武州の田舎に近況報告と新入隊士の徴募を兼ねて数名の隊士を連ね里帰りした。
 義理の父親は近藤の道場主で昔は近藤勲、沖田総悟、土方十四郎の剣術の師匠だった。相変わらずの助平そうな顔が、仏壇を背にして写真立てにおさまっている。線香を上げると込み上げてくるものがあって、ついうっかり視界がぼやけた。
「立派になったのね」
 義母の声に振り返って、腰を曲げ手を畳につき頭を低くした。昔はこの人によく怒られた。気が強く、意思の固い人で、今も健在する爛々とした瞳が如実に性格を映し出している。温かい顔をして迎えてくれる今、大分歳を喰ってしまったようだ。それが歳月の無常を感じた。茶を差し出した手の甲の皺が増えている。腰も随分と曲がってしまった。老いてしまった。それを驚くほどに実感するぐらい、離れてしまった。
「義母上、お久しぶりでございます」
 顎を少し引いて頷いてくれる。
「門下の子たちは元気?」
「元気です。トシも総悟も有り余るくらいに」
「そう。きっとあの人も喜んでいるわね」
 視線をまた写真に移す。せめて、今際の際に傍にいてやりたかった。良くしてもらったのに親不幸ばかりしてきた気がする。後悔が胸に込み上げてきた時、それをまるで察したかのように義母が言葉を重ねた。
「あの人はね、いつも、あなたからの手紙を楽しみにしていたわ。くどいくらい近所に自慢して回るのよ。俺の愚息がこんなに立派になりやがったって、アイツは俺に似て無茶なことばっかりするけど、やる時はやる男なんだって」
 バカよねぇと穏やかに笑う義母に言葉を返せない。懐かしい切なさが悲しみとなって零れ出てしまうのを奥歯を噛んで懸命に堪えた。
「義母上、俺ァ」
「いいのよ、好きな場所に行きなさい。したい事を思う存分やりなさい。バカみたいにがむしゃらに進みなさい。一緒に歩いてくれてる人たちを信じなさい。見えてくるものに手を伸ばして、何があっても笑っていなさい」
 厳しくて辛辣で何よりも優しい人だった。深く頭を下げる事しか出来ない。
「あなた、むさ苦しいんだから、悲しい顔するのは止めてちょうだい。こちらまで不景気になるわ」
 悪戯な顔をしてニヤリと笑われる。その顔を見て、大事にしようと思った。傍にいることはできないけど、離れていても思っていようと決めた。いつまでも感謝し続けよう。
 取り留めのない会話をして、別れを惜しんだが、そうは言っていられない。隊士達の泊まる宿舎に向かった。
「局長、どうでした、久々の里帰りは」
 宿舎に入ると、山崎が目敏く声をかけてくる。土方が今回の帰郷に山崎を付けたのは、この男に一時の休息を与える為だ。山崎は真選組の中でも土方に次ぐほど多忙を極めている。だが、生まれも育ちも江戸の男だから田舎でのんびりと過ごす、という事に慣れないのかもしれない。
「ああ、母は元気だった。後三日も居るんだ、明日の昼から隊員を徴募するから、お前も少し休め」
「そうなんですけどね、性分で」と照れ笑いする。「でもココはいいところですね。穏やかで。さっき周辺をうろついてみたんですが、青々とした田圃が風に揺られて鮮やかでした。川は表面が輝いているし、山の稜線が霞んでいて、その向こうはどこまでも続く青が広がっている。木々の立ち並びは変則的なのにどこか秩序があるようで」
「山崎、武州は自然の宝庫だ。景色ならどこにも負けねェ、高幡の不動山に登れば富士の山、大菩薩峠に雲取山、三峰山から筑波根までが一望できる」
「へぇ」山崎が感心したふうに相槌を打つ。近藤は微苦笑を浮かべ「全部トシの受け売りだが」と付け足した。
「土方さんも沖田さんも一緒に帰ってきたかったんじゃないですかね」
 山崎がポツリと言った。
「まぁ、アイツらもここは好きだからな。トシなんかな、江戸に出た時、しきりに「江戸は田舎とは違ェなァ」と感心していた同郷の奴を憎々しげに睨んでよ、後で耳打ちしてきたんだよ、俺に。「新しいもんに目を奪われるのは勝手だが、自分を育てた里をバカにするような男は、俺ァ相容れねェ」だと、アイツらしいと思わねェか」
 嬉しそうに山崎が笑った。「あの人らしい」
「トシも総悟も帰ってきたいに決まってんだ。だが、あいつらには「おかえり」って肩叩いて迎えてくれる者がもう誰もいねェンだよ。それがもしかしたら躊躇させるのかもな」
 ああ、と山崎が口を噤む。
