近藤勲は暁の空を眺めながら歩いていた。数歩後ろに、紗良紗の布を頭から蔽った花嫁を連れている。
 不思議な空模様だった。夕焼けと似ているが、夕焼けよりも何かの誕生を想起させる色合いである。深い闇を、光が凌駕していく。穏やかに、包み込むように。近藤も土方トシも一言も口を利かなかった。二人は暁の町を黙々と歩いていた。
 近藤はきっと上手くいくと確信する一方で、やはり不安だった。トシは左顔の爛れを引け目に思っていない。近藤はその事が有難かったし誇りにも思ったが、周囲の目は違うだろう。事実、組屋敷で暮らしていたトシは周囲の人々に奇異な目で見られ、あからさまに侮蔑されていた。汚い物でも視るかのような眼を向けられるたびに近藤は心中で憤慨した。左顔までも美しかったトシへの羨望や嫉妬の手前勝手の腹いせであろう事は識れていたが、不快だった。女のみならず、男もいい気味だと云わんばかりの視線を向ける者もいた。あからさまに顔を顰め、眼をそらす者も。トシと擦れ違ってすぐに嘲笑を向ける者もあった。
 もし、トシが悲観にくれているならば周囲の態度も違っただろう。侮蔑が同情の眼に変わるだけだが、少なくとも表立ってあからさまな嘲笑は向けない筈である。トシは強い。疾風に勁草を知るとはまさに、この状態にこそ当てはまる。トシは周囲の蔑みに気がついても、堂々としていた。
 弱さをみせない女である。だからこそ、銀時と似合いだと思うのだ。だが、男と女がそんな単純に巧くいくとも思っていない。もしもの時の事も近藤は考えていた。
 表通りから木戸を開け表店に挟まれた細い通路を往くと、共同井戸と芥溜がある。六軒並んだ割り長屋の三軒目がトシの嫁ぎ先だ。輿入れを早朝にしたのはトシの要望だった。これは、銀時と近藤への気遣いだろう。トシは自分の顔を恥じてはいないが、周囲の自分に対する印象を厭と云うほどに解っている。
 引き戸の前まで来ると、トシの着替えが入った葛篭が背中にずしりと重くなった気がした。左手にはお歯黒壺をさげ、右手には酒一升をさげている。近藤は戸を開けた。部屋は綺麗に片付いていた。銀時が鰹節を削る手を止めた。
「トシ、火を焚きつけてくれ」
 近藤が命じると、トシは台所の竃で火を熾す。近藤は家に上がりこんで手早く味噌を擂った。竃に火が熾ると、懐に持参していたスルメを焼き、三々九度の杯の運びとなる。婚礼が終わり、トシは紗良紗を払う。銀時とトシが初めて対面した。近藤は銀時の表情を祈るように凝視した。
 銀時の表情は凪いでいた。トシと対面して、その左顔見て取っても、別段、表情を動かす事をしなかった。近藤は嬉しさに打ち震えた。ああ、この男は易々と飛び越えてしまうのだと思うと愁眉を開いた。二人は見つめ合っていた。これ以上の長居は野暮だ。近藤は静かに長屋を後にした。
 先ほどまで静かだった町は、朝の活気を思い出していた。豆腐売りが大声でまわり歩いている、表店では掃き掃除する丁稚の姿も現れはじめた。暖かい朝日を背中で浴びて、そんな光景を眺めながら表通りを自宅の屋敷に向かって歩いていると、見覚えのある娘が手桶と柄杓で往来に水を撒いていた。
 娘は顔を上げて、近藤の姿を視とめると、一瞬の驚きの後、相好を崩した。
「お久しぶりでございます」
 娘は慇懃に頭を下げる。
「みや殿、でしたな。なぜ江戸に?」
「実は、このお店でつい先日から、女中として雇われているのです」
 みやが少し振り返る。近藤が目線を上げると田辺薬屋の看板が掛かっていた。
「そうでしたか」
 近藤はいつか娘に薬を預けられた事を思い出した。あの薬は、ちょっとした手違いで庭先で零してしまっていた。親切で呉れたのに申し訳ないと思ったが、隼人は直ぐに亡くなってしまったので、そのままにしてしまっていた。
「トシ様はその後?」
 と娘に訊かれて近藤は先ほどの高揚と満足感を思い出した。トシの行方を案じてくれる者がいてくれた事が近藤は素直に嬉しかった。
「実は、今朝婚礼をすませたのです」
 娘が眼を瞠った。「婚礼? トシ様がどちらかに嫁がれたのですか?」少し声が震えていた。
「そうです。僭越ながら仲人を務めましてな。いやぁ、久しぶりに愉快だった」
「ここから近いのでございますか?」
「ええ、この先に八百屋があるでしょう。そこを入ったところですよ。暫く経ったら顔を出してあげてください。トシも喜ぶでしょう」
 では失礼、と軽く首を垂れ脇を通り過ぎた。暫く進んでから振り返ると、娘はそのままの姿勢で立ち尽くしていた。近藤は首を傾げて、また歩き出す。家々から朝餉の匂いが立ち込めていた。