会津藩から呼び出しがかかったのは、攘夷戦争の火蓋が切って落とされてから一年が過ぎた頃だった。
 その日、土方十四郎は近藤勲と沖田総悟と共に、江戸城西丸の内桜田門外前の松平肥後守上屋敷に急ぎ赴いた。やっとお目通り叶った慶びよりも、何度も書状を出しても返答無く、御家人に謁見を取り計るよう願いを出しても音沙汰なしの状況に焦れていた。
 上屋敷に呼ばれたところで大名に会う事はまず無いだろうと諦念していたら、そこで待っていたのは思いがけない人物、会津藩藩主の松平片栗粉その人であり、着慣れない上下と着物一式で平伏し、何事にも毅然としている土方ですら、少しばかり脈が乱れていた。
 ここが正念場だ。
 土方は面畳の目を見つめながら腹部に力を込めた。やれる事は全てこなして来た自負がある。
 ここ一年、攘夷の内乱を好機と、江戸に上京し浪士を集め、部隊を整え、江戸に潜入する攘夷志士を捕縛し浪士組の幕閣入りを頻りに訴え続けてきた。名目上、武士階級の末端に取り上げられることはかろうじて適ったが、お役目は未だ与えられていない。所詮は俄か武士、浪人の身分を脱せていない。思うように登用されずに、一介の浪士軍団に留まっていた。人脈を広げようと出来る限りの手を尽くしたが、進退窮まっていた。攘夷志士を捕縛すれば役金が入る。決まった給金を貰えない今は、この役金だけが組織の唯一の維持費だ。
 土方は近藤を、自らの大将と決めたこの男を、旗頭とした頑強な組織を持ちたかった。それが、近藤について行こうと決めた自分のただ一つの宿望だった。
 近藤はずっと武士になることを夢見続けてきた。誰が嘲笑しても物ともせずに、剣術の腕で伸し上がれると、叶う筈だと信じ続けてきた。片田舎にある無名の剣術道場の道場主であるというのは、近藤も念頭にあったろうが、純粋に武士になると信じ公言し続けてきた。身の置き場を見つけられず、ただどうしようもない気持ちを持て余しながら周囲を拒絶し、足掻き続けた土方には恥も外聞も無く自分の信じるものを持てる近藤が眩しかった。世の中の歪なものを真っ直ぐに見据えて豪快に笑って飛び越えられる近藤を言葉には出さないが、密かに敬慕していた。
「面を上げろ」
 人相の悪い笑みを浮かべながら、松平公は沖田、近藤、土方の順に目線を投げると、呟くように「成程な」と口の中で転ばした。「お前らの噂は聞いてる。武士になりてぇんだってな」
 人を喰ったような尊大な態度であるに関わらず、どんなに権力があろうとも人物に対する好き嫌いの激しい土方が、なぜかこの松平公には珍しく反感を抱かなかった。松平はまた順に上目遣いで一人一人を検分するように見つめていくと、土方を見遣って、片方の口角を持ち上げた。なぜか、自分の底を見破られているような気がした。
「お前が土方か」
「は」
「市中の警備はどうだ。励んでいるか」
 試されているようだ、と土方は感じた。松平片栗粉と謂えば先月の政変の際、天皇から職務励行の文を賜り、天皇の信頼厚く、将軍にも通じる人物だ。相当な辣腕家とも訊いている。
「お言葉ながら、我らは会津藩お預かりという下っ端集団に他なりません。お役目も頂かず、どう励めとおっしゃいますか」
「無礼なっ!」
 控えていた旗本衆が刀を掴み立ち上がりかけたのを「静まれ」と制したのは、松平公だった。含みのある笑みを浮かべながら土方を頭の先から膝下までをじろじろと見つめる。
「気に喰わないか」
「給金が足りませぬ。権も足りませぬ。お役目をくださらねば、下級では何もかもが、ままなりませぬ」
 土方は一息に言い切った。近藤も沖田も一言も口にしない。自分が勝負に出たことを感付き黙してくれているのだ。それが何より有難かった。ずっと一人きりだった自分に一蓮托生してくれる人がいる、掴みたい道がある。やっとここまで辿り着いた。ここで引くつもりは毛頭無い。上に取り立てられさえすれば、成果を出せる。その自信が確かにあった。近頃の腰抜けの幕臣よりも働ける、お役目を全うできる。お家や地位だけが大事な安穏としている武士とは元から覚悟が違うのだ。そのためには、近藤だけでも御目見以上の身分が必要だった。これまで地道に手柄を探して掴んできた。近藤率いる浪士組の名は世間に広がっているはずである。
 無礼成敗の切腹は覚悟の上だ。ここで勝負に出なくては表舞台に一生立てない。やっとつかんだ好機なのだ。
「お前らは、それに見合う働きが出来るのか」
「少なくとも、権威に固執し私服を肥やす事しか能がない幕臣よりは使えるかと」
「なにッ!」
 土方の皮肉に鯉口を切り脚を踏み出した男に、松平公は「うるせえ!」と一喝する。一間が振動するような咆哮だった。場が静まり返ると、松平公は片膝を立て、その上に肘を乗せる。手の甲を頬骨に当てた。
「お役目が欲しいか」
「宿望してございます」
「お前に死ぬ度胸はあるか、登用がその命と死と引き換えでも欲しいか」
「欲しております」
 松平公の笑みが深いものになったのを土方は感じた。
「お前の道場の門下生は活きがいいらしいな、近藤」
 土方は勿論、近藤と沖田も息を呑んだ。天然理心流の事は一度も書状にしたためていない。もちろん、御家人にも伝えてはいない筈だった。表情を視て読み取ったのか、松平公は悪戯っぽい表情を浮かべ脇に置いてあった巻物を近藤の前に放り投げる。顎をしゃくると、近藤は一礼して、包みの紐を解いた。
「お前らの身辺、調査させてもらった。何者か知れない連中をそう易々と取り立てるわけねぇだろ。お上にも報告しなきゃなんねェしな。それで随分と達示が遅くなった」
 近藤は目を通しきると、すぐさま平伏した。鼻が詰まったような震え声で謝辞を述べた。