「でもそんな柔な気持ちは持ち合わせちゃいねェしなァ。アイツらは。それに俺とトシと総悟は本当の親や兄弟よりも深いからよ、あれだ、義兄弟ってやつだ」と、豪快に笑う。
 近藤が土方や沖田を語る時、目を細めて眩しそうな顔をする事がある。嫉妬してしまうぐらい、絆が深い事が分かる。
「今じゃ一丁前な面してやがるがよ、アイツら随分どうしようもなかったんだぜ、裸も同然でその辺走り回ったり、凍えるぐらい寒い日に川で我慢比べしたり、ハチに喧嘩売ったりよ、肝試しと称して墓荒らしもしてたなァ、とんでもねェなァ、今考えるとよ。喧嘩なんてしょっちゅうだったし、近所に何回頭下げに行ったか分かンねェ、トシのが総悟より断然年上なのに同じようにバカやってたなァ。稽古すりゃ道場に穴開けるし、負けず嫌いだから倒れるまで止めねェし」
「そりゃとんでもないですね」
「そんなとんでもないのが、今じゃ真選組の副長と一番隊隊長だぜ、どうする」
 言いながらも近藤は嬉しそうだ。
「そんで局長だ」山崎がすかさず突っ込んできた。
「違いねェな」
 わぁっと奥座敷からはしゃぐ声が聴こえる。連ねてきた隊士のふざけ合った笑い声だ。
「どうしようもねェなァ」と溜息を零した近藤に山崎は悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「トップスリーがどうしようもないんだ、そりゃ隊士もどうしようもない奴らばっかりですよ」
「昼間っから飲むなんて不摂生だな」と冗談っぽく嘯いて、持ち前の野太い声で奥座席に叫ぶ「オイ、お前ら、分かってんだろうなァ、最初に潰れた奴は酒道不覚悟で切腹だぞ!」
 ギャハハと品の良くない笑い声があがる。実に泥っぽい。田舎臭い。だが、これが、真選組だ。自分達が一つ一つ地道に真っ直ぐに積み上げてきた結晶だ。正しいと思ってやってきた。誰かが眉を顰めても、信じて貫いてきた士道だ。どこに到着しても後悔する事は無い。精一杯を生きている。毎日を悩んで決断している。
 それだけのものを積み重ねてきた。それは、自信に繋がっている。局長、という大きなものを背負う土台を自分は一から作り上げてきた。
 いつだったか、悩んだ時期があった。本当にこの組織の頭で良いのか、自問自答して、後ろ向きになった事があった。
 土方と沖田と三人で酒を飲んでいた時にポロリと弱音を吐いた。
「なァ、俺は局長でいいのだろうか、本当にこの席に座っていていいのだろうか」
 誰にともなく呟くと、土方は音も立てず近藤の前に座った。胡坐をかいている近藤の前に土方はきちんとした正座で、真っ直ぐな瞳に静かな決意を籠めて見てきた。
 整った顔立ちに、短髪が良く似合っていた。漆の色をした髪を大たぶさに結った髪形も似合ってはいたが、さっぱりとしていて色男に磨きがかかっている。そしてそれが不思議と嫌味に見えない。
「近藤さん、あんたが相応しいに決まってんだ。俺ァあんたの下でなきゃ働くつもりはねェ、俺がアンタを選んだんだ。俺が間違うわけねェだろうが、おかしなこと言ってくれんな」
 拗ねたような口調だった。
 総悟は刀を抱えて戸口に寄りかかっていた。身長がここのとこ急激に伸びて、体格も逞しくなってきている。コイツもいい男に成長しているのだ、と思うと誇らしい気分になった。
「俺は土方の下で働くのは真っ平御免でさァ、でも近藤さんが言うから蛆虫が身体を駆けずり回るようなこの不快を我慢してるんでィ、アンタが大将でなきゃ俺は土方さんを斬り殺して武州に帰りやすよ」
 自分の局長としての自信どうのこうのよりも、この逞しく図太いのが二人も自分を支えてくれるのだと思うと、何よりも無敵なのだと思えた。
 厳つい顔を綻ばせて笑うと、目の前の男前が二人、顔を見合わせて肩を竦めながら笑った。

 入隊希望の隊士は二百を越えた。その中から百人に絞る。適性を見極めて、分野別に厳選する。
 自分はこういう役目に向いていないのは分かっている。意気込みさえあれば良い隊士になるだろう、と思うし、気合いが足りなければコイツはダメだと、そういう単純な所でしか人を判断できない。
