇は銀時の言葉を繰り返して、ひどく大人びた顔で笑った。