「ご無礼をお許しください。しかし、土方や沖田。私の周りに居る隊士は皆、太い魂を持った精鋭ばかりでございます。あり難く、あり難く拝借させていただきます」
 土方も沖田も近藤の弁を読み取って平伏する。感無量であった。土方はやっと視えた道筋に一つの光を見つけた気がした。
「そこでな、旗本になって時期早々だが、最初の任務に就いてもらう事になる」
 松平公のその言葉に、土方は違和感を覚えた。あまりにも唐突すぎる。厭な予感に苛まれたが、もう引き返すことは出来ない。近藤と沖田の顔が見たかったが、じっと堪えた。三人で意思を疎通しあう暇も無い。
「土方、お前、命を捨てると先ほど確かに口にしたな」
 隣の近藤の肩が僅かに動いた。土方は、堪えてくれ、と心中で近藤に呼びかける。土方とて死ぬ事は本望ではないが、ここでもし断れば全てが水の泡と化す。武州に戻り、時勢を遠めで眺めながら指を咥えている、拠り所のない自分にはもう戻りたくは無かった。やっと一年でここまで登り詰めたのだ。
「攘夷浪士を捕縛しているオメェらにゃ、一から十まで話す事はねぇよな。いまんとこ、江戸でどんちゃかやってる攘夷の連中は小者よ。本丸はまだ江戸にはあがってきちゃいねぇ。その、まだ江戸には上がってきてねぇ一隊に土方、お前、潜入しろ」
「土方だけ、ということでございますか」
 近藤が何時になく硬い声で問いかけた。
「土方だけだ。ぞろぞろ入ったんじゃ、あっちも馬鹿じゃねぇからな気付くだろうし、お前らはまだそこまで顔が割れてねぇ」
「なぜ、土方を」
 松平公は呆れた顔で近藤を見返した。
「俺はお前らのことを一通り調べたんだ。そんな中で土方が適任だと思った。近藤、テメェが行けばお前らの隊はどうなる。大将を失うんだぜ。それに沖田は確かに剣の使い手だが年齢が若すぎる。その他にも有力なのもいるには居るが、土方の参謀ぶりは抜きん出ている。俺も感心してんだ、近藤、お前の豪胆さと沖田の剣術、それに、どこで習ったかしらねェが土方の勘の鋭さがな。これは、幕府内でも極秘に動いてる事でな、公にはできねぇんだよ。最小限の使える人材を既に何人か攘夷の連中の中に忍ばせてる。土方には攘夷集団が消滅するその日まで間者として紛れてもらう」
 松平公の後ろに控えている会津藩の武士が二人という少なさに入った時から不審だったが、このためか、と合点する。
「攘夷の奴等にはいくつかの隊がある。幕府が懸念しているのは大きく分けると四つだ。最初は一隊だったが、途中で散ったんだ。連中は頭が切れる。いくつもの隊に分かれて天人や幕府の攻撃をまいて、逆に襲撃してくる。隊は分裂したり 集結したりを繰り返している。これがなかなか掴めない。更に、こちらが送り込んでいる間者も見破られて殺された奴が多いんだ。今現在はおおまかに分けると、黒隊、紫隊、赤隊と、それから白隊。土方、お前には白隊とやらに潜入してもらう」
「白隊」
「名称はいくつかあるらしい。一定してないのかもしれないな。ここの隊を率いている奴の頭髪が白いからそう呼ばれているらしい。お前らも聞いたことがあるだろう。白夜叉、と呼ばれる鬼神が暴れまくってる部隊だ」
 それは余りにも有名だった。攘夷の闘鬼白夜叉、銀色の髪に血を浴び、戦場を駆る姿はまさしく夜叉である―――――――――――根の葉の無い噂話のようなものだろう、と土方は思っていた。
「土方、お前はその隊に潜入し、奴らと行動を共にしろ。そんで全部終ったら、奴らの名と顔を報告してもらう」
「全部終ったらというと」
 決まってるだろう、と松平公は一呼吸してから、無表情で言い切った。
「攘夷の連中が滅するその日までだ」



 いい風だ。
 沖田は、半ば強引に屯所として借りていた本願寺の縁側に座って、月の出ている夜空を仰ぎ見ていた。道場で一汗流し、風呂に入ってきた身体は夜風に当たって心地良い。
 縁側の床を撫でて、ここに座って視る月が好きだったんだけどな、と少し感慨深くなったりもした。昼間、本願寺の住職に退去する旨を伝えたら、坊主頭の住職達は口元の笑みを隠しきれずにいたのが可笑しかった。
 沖田は、目まぐるしい日々の中でただ一人、何処に流されても変わらない自分でいられた。好きな剣術だけに力を注げられるのは近藤と土方のお陰だと分かっている。ただ一つ、変わったことといったら人を斬る感触を覚えたぐらいだ。
「ここにいたのか」
 昔と変わらず穏やかな声で話しかけてきたのは近藤だった。手には酒とお猪口を三つ持っている。沖田の隣に腰を掛けると、ほっと溜息をついた。
「ああ、いい風だなぁ」
「本当ですね」
「総悟、俺らの組の名前を言ってみろ」
 偉ぶる近藤に苦笑する。何人もの隊士が、「局長に何度も俺らの組の名はなんだ、言ってみろと聞かれたよ」と零していた。
「真選組、です」
 沖田が答えると近藤は心底嬉しそうに笑った。本日付で幕府から直接賜った近藤率いる部隊の名称である。真選組―――――――――――ずっと、見続けていた近藤の夢だった。身分を乗り越えたい、武士になりたい。そして、沖田も近藤と土方の行くところに何処までも付いていこうと決めていた。その夢が適ったのだ。ただ、一つを抜かして。
「ちょっと、意外でした」
「ん?」
「俺ァ、近藤さんはもしかしたら辞退するんじゃねぇかな、とも思ったんです」
「辞退する、って実はここまで出掛かったんだよ」と、首の高さに手を持ち上げて近藤は少し寂しそうに笑った。「トシが居ないなんて、気持ち的にも組的にも踏ん切りがつかねぇよ。実は今だってついちゃいねぇんだ。トシが真選組を、俺たちをここまで導いてくれたのは痛いほど分かってんだ。何も無いところから、どこで情報を手に入れてくるのか知らねェが、まるで幕府の弱腰体勢の隙を突くように一つ一つ積み重ねてここまで這い上がってきたんだぜ。でもよ・・・・・・あそこで辞退したら、トシが今まで犠牲にしてくれたものや、しんどい思いしてきてくれた事を全て台無しにしてしまうんじゃねぇのかって思ったんだ」