 化ける隊士を掘り起こす土方の様な鋭敏な目は持っていないし、優れた剣客を見極める沖田の様な天才的な感覚も持ち合わせていない。それに「局長自ら隊士を見極めるような小っせェ真似すんじゃねェよ、あんたはどっしりと構えてりゃいいんだ。どうせどいつもこいつもここの給料狙いなんだかんな、適当に山崎辺りに見繕わせて戻ってくりゃいい。その連れてきた烏合の衆を俺が徹底的に見極めてやるよ。さぁて何人残るかな」「近藤さん、武州のあの漬物買って来てくだせェよ、あの味、俺昔嫌いだったんですがね、どうしても最近思い出していけねェ、あの漬物を土産として持ってくるヤツがいたら即採用したほうがいいですぜ、間違いねェ」と物騒だったり良く分からないことを言われたが、ようするに黙って睨みながら座ってればいいのだろう。
 何事も無く審査も済んで、百六人の新人隊士を引き連れ江戸に戻る事になった。新人隊士の顔は嬉々としていて、意気揚々だ。数年前の自分達を思い出す。何かを言おうと思ったが、やめた。これからこの新人隊士たちは死闘を繰り広げる事になる。自分の弱さと闘って、居場所を勝ち取らなければいけない。気を抜けない日だって、辛い日だって山とある。真選組の組織に疑問を抱く者も出てくるだろう。息詰まる者も絶対に出てくる。一瞬の逡巡が命取りになることなんて日常茶番だ。
 見上げた空はどこまでも青い。染料で染め上げた様な青がどこまでも広がっている。この空の下を土方と沖田と三人で駆け抜けた事を思い出すと、何か大切なものを落としてしまった気持ちになった。
 隊の先頭に立って馬に揺られていたら、ふと懐かしい行商を見つけた。隣を歩いていた山崎に耳打ちをする。山崎は一つ頷いて行商向かって駆けだした。

 新人隊士たちは江戸の旅籠屋に一先ず泊めさせて、近藤は共に武州に行った隊士達と屯所に戻った。時刻は酉の刻ぐらいだ。暮れ泥む町が夕暮れから闇へと姿を変える。長旅に疲れは感じたが、それよりも見せたい土産物があったので、真っ先に向かったのは、土方の自室である副長室だった。この時間は勤務表通り机に向かって書類を書いている筈である。
逸る気持ちを押さえ「トシ」と声をかけてスパンと襖を開けた。開けて口を開こうとした瞬間に、視えた場景に意表を突かれた。
「近藤さん」
「お帰りなせェ」
 土方と沖田が悪戯っ子の様な顔をして座っているのだ。二人の手にはお猪口があり、一升瓶が二本、同じ銘柄でそこにある。銘柄の名をみて、更に唖然とした。
「お前ら、それ……」
 土方が目を泳がせて、この男にしては珍しい顔をした。
「いや、な……たまたま、武州で世話になってた酒屋の主人がこっちにのぼってきてたんだよ、一度手紙を書いた事があってな、そん時に「日野の川久保が美味かった」って書いたの覚えててくれたらしく、持って来てくれたんだ。武州にいた頃、まだ総悟に酒飲ませなかったろ、コイツ物欲しそうにしてたから飲ませてやろうかな、と思ってな」
 沖田も同じような顔をしている。
「もう一本は俺が買ったんでさァ、たまたま日野の酒屋の行商がこっちで商売してて懐かしくって、ちょいと買っちまいました。俺これ呑んだ事無かったし」
「いや、俺も、これ」
 後ろ手で隠し持っていた、一升瓶を出すと土方と沖田が驚いた顔をした。
「懐かしくってなァ、ついつい買っちまった」
「同じ酒が」
「三本揃っちまった」
 可笑しくなって笑いながら後ろ手で襖を閉める。なぜか用意されている座布団に腰を下ろすと、土方が近藤の普段使っているお猪口を手渡してきた。
「近藤さん来たらはじめようと思ってな、用意してたんだよ」
 いつも仏頂面を張りつけているのに今日はどうしてか表情が豊富だ。一方の沖田も何やら嬉しそうにしている。
 頼まれていた漬物を中央に置くと、土方が酌をしてくれた。コホン、とワザとらしく咳払いをしてから沖田と近藤の顔を見て「んじゃ、ま」と土方が切りだす。
 それをつぐように「乾杯しやすか」と沖田が言った。
 どうしてか、とんでもないくらいに嬉しくなって、田舎臭いものが出るのが止められない。立ち上がり、仁王立ちをした近藤勲は芋道場の道場主だった頃の顔をしていた。
 一瞬、錯覚した。壁が裂けてる個所が何か所もあって、古く、歩くたびギシギシ音を立てるおんぼろ道場に、土方と沖田が当時の顔でニヤニヤしている。
 いつも、決まっていったセリフがあった。寸分の狂いも無く、今でも言えた。
「今はこんなボロ道場にいるが、俺は武士になりてェ。いつか俺達の時代が来る。俺には分かる。そんときゃ、お前ら付き合え、一緒に一旗揚げようぜ」
 あの頃の夢は衰える事も無く、今も輝き続けている。
 目の前の二人がいる限り。