 総悟は無性に嬉しくなった。自分の選んだ人は間違えじゃなかったのだ。
「だから、俺ァ、近藤さんについて行こうと思えるんです。あそこで辞退したら、俺ァ近藤さんを殴ってました。多分、土方さんもおんなじ気持ちだと思いますぜ」
「ああ、だからな、俺は喜んでいようと思うんだ。勿論、長年の夢だ。心底嬉しい。それに、喜んでなきゃ、トシに失礼だと思うんだ」
「死ぬわけじゃないんです残念ながら、土方さんは全て終ったら嫌でも戻ってきやすよ」
「そうだよな・・・・・・・・・トシがな、あの後、松平公に言われたらしいんだ。戻ってきたら月見酒でもしよう、って。きっと、松平公も俺たちを取り立てるために奔走してくれたと思うんだ。でなきゃ、田舎の剣術道場の連中が幕閣に取り上げられるわけねぇしな。俺たちを見込んでくれてるんだ。その恩には報いたい。トシは絶対死なねぇよ。そんな柔な男じゃねェ」
「俺は死なねぇよ」
 回廊を歩いてきたのだろう、土方が静かに笑みを見せながら言った。総髪を結い後ろに長く垂らしている髪の毛が濡れていて、普段は青白い肌が火照っていた。風呂上りだろう。近藤の隣に腰を下ろし、空になっているお猪口に酒を注ぐと手の平で転がす。
「新しい屯所も松平公から支援されるんだ、俺のいない間しっかりやってくれよ、近藤さん」
 久しぶりに冗談めいた土方の声を聞いた。沖田はお猪口に注がれた酒を一息に飲みきると、じんわりと身体の芯が熱くなった。三人でこうやって夜空を見上げる事が久しく出来ないことを思うと、なぜか込み上げてくるものがあった。
「そうですぜ。近藤さん、あんたが大将なんですからもうちょっと、どっしりしてくだせぇ」
 総悟は声が震えぬよう、懸命に努めた。
「総悟も、頼んだぞ」
「わかってらい」
「トシ、帰ってきたら月見の酒盛りをしような」
 近藤は月を見上げたまま言った。総悟は、月が遥か彼方遠いところにあることを初めて意識していた。



 途中から中山道を外れ獣道をひたすら南へと進んでいた。足場の悪い山道を一歩一歩慎重に進みながら歩くのは効率が悪いが仕方が無かった。往来手形は先ほどの武佐宿を出る時に邪魔になると思い捨ててきた。ここからは夜を越すとしたら野宿である。「トシの鬼脚」と武州では渾名されていたほど土方は脚が恐ろしく速かったが、この足場の悪さはどうにも敵わない。
 歩きながら、どうやって潜入するかをひたすらに考えていた。土方は多摩訛りである。地方の言葉遣いはできないので、出身は武州にするしかないだろう。なるべく、ぼろを出さないためにも、偽ることは少ないほうがいい。それに、白隊と呼ばれた隊がどこにあるか、正式な場所も分からずにいた。日々、戦闘場所は動いている。襲撃にあわずに近づくにはそれはもう、運の世界だ。
 戦争を土方は経験したことが無かった。江戸に潜伏している攘夷浪士を斬った事はあるが、天人を相手取った戦争がいったいどのようなものなのか、想像するしかなかった。戦国時代の合戦読み物のような感じでしか掴めなかった。戦火は伊勢の国辺りまで及んでいる、という話を途中の宿舎で聞いたが、武州や江戸から出た事のない土方には初めての長旅でもあった。地理がよく掴めない。日々、江戸で攘夷志士を追いながらも、戦場に身を置く攘夷志士とはかなり離れたところにいたのだ、と実感した。
 戦地が近付くにつれ、町の様子が殺伐としてくることに気がついていた。顔色も違う。江戸の町人より警戒心が濃く、疲れた顔をしているように見える。非公認の自衛団が刀や銃器も持ちながら町を巡回しているのも見かけた。
 武士になりたい、と目指してきた。攘夷志士を取り締まってきた。それはあくまで、幕閣に入りたいという思いと、江戸の治安を護るためにやってきたことだった。だが、これからの戦は、どうなのだろうか。松平公には、攘夷志士の一員となって働けといわれた。そこで起きた事は何であっても不問と処す、と。そもそも攘夷志士とは日本を天人の襲来から護るために結成された組織だ。元は、幕府も攘夷派だった。だが、天人の技術力や攻撃力を目の当たりにして、日本人は天人には敵わない事を悟った幕府が、攘夷派からしてみれば掌を解して開国を推し進めたのだ。取り残されたのは過激攘夷志士の集団で、日本のために戦いながらも幕府に強い恨みを持っている。裏切りだと糾弾している。そして、天人を幕府もろとも潰そうと意趣が変わって複雑化してきた。幕府には幕府の思惑がある。日本の武士では天人には敵わない。ならば、開国して政治的、経済的に諸星とやり取りしようとしている。だが、そこでもまた複雑化し、いろいろな派閥が存在する。この国は一筋縄ではいかなくなってきている。天人の圧力や国内の派閥、真選組の手の届かないところで、様々な勢力が日々動いている。そんな時勢だからこそ、自分たちが取り立てられたのだ。だが、それも、幕府の盾にすぎないのでは無いか―――――――使い捨て集団にすぎないのではないだろうか。今回の土方の任務とて、そうそう重要なものではない。要するに、残党処理に役立つ程度だ。
 それでも、田舎で日本がどう動くのかを指を咥えてみているより、中央に近い場所で見ていきたい。何かあってからでは遅い。時局を見極められる場所で働きたい。刀が扱いたい。身分が欲しい。人が出来ることなんてたかが知れている。だったら、出来ることを、自分たちの手の伸ばせる範囲で成すべきではないか。
 面倒くせぇ、と土方はここまで考え及んで一蹴した。先の事は分からない。今だけに重点を置かなければ、何も見えてこない。まだ自分たちは走り出したばかりなのだ。
 その時だった。右後方の茂みが微かに揺れた。風は無い。土方は咄嗟に左に飛ぶ。同時に銃声が鳴った。慌てて顔を向けると、土方の今立っていた場所に、微かに立ちのぼる煙幕と銃弾が打ち込まれている。急ぎ、林の間を縫って走り出す。いくつかの足音が後をついてくる。持っていた地図を懐に仕舞って成るべく道の険しい方向に向かって走った。笠を捨て、焙烙玉を袂から取り出し火打ち道具で着火させ後方に投げる。敵に当たったのかは分からなかった。それからは、前だけを見て走り続けた。追ってくる銃声は止まないが、走りながらでは狙いを定めにくい筈である。それに、木が防いでくれている。
 敵がこの森を精通しているとしたら厄介だな、と土方は内心舌打ちした。
 成るべく重心を低くし、道なき道をひたすらに登った。やっと銃声が止んでも足を止めなかった。呼吸が荒くなって、枝や草に擦れてできた傷が鋭く熱く痛み出す。勾配がなだらかになったところまで駆け上がってきた時、右肩に鋭い痛みが走った。そこで、泥濘に足を滑らせ、山毛欅に掴まろうと手を伸ばすが、空を切って、身体が空中に放り出された。しまった、と思ったときには既に遅く、遥か下方の川に真っ逆さまに落ちていた。右の肩には短刀が突き刺さっており、痛みより、熱い。
 土方の落下しながら、落ちた場所から数人の顔が覗いたのを見た。姿形から山賊だと見当をつける。そのうちの一人が土方に向かって銃を構えた。
 激しい銃声が鼓膜に響いて、そこで、意識が途絶えた。



「隊長、起きたぜ」
「ああ」
 坂田銀時は身体を拭く手を止めずにぼんやりと答えて、頭を掻いた。今朝方、男が川を流れている、という報告があり、見に行くと、本当に男が川の上流から流れてきた。どうするか迷っている隊士に「引き上げてやれ」と指図すると、男たちは尻端折りして川の中へ入っていった。銀時はおそらく土左衛門だろうと踏んでいたのだが、引き上げた男の肌は青白かったが、まだ息をしていた。
 左肩には刺傷、右脚には銃創があり、急いで傷の手当をし、見張りをつけて銀時たち部隊がここ最近塒と定めている納屋の一つに寝かせた。男は刀を所持していたので、念のため預かっている。意識を取り戻したら何者かを問いて、その後、どう処置するか決めようと考えていた。幕府の人間だとしたら、もしかすると人質になるかもしれないし、ただの浪人だとすれば下働きさせればいい。先日の戦で大分隊の人数が減っていた。今は猫の手を借りたいぐらい、人手が足りない。
 銀時は鼠色の袷を正して、胴当てを被り、白色の羽織を被って刀を差し、水筒に川の水を汲むと納屋に向かった。
 納屋の戸を開けると、中央の蒲団に横たわる男の他に隊士が二名見張っていた。「ご苦労」と声をかけ、隊士を外に出すと、男の顔を覗き込む。
「眼が覚めたか」
「ここは?」
「俺らの今の塒、お前、川から流れてきたんだ。桃太郎みたいに」
 男はえらく整った顔立ちをしていた。黒々とした総髪に、眉の形が良く、睫の長い二重瞼に切れ長の目が印象的だった。筋の通った鼻に唇は薄く、輪郭も理想的な形をしている。両掌には剣多胡ができていた。
「お前、名前は?」
「土方、十四郎・・・・・・・・・」
 額を押さえて起き上がろうとすると、身体の傷が痛んだのだろう。顔を顰めて呻く。銀時は男の身体を素早く検分した。上半身は怪我の処置をするために裸に剥いてある。筋肉の隆起はおそらく、剣術で磨かれたものであろう。
 銀時は内心、警戒した。
「まだ傷が塞がってないんだ。左肩は浅いが、右脚の銃で撃たれた傷はなかなか厄介だぜ。化膿しなくて良かったな」
「あんたが、助けてくれたのか?」
「引き上げたのはうちの隊士だ」
「そうか、礼を言う」
 土方は銀時をひた、と見つめて少し顔色を変えた。
「あんた、髪が・・・・・・もしかして、白夜叉・・・・・・」
 銀時は刀の鯉口を切って、半身になった。顔色にはおくびにも出さず、続きを問う。
「そう呼ぶ奴もいるな。なんで知ってる?」
「俺は、あんたの部隊に加わりたくて、ここまで来たんだ。途中、山賊に襲われて、崖から落ちた」
「俺の? 目的は」
「攘夷志士になるため、天人を排除したい」
「なぜ」
「日本人なら、当たり前だろう」
「それだけか」
「刀を・・・・・・刀を極めたい。身分を、乗り越えたい。時勢を見極めたい」
 そこで、銀時は刀を戻し一先ず警戒を解いた。土方は今、武器を持っていないし、足を怪我している。それにおそらく、剣術の腕は自分のほうがずっと上だ。土方は戦場を知らない。人を斬った事はあるようだが、眼の濁りが少ない。絶望を知らない人間の眼の色だ。銀時は微笑する。
「いいぜ。だが、当分は下働きだ。刀もお前が信用できると判断できるまで預かるぜ。それに、早く足を直せ、でないと置いていく」
「分かった」
 再び横たわった土方を尻目に納屋を出た。隊士が目線でどうするか、と問いてきたので、首を横に振る。張詰めた空気が弛緩し、各々が持ち場に戻っていった。銀時は手で翳しながら太陽を見上げ、その眩しさに目を細める。戦に身を置いて随分と時が経ってしまったが、まだ、取りこぼした物は掴めそうに無い。反対の手で太陽に向かって手を伸ばすが、その距離は計り知れない。
 銀時の元は白かった羽織は、今ではどんなに磨いても血の色が落ちない。
「久しぶりに呼ばれたな」
 ―――――――――――白夜叉、仲間からは決して呼ばれない名だ。だが、呼ばれないだけで、いつの間にか白夜叉という異名は敵味方関わらず広まっているらしい。たまに、自分でも異形の鬼になっているのかもしれないと思うことがある。銀時は殺しすぎた。銀時の刀は、手は、人や天人を殺めすぎた。戦場で怒りに自我を失う事もある。斬る事にどうしようもなく昂揚する時もある。いっその事、鬼になれば楽なのかもしれない。もう、身体も心もとっくの昔に麻痺している。味方が目の前で斃れても、涙の一滴も出てこない。まだ吉田松陽と出会う前も、戦場に巣食う鬼と呼ばれていた――――――――――銀時は自分でも生まれながらの鬼なのかもしれないと思うことがある。
 くだらないと自嘲する。疲れているのだ。
 隊の誰しもが疲れていた。先の見えない戦いに、落ち着いて眠れない毎日に、味方すらも疑わなければならない日常に。狂い出すものも精神的におかしくなる者も出てきている。
 だが、銀時は自暴自棄にはなれなかった。なんとか一人でも多くの仲間を連れて、桂小太郎や高杉晋介、坂本辰馬の部隊に合流したい気持ちがあった。生き延びたい、という気持ちも銀時の中には残っている。
 敵を撹乱するために一時的に部隊を分けて、目的の場所に進んでいた。ここに留まるのもあと三日、そうしたらまた場所を変えて、戦闘しながらも、じりじりと進んでいくしかない。
 あの男、土方は味方ならばおそらく使える人物だ。一度戦場に出して、試してみなければならない。不思議と初陣で生き残れたら生き永らえるものなのだ。運さえ良ければ、だが。銀時の勘で土方は生き残れる気がした。だが、味方か敵かはまだ判断がつかない。気が抜けない。
 そればかりにかまけている暇はない。減ってしまった隊士の編成を考え直さなければならない。それから、食事の調達もどうにかしなければそのうちに尽きてしまう。武器も足りない。人を遣いに走らせなければならない。考えなければならない事は山済みで、銀時は一人溜息を吐いて、陣営に向かった。いつの間にか、随分遠くに来てしまっている気がした。

 
 百川喜一は許せなかった。いきなり隊に加わって、隊長に一目置かれている土方十四郎という男が憎くて仕方が無かった。
 百川は銀時の隊の二番手だった。土方が現れて戦闘に加わるまでは陣営でも常に銀時の隣で指揮を執っていた。それが、突然、銀時が土方に信をおきだした。土方の言を銀時が採用するようになり、必然的に隊の二番手は土方という位置付けになっていた。土方の参謀ぶりや戦闘における人選の配置の天才的な感覚は己には考え及ばないところで感服せざるおえない。それも憎しみの要因になっていた。
 陣営で百川は土方に喰って掛ることがこの所、多くなった。土方の参謀案を貶す事に情熱を注ぎすぎていた。だが、土方はいつも百川を軽く論破していた。百川が必死になるほどに、その醜態が際立ち、土方の利発さが目立った。最早土方も銀時も他の隊士も百川など眼中に無くなっていた。それがどうしても、許せなかった。ぎりぎりと歯を食いしばり呪詛を唱えることしか百川にできる事はなくなっていった。どうにかして土方を貶めたかった。だが、土方には隙が無かった。戦場でも土方の活躍には到底敵わなくなっていた。
 日に日に土方への嫌がらせが過剰になっていった。最初は土方の褌や着物を燃やすところから始まって、最近ではあからさまに足を引っ掛けたり石を投げつけたりと、その陰湿さに磨きが掛っていた。そして、ある日その現場を眼にした銀時が百川の胸倉を掴み投げ飛ばした。
「しばらくは目ェ瞑っていたが、見苦しいにも程がある。テメェは何がしてぇんだ!」
 虫けらを見るような目で蔑まれて、百川はとうとう土方を殺してしまおうと思い立った。
 決行は深夜、見張りの目をすり抜けて、桜の木の下で丸くなって眠っている土方に近付いた。この所、野宿続きで隊士の疲労は極限だった。土方の周囲に眠っている隊士も起きる気配は無い。百川は刀を抜くと、土方の頸に刃を当てた。土方の喉が微かに動いている。息をしている、それすらも許せなかった。そのまま押し込もうとした時、百川の頸に衝撃が走った。
 思わず刀を落とし振り向くと、凶悪な貌で嗤う銀時と目が合う。鳥肌が立ち、悲鳴を叫ぼうとするのと頸を絞められるのはほぼ同時だった。苦しむ暇もなく、意識を失い百川は崩れ落ちる。
「殺したのか」
 土方は銀時を見上げた。その声は擦れて疲労が濃かった。
「起きてたんなら抵抗ぐらいしろよ」
「お前の気配がしたからな。どうすんのか、気になったんだ」
「俺が百川を絞めなかったらお前どうしてたんだよ」
「死んでたかもな」
 土方は小さく笑うと、起き上がった。
「起き抜けで、目が慣れない。水辺まで連れて行ってくれ」
 銀時は土方の手を取ってゆっくりと歩き出す。瞼を擦り、銀時に連れられて深い森を進んで行った。夜の森はあまり歩かないほうがいい、と昔、近藤に教わったことがある。夜の森は危険だからな、獣も多いんだ。絶対入るなよ。と、だが土方は銀時はそんなものに怖気づくような、負けるような男ではないことを、この短期間の間で心得ていた。この男は、獣よりも性質が悪い。もっとずっと凶悪で、そして底が知れない。
 銀時が自分を信じているかも分からなかった。もしかしたら、何もかも看破されていきなり殺されるかもしれないとも思う時がある。だが、土方は銀時という人物を知るにつれて、それでもいいような気がした。土方は銀時を欺いている。それをごく稀に後ろめたく感じることがある。
 銀時という男に土方に何か別次元の面白さを感じていた。
 戦場での銀時は敵にとって底知れぬ脅威である。その動きは予測不能で、型というものが一切存在しない。刀と一体になって駆け抜ける。風のようでもあり、波のようでもあった。日頃はぼんやりとしていて、とても白鬼の夜叉だとは思えない。だが、隙が全く無いのだ。土方はどう探っても銀時の本質が掴めずにいた。
 銀時に握られている手が、痺れるような感覚を起こす。乾いた皮膚が不思議な熱を帯びさせる。つい先日の戦場で背中を合わせた時、土方は確かに歓喜ていた自分に気がついていた。この闘鬼に背中を預けられていると思った瞬間、体中の血液が一気に沸騰した。それぐらい、土方は銀時の強さと底知れなさに陶酔していた。
 両手で水を汲んで顔を濡らすと、眠気が少し覚めた。身体が重く、身軽な様子で立っている銀時が少しうらめしかった。
「なぁ、土方、お前生まれは何処だったか」
 夜目に慣れてきた。月明かりは雲に隠れて、また現れる。風の強い夜だった。
「武蔵国多摩郡石田村ってとこだ。いいところだぜ高幡の不動山に登れば富士の山、大菩薩峠に雲取山、三峰山から筑波根までが一望できる」
 どこかで遠吠えが聴こえる。ここは知らない山だ。きっと、石田村からは相当の距離があるのだろう。
 銀時が土方の隣に座り込んだ。刀の音がする。銀時は腰を掛ける時、必ず胸に刀を抱き右手で柄を握る。これまで、そういう生き方をずっとしてきたのだろう。
「銀時、お前は?」
「俺は・・・・・・生まれは分からねぇ、気付いたらずっと戦場にいたんだ。屍が一面に転がって、腐臭と血の臭いを嗅ぎながら死体漁って食えるもんを見つけちゃ口にしてた。それがずっと普通だと思っていたな、斬っちゃ食う。それでずっと生きてきた」
 土方は背筋がゾッと冷えた。帰れる場所があったのに、大切な人を自分の性で傷つけて、目を逸らしたくて、強がってずっと一人で暴れていた自分とは何もかもが異なっていた。
 銀時は話題を変えるように、殊更明るい声で言った。
「お前、初陣で最初一歩躊躇したろ。あれ、大事だから覚えておけよ。俺はあの感覚分からねぇんだけど、きっとあの感覚を思い出すと人間でいられると思うんだ。殺しすぎて、血を浴びすぎて麻痺してくるけどよ、あの感覚だけは、お前、覚えとけよ」
 初陣で腕が動かなくなるほど刀を振るって、足腰が立たなくなるほど走り回って、断末魔の叫びや、呻きの中を戦い抜いて、やっと終わった時、全身が血を浴びて真っ赤に染まり、鉄の腐った匂いが鼻につき、足場の悪い屍の上を歩いていた時、土方は込み上げてくるものを堪えきれずに嘔吐した。苦しくて、涙を零し隊から隠れて吐き続けた。やっと収まって顔を上げると、いつの間にか銀時が自分に手を差し伸べていた。頭から血を浴びて、月光を背後に携えて笑っていた。
 あれからいくつも場数を踏んだが、まだ銀時のような余裕は持てなかった。戦が終れば崩れ落ちてくたくたになり、気付いたら銀時に背負われている時もあった。
 昨日まで喋っていた仲間が屍になっても、銀時は笑っていた。無事だった仲間を前に白い歯を見せていた。そしてそれが、生き残った者への何よりもの慰めだった。死んだ仲間はどんな惨状でも、引き上げて焼いて埋めた。銀時は勿論だが隊士も涙一つ見せなかった。ただ、淡々と作業をしていた。
「土方、死ぬのは痛いし、恐ろしいことなんだ。お前、それをちゃんと、覚えておけよ」
 銀時は、極力仲間を助けようとする。自分が傷つくとしても、手を伸ばせる範囲で仲間を救っている。銀時はきっと土方に諭しながら、自分にも言い聞かせているのだ、と土方は感じた。
「銀時、お前は何のために戦ってんだ」
 孤独じゃないのだろうか、と思った。そうやって、仲間を鼓舞して進んで。一人ですべてを請け負って。土方は真選組を幕閣にする為に進んでいるとき、確かに、自分の進むべき道を見つけた楽しさや面白さを感じていた。だが、不意に無性に味気なくなる瞬間があった。己のやり遂げようとしていることが、虚しくなる瞬間が確かにあった。
 土方の問いに対する答えは返ってこなかったが、代わりに、唇に生暖かいものが当たった。土方は愕かなかった。抵抗もしなかった。手首を掴まれて押し倒されても、自然に受け入れていた。戦場で背中を合わせた時と同様、土方は自分の心のどこかが疼くように喜悦していることを、すんなりと受け止めていた。角度を変えながら口付けを繰り返し、銀時の舌の侵入を許す。全身の血液が泡立って、下腹部が熱くなった。
 銀時が低く呟く。
「俺、オメぇのこと信用してねぇんだ」
 土方は眼を閉じた。どうせ開いても暗闇だ。銀時の息遣いを目を閉じることで強く感じた。乾燥した掌の愛撫は信じられないぐらいに気持ちが良かった。喘ぐ声は闇に溶ける。ここで媾合をする事が必然のような気がしていた。
 銀時の裸体を撫でながら、この鬼が少しでも自分の手によって人に近付けたらいい、と眩暈のする意識の中で考えていた。憎んでもいいし、愛してもいい。銀時の魔羅を締め付けながら土方は啼いた。土の匂いと草の匂いと、それから汗と血の臭いがした。鴉の鳴声が空から降ってくる。屍を突く鴉を思い出し、喰われるならば、このまま銀時に喰われたいと、ひたすら願っていた。



「坂田隊長、絵画はいいですよ。僕は思うんです。絵を描くという行為は外部からのストレスを遮断するのに最も容易有効な方法じゃないかと。こうして絵と向き合うと、そこには自分しかいない。いや、自分すらいない。そこには意思だけなんです。こう考えるのは変なことでしょうか?」
 市川十郎は暇さえあれば、絵を描いていた。被写体は花だったり、動物だったり、木だったり。そういう瑞瑞しい物を選んでは布や紙やそれらが手に入らない時は木の木目に描いていた。十郎は古参の隊士だった。弓の使い手で、良くここまで生き残れたと、銀時も感心するほど然して戦場で活躍する隊士とも思えなかった。
 十郎は決して人物を描こうとはしなかった。その筆は無骨な手の癖に滑らかで、味わいのある線で物体を描写した。描きあがったものは隊士の気休めにもなり、銀時も毎度眺めるのを楽しみにしていた。
 偶に酒が手に入った時、一番に喜ぶのも十郎であった。「うめぇなぁ、うめぇなぁ」と涙ぐみながら呑むので、十郎の酒拝みは隊士の中でも恒例で、それが杯を交わす音頭にもなっていた。
 気難しく、あまり隊に馴染もうともしない土方も十郎とだけは雑談をしているところを何度か目にしたことがある。土方と銀時は週に一度、閨事を重ねていた。その時に十郎とは気安いのかと聞くと「昔馴染みにちょっとばかし似てるんだ」と答えた。
 土方と身体を重ねたのは、銀時にとっても思いがけない出来事だった。それまで別段、土方を色事の目で見た事はなかったのである。妙に色気のある男だとは思っていたが、野郎の身体にはとんと興味がなかった。あの夜は何かが可笑しかった。自分の奥底の形にならないものが土方を求めて止まらなかった。抱いた後も後悔はしなかった、寧ろ、なぜ今までこうしなかったなか、その事のほうが不思議だった。土方の魔羅を触った時、その質量を増して上を向いた形状が愛しいと思った。吐息も喘ぎ声も、苦しいと口にする声も、銀時は聞くたびに欲情した。
 それでいて、銀時は自分がいとも容易く土方を殺せるだろうという気がした。土方は未だに銀時の中で信用できる人物では無かった。むしろ、逆だ。最も信用ができない男だった。裏切れば、あの躰に刀を差し込める。その感触がいつも銀時の身の内にあった。だからこそ、銀時は土方を労わって抱いた。土方もそれを承知しているようで、土方から誘ってくる夜もあった。
 お互い、心から信じて、そして同じぐらい、疑いあっている。だが、その関係が心地よくもあった。
 銀時が見回りから帰ってくると、土方は十郎と笑いあっていた。それに密かに安堵していた。襲撃があったのは、それから数時間後だった。
 北に張っていた見張りが、警報の太鼓を鳴らす音がして、隊士は一目散に刀を抜き走り出す。銀時は走りながら舌打ちした。北は最も見張りを少なく配置していた。北には断崖がそそり立っている。そこからの襲撃はまず無いだろうと踏んでいたのだ。
 土方は走りながら小部隊に配置分けをしている。鉄砲部隊は北から回りこみ、南側から弓部隊を、正面からは槍と刀組みに強行突破させる。銀時と自分を最前に散らばって突撃しろ、と叫び、銀時と競うように駆け抜ける。
 槍の使い手と刀の使い手を二人一組で敵に当たるよう考案したのは土方だった。刀で飛び込み、相手が交わしたところを槍で突く。我武者羅に戦うよりも効率よく斃せている。相手を囲むようにするために、通常よりも四方の部隊を遠回りさせることを考案したのも土方だった。大きく囲んだほうが勝算が高い。多少の犠牲もあるが、確かに勝ち戦が多くなった。
 目の前の敵を斬り捨てて、味方の援護に回る。矢や鉄砲玉が飛び交う戦場を身体全身を使って避けて切り結ぶ。多少の傷など興奮状態では痛みを感じない。ひたすらに自分の剣術を信じて舞うように踊るように殺戮を繰り返す。味方の劣勢に覆いかぶさる敵を薙ぎ倒すと、「危ない」という甲高い悲鳴が聴こえた。急いで振り向くと、土方が刀を吹き飛ばされているところだった。「なにやってんだ! 逃げろ!」慌てて向かおうとするが、明らかに間に合わない。敵の刀が土方に振り下ろされる。くっ、と歯を噛み縛ろうとした時、土方の身体が横に突き飛ばされた。敵の刀に一刀両断されたのは土方ではなく、其れを庇った十郎だった。銀時は信じられない思いでそれを見つめていた。十郎の身体が右半身と左半身に真っ二つにされて、血飛沫が噴出す。銀時はそのままの勢いで敵の胴を切裂いた。立ち止まっている暇は無い。土方の刀を拾うと、土方に向かって投げ遣ってまた敵に向かう。耳の奥で「絵を描くのが好きなんです。いつか落ち着いたら、祖国の風景を描きたいなぁ、って思ってるんですよ」と愉しそうに笑う十郎の声が聞こえた。
 今日の祝杯からは、十郎の酒拝みが聴けないのかと思うと、それだけが無性に虚しい事のように思われた。



 土方の様子がおかしくなったのは、十郎の遺体と彼が描いてきた絵を焼いてからだった。銀時をあからさまでは無いが、僅かに避けるようになった。一人で考え込むことも増えて、元々寡黙な男だったが、更に口数が減った。銀時は十郎が自分を庇って死んだ事が堪えたのだろうと最初は思ったが、それだけでは無い気もした。不意に、「十郎が昔馴染みに似てた」という言葉が思い出されて、ずっと押し込めていた元居た場所の事を考えるようになったのかもしれないと勘繰っては、気落ちした。
 それから十郎が亡くなって七日が過ぎた夜だった。銀時が一人で焚き火の前に座っていると、土方が少し照れたように笑って「よぉ」と顔を出した。
「もういいのか?」
「何が」
「踏ん切りはついたのか」
 土方は一瞬きょとんとして、それから「まあな」と呟いた。
 土方は銀時の横に座って、何ともいえない表情で燃える火を眺めていた。ゆらゆら揺れる炎が土方をも揺らしていた。しばらくお互い沈黙していたが、先に口を開いたのは銀時だった。
「俺は、俺達はさ・・・・・・取りこぼしちまったもんを取り戻したかったんだ。最初は、それだけだったんだよ。だけど、事態は俺らの届かないところでどんどん肥大していきやがる。取り返したかったもんは相変わらず掠りもしねぇし、挙句、もっと沢山のもん、失っちまってなぁ。いつの間にか退くこともできねぇで、何もかも手中に収めらんねぇで、零れて行く一方なんだ」
 土方は無言で顔を伏せた。
「なぁ、どう思うよ。お前は、愚かだと思うか。仲間を沢山死なせて、それでもこうやって戦い続ける俺が滑稽だと思うか」
 パチンと薪が爆ぜて、木の枝で少し突く。土方は思い切ったように頭を振って、夜空を仰いだ。
「月が綺麗だな」
「月が好きか」
「ああ、好きだな・・・・・・・・・なぁ、銀時、他人はお前の所有物じゃねぇんだ。ちゃんと意思がある。それがお前と共に進もうとしてんだ。勝手にぐちゃぐちゃ考えることは、その場限りの気休めでしかないんだと思う。お前はお前が思う方向に進めば良いんじゃねぇのかな」
「悩むってのは、厄介だな」
「そうでもないぜ、悩めるってのは時が余ってるって事だ。幸せなことじゃねぇか。死んじまった奴は悩めねェんだ」
「俺はたまに、死んじまったほうが幸せなんじゃないかとも思う時がある。だから、俺は生きなきゃなんねぇ」
 銀時の頭に土方の手が置かれた。髪の毛をかき回されて、慰められているのだと気がついた。
「全部終ったら、銀時、月見酒を飲もうぜ。もっと落ち着いて、二人で」
「月見酒か」
「そう。そんで、酔っ払って、その後は・・・・・・・・・銀時・・・・・・・・・・・・俺は・・・・・・・・・本当は・・・・・・」
 擦れた声だった。だから、その続きを銀時は聞かなかった事にした。


 次の日の早朝に襲撃があった。
 いつもと変わらぬ戦だが、この日は隊の士気が上がっていた。この日、漸く桂や坂本、高杉の部隊と合流するのだ。その前の一戦に意気が盛んだった。銀時は極力土方と離れて戦っていた。土方にはこの戦のどさくさに紛れて逐電して欲しかった。昨日の晩は土方を乱暴に抱いた。それで、もう、銀時は充分だった。
「隊長! 上を!」
 隊士の叫び声に顔を上げると、空から黒い球状のものが落ちてきた。銀時は血相変えて「爆弾だ! 上から降ってくる! 逃げろ!!」と叫んだ。目の前の敵を斬り捨て、森の中に逃げ込もうとした時、視界の端に転倒した仲間が映った。急いで方向を変えて向かおうとすると、その仲間に向けて見たことも無い武器が向けられた。銃器に似ていたが、恐ろしくでかかった。瞬く間に連続的な爆撃音がした。銀時は思わず立ち止まり、仲間に向かい打たれた煙幕が立ち消えるのを呆然と眺めていた。味方の男は蜂の巣のように身体を穴だらけにして横たわっていた。その武器が銀時に向けられた。不味い、と走り去ろうとした瞬間、爆撃音が襲った。咄嗟に地面に伏せると、背中に重みを感じた。振り向くと、土方が銀時に笑っていた。暫し言葉を失うと、土方の額から血が零れてきた。それは見る見るうちに滴り落ちてきて、銀時の顔を紅く染めた。
「銀時―――――――――――」
 土方の目尻に涙が浮かんだ。血液と共に、銀時に降る。
「銀時、月が・・・・・・・・・近藤さんと、総悟と、お前と・・・・・・月を・・・・・・」
 銀時は土方を抱いて、一目散に走り出す。森の奥へとひたすら走って、もう何も考えられなかった。
 走っても届かない。護りたくても取りこぼす。そうやってずっと生きてきた。土方の血潮が温かくて、その温かさが無性に辛かった。銃声も悲鳴も背中で聞いて、どんどん遠ざかっていく。
 呼吸が荒く、胸の奥に空洞ができたみたいだ。頭は真っ白で、呼吸ができない。
―――――――――――だけどそんな剣、もういりませんよ
 松陽先生、本当ですか。剣はもう必要ないのですか、護るために、取り戻すための剣も、必要なかったのですか。
―――――――――――人に怯え、自分を護るためだけに振るう剣なんて
 一体、何が人のためで、何が自分のためなのでしょうか。幾ら考えても分からないんです。
―――――――――――もう、捨てちゃいなさい
 もう、誰かが死ぬのも、誰かを守れないのも嫌なんです。強くなっても、強く思っても、全部、無くなってしまうんです。捨てれば、守れますか、この剣を手放せば苦しまずに済むのですか。
―――――――――――そいつの本当の使い方を知りたきゃ、ついてくるといい
「じゃあ、土方は、なんで――――――――――仲間はみんなは、どうして」
 どうして、あなたに教わった剣で、先生を失わなければならなかったのですか―――――――――――
 胸の中の身体が力を失いく。目の前でいつも大切な人が死んでいく。
 銀時の慟哭は森林を震撼させ、木霊となっていつのまにか、消えた。



 目が覚めると、身体の節々が痛かった。
 最初、自分が生きているのか死んでいるのか分からずに、視線だけをただ、彷徨わせていた。妙に身体が重くて、この重さでは生きているのだろうなとも思った。死んだとしたらもう少し身体が軽くなっているはずだ、と根拠も無く土方は思った。
 倦怠感が凄まじい。なにもかもが億劫で、だが、記憶を探り思い立った事柄に慌てて身体を起こそうとした。しかし、痛みでそのまま布団に沈んでしまう。
 起き抜けから痛みはあったが、それが徐々に激痛になる。土方はのた打ち回りたくても、動かす事もできない苦痛に喘いだ。喉の奥も激痛があって声も出せない。脂汗が全身から湧き出て、それでも、その名を口に出したかった。
 もがき苦しんでいると、不意に痛みの合間から自分を呼ぶ声がする。薄っすら瞼を明けて声の元を探すと、随分久しぶりに見る顔が並んでいた。
 その顔を見て、土方は嬉しいのか悲しいのか辛いのか喜んでいるのか自分の気持ちが分からなかった。
 ただ、この痛みは罰なのだと、それを甘んじて受け入れて、再び、意識を手放した。






